第5編 女の勘

 彼女が死んで、もうすぐ3ヶ月になる。

 今でも夢に見る。なんでもっと真剣に話を聞いてやれなかったんだろう、って。


 部屋はあの日のまま。気持ちの整理がつかなくて、片付けられずにいた。

 昨日、久しぶりに母親から「そろそろ身の回りの整理をしなさい」と電話があって、ようやく彼女の荷物に手をつける気になった。


 クローゼットの奥に、古びたノートがあった。彼女の日記帳らしい。

 日記なんてつけるような性格じゃなかったと思っていたけど、ページをめくると、丁寧な文字でびっしりと毎日のことが書かれていた。


 最初のうちは、授業の話とか、コンビニで買ったスイーツのこととか、他愛もない内容が多い。

 でも――ある時から、内容が変わった。



 6月3日

 今日も、あの人に見られてる気がする。

 誰かはわからないけど、スーパーの帰り道で、ずっと背中に視線を感じた。振り返っても誰もいなかった。


 6月5日

 玄関の前に、開けた形跡のない缶コーヒーが置かれてた。気持ち悪い。

 カズくんに言ったけど、「誰かの置き忘れでしょ。缶だけに勘違いかもね」って。

 冗談はつまらなかったけど、わたしの勘違いなのかな。


 6月10日

 駅で待ち伏せされてた気がする。

 黒いフードの人が、改札の外にずっと立ってて、私が通ったあとに後ろを歩いてきた。

 怖い。怖い。



 ページをめくるたびに、恐怖が色濃くなっていくのがわかる。

 それでも彼女は、毎日を普通に過ごそうとしていた。


 サークルの飲み会のこと、私と食べた夕飯のこと、そういった記録の合間に、少しずつ“誰かの気配”が記されている。

 見えない恐怖におびえながらも、私には何も言えなかったのかもしれない。


 いや――違う。 言っていた。

 何度も、俺に「最近、誰かに見られてる気がする」って言ってた。

 

 でも俺は、「思い込みだよ」、「気にしすぎじゃない?」って流してた。

 馬鹿だ。最低だ。守れるチャンスはいくらでもあったのに。


 最後のページには、震えた文字で、こんな言葉が残っていた。



 7月18日

 今日、誰かがドアを叩いた。

 のぞき穴には誰もいなかったけど、ポストに花が入ってた。すでに処分済み。

 怖い。怖い。

 明日、カズくんにまた話そう。



 その「明日」が来ることはなかった。

 彼女はその夜、帰宅途中に刺されて、意識不明のまま2日後に亡くなった。

 犯人は未だに捕まっていない。



 日記を閉じる。

 部屋の空気が重くなったように感じる。


 俺は彼女を守れなかった。

 彼女は俺を頼ってくれていたのに。


 ――そのとき、携帯が震えた。通知は1件のLINE。

 送信者は、見覚えのない名前。

 表示されたメッセージに、背筋が凍った。



「また“誰かに見られてる気がする”って言ったら、ちゃんと話聞いてくれる?」


 震える手でスマホを持っていると、次の言葉が送られてきた。


「……今度は、あんたの番だよ」


 血まみれの彼女を背に自撮りする女性――俺の元カノの写真だった。

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