第15話 衝突とパリの影

未明に共有された任務内容は、


アライアンスの各種族でも限られた部隊しか知らされない極秘のものであった。




惑星マイノグラフ――銀河系辺縁部に存在する未確認領域の惑星。


表向きには資源調査が目的とされていたが、近年、この宙域では説明不可能な現象が多発していた。


たとえば調査用の自律ドローンが、接近後20分以内に通信を絶ち、そのまま行方不明になる。


中には最後に撮影された映像が“強い振動と点滅する白い閃光”だけを残していたケースもあり、


自然現象として処理できるものではなかった。


「……この任務、相当危険ね」


副艦長のマリアがホログラムのデータを睨みながら言った。


「それだけに、アトラスが選ばれた。


過去には2回、他艦がこの区域に踏み込もうとして消えている」


アンジェラは苦々しい表情で言葉を続けた。


「そのため調査が必要なの。ザーグが関係していないとも言い切れない。


くれぐれも警戒心を怠らないようにしてね。」


艦長のマックスが、低い声で補足した。


「ザーグが関係しているかもしれないなら、我々アトラスが行くしかない。


各分野の専門が揃い、多種族が共に乗り込む戦闘艦……


この任務に必要なのは、未知数な状況でも適応できる力だからな」


「全種族の技術と戦力を集約した精鋭艦。その中で、君の特別な力を存分に発揮してほしい」


アンジェラがジョージに向けて静かに告げた。


そして数時間後――ジョージの目の前に現れたアトラスは、まさに“戦闘艦の極致”と呼ぶにふさわしい存在だった。


全長800メートル超、漆黒に染められた多角構造の艦体は、


あらゆる外敵からの攻撃を分散・吸収する先進素材で覆われている。


外壁には多種族が共同開発した特殊シールド発生器が随所に埋め込まれ、


重力制御装置と反物質エンジンが艦底から唸るように稼働していた。


中央には格納庫兼訓練施設、後部には通信・索敵機能を強化した戦略管制室が配置されており、


見た目だけでなく実用性と機動性も兼ね備えた“移動する軍事要塞”そのものだった。


内部は無機質でありながらも整然としており、


主要区画には種族ごとの気圧・温度に対応した環境システムが組み込まれていた。


乗員一人ひとりの身体特性に最適化された空間設計は、


まさに“アライアンスの技術の結晶”と呼ぶにふさわしかった。




ジョージはアトラス艦内のメインブリーフィングルームに案内された。


そこにはすでに、12名の乗組員たちが整列していた。


ヴォラク人、ボルツ人、ルミエル人、シェンダオ人、ケルベール人、そしてヒューマン。


全員が一目で分かるほどの歴戦の兵士たちだった。


マックス艦長が前に出て紹介を始める。


「紹介しよう。新たに配属されるセト・ジョージ。ランクはA。


近接戦闘に特化したヒューマンだ」


どよめきが起きた。


「ヒューマンで近接特化?」


「Aランク?いつの間にそんな話が……」


明らかに数名の表情が曇る中、前列の一人――


ヴォラク人の戦闘機パイロット、アルノ・コレットが不満げに前へ出る。


「ちょっと待て。こいつ、入隊して数日しか経ってねぇ新人だろ。


そんな奴がAランク?ふざけるなよ」


ジョージは一歩も引かず、その視線を受け止めた。


(……こういうタイプ、昔からよくいた)


一瞬、過去の記憶がよみがえる。




――パリ北部の郊外地区 ラ・クルヌーヴ(La Courneuve)


