異世界で葬儀屋をする
木林康
第1話
第1話
【律】とはこの世界の理念
人が死ねば封域へ送り火葬、埋葬せねばならない
その事を伏すという。
そして伏されたものは、忘れなければならない。
*
この世界に転移してから、気がつけば一年あまりが過ぎていた。
昨夜の雨が嘘のように上がり、窓の外からはやわらかな春の陽射しが差し込んでいた。
濡れた石畳が朝日にきらめき、街全体が静かな呼吸に包まれている。
加賀和樹は、葬儀屋〈ヌール〉の事務所で、依頼人の話に耳を傾けていた。
奥の所長机では、所長のネフェリがまるでビスクドールのようにたたずみながら、帳簿に目を落とし、静かにページをめくっている。
「えっと……つまり、その“ミヤちゃん”を送ってあげたい、ってことなんですよね」
「そうなんですよ。子どもがいない私たちにとっては、あの子は実の娘みたいで……」
初老の男性が、どこか気恥ずかしげに、それでいて思いの強さを隠せずに語った。
隣に座る女性――おそらく妻だろう――は、ハンカチをしっかり握りしめながら、黙って涙をこぼしていた。
老夫婦の表情がわずかに揺れる。
「……あの、大丈夫でしょうか」と不安そうに問いかけるような目で、和樹を見つめていた。
だが、ほんの数秒の間のあと、和樹は穏やかな声で答えた。
「子ども同然に愛された彼女を、ご自身の手で送ってあげたいというお気持ちは、何より大切なことだと思います。
送りの場所は、ご自宅でも、こちらの“祈りの間”でも、お二人のご希望に応じてご用意できますよ