パリ郊外にある数多いスラム街の中でも一番広大で、それに比例して危険性も高い場所であった。


暴動で燃えた車の残り火が燻る集合住宅街の谷間で、少年時代のジョージはよく煙と血の匂いに包まれていた。


昼間から堂々と麻薬の取引が、建物の目の前で繰り広げられていた。


まるでパンを買うかのような手軽さで手渡され、取引相手は目と目で合図を送り合い、数秒で金と麻薬を交換していた。


警察の姿は一切なく、この地区は「立ち入れない領域」として黙認されていた。


そんな状況下である日、彼の運命を変える出来事が起こった。


それは春の夜だった。


ラ・クルヌーヴの地帯では、近隣のスラム街であるサルセル(Sarcelles)との抗争が激化していた。


双方の麻薬組織が縄張りを主張し、昼夜を問わず威嚇と小競り合いが繰り返されていた。


そんな中、ジョージと仲が良かった少年――ヤシンが、偶然の流れ弾に倒れた。


ヤシンは数少ない“真面目なやつ”だった。


アル中の父に暴力を振るわれながらも、学校に通い、未来を信じて努力していた。


「いつか大学に行って、この街を出て幸せになるんだ」と、星を見上げて語ったあの夜のことを、ジョージは忘れられなかった。


そして事件当日、ヤシンは学校から帰宅する途中だった。


スラム街に突入した暴走車が電柱に衝突し、その後続々とサルセルの若者たちが攻めてきた――乱闘の中、その場に偶然居合わせたヤシンが、流れ弾に倒れた。


「ヤシン!嘘だろ……!嘘だって言えよ!」


ジョージは血に染まった彼の体を抱きかかえ、叫んだ。


しかしヤシンは最後まで死ぬ事を嫌がりながら息を引き取った。




ジョージはこれまで、いかなる場面でも拳を本気で振るうことを自制していた。


格闘術を喧嘩に使わない――それが自らに課した誓いだった。


だが、その夜だけは違った。


ジョージは一人で、両勢力の中心へと飛び込んだ。


怒りと喪失感に支配された彼は、もはや破壊の権化となっていた。


最初に立ちはだかった巨漢の顎に、回し蹴りが炸裂した。


骨が砕ける音が鈍く響き、その場に倒れ込む。


敵味方関係なく向かってくる者たちに、肘打ち、掌底、足払い、踏みつけを繰り返した。


拳の皮は次第に裂け、血が滴っても構わず殴り続けた。


やがて、周囲の空気が変わる。


あまりにも異様な光景だった。


闘争の渦中にありながら、ただ一人、涙を流し、嗚咽を漏らしながら暴れ続けるジョージの姿は、まるでこの地獄に舞い降りた“死神”のようだった。


それがきっかけで戦いは止まった。


両陣営の若者たちが、戸惑いと混乱に言葉を失い、その場に立ち尽くしていた。


その中央で――ジョージは一人、マウントポジションを取り、巨漢の頭部に拳を振り下ろし続けていた。


「なんでだよ……ヤシンは……何にも悪くないだろ……ッ!」


殴るたびに血飛沫が舞い、拳は骨と肉に沈み込んだ。


すでに巨漢は意識を失っていたが、それでも止まらなかった。


拳は裂け、爪は剥がれ、皮膚は裂け、赤黒い血で染まりきっていた。


それでも、ジョージは泣きながら殴り続けた。


我に戻った両陣営に抑え込まれその日の抗争は終結した。


翌朝、彼の異名はスラム街中に広まっていた。


“Le japonais fou(狂気の日本人)”


その日を境に、彼に絡んでくる者はいなくなった。


だが彼自身は、その夜の記憶から逃れられなかった。


血の匂い、砕ける骨の音、潰れた顔の感触――それらすべてが、今なお夢に出てくる。


彼がスーツを着て、オフィスで働き、家族と笑い合っていたこと


――ジョージにとってそれが異様な状況であったのだった。


あの夜、ジョージは決意した。


こんな地獄から、絶対に抜け出してやる。


彼は、格闘術を封印し、もともと趣味であったアニメやゲームを輸出する貿易会社を起業した。


「ヤシンの分まで、自由に生きてやる」その想いが、彼の原動力となった。




現実――アトラス艦内。


「気になるなら、体で教えてやろうか?」


「……!」周囲が静まり返る。


アルノ・コレットは一瞬言葉を失い、だがすぐに顔をしかめた。


「……覚えておけよ」


彼はそのまま列に戻るが、鋭い視線をジョージに投げ続けた。


艦長のマックスが間を取り持つように前に出た。


「私情は持ち込むな。


ジョージの実力はアンジェラ司令官が保証している。各員、行動で判断しろ」


ジョージは一礼し、メンバーに向き直った。


「セト・ジョージ。主に近接戦闘を担当する。


これ以上は語らないようにしよう……信頼は、戦場で築くものだと俺は思ってるからな」


その言葉に、数人がわずかに頷いた。


戦艦アトラス。


ジョージにとって新たな“戦場”が、ここに幕を開けた。

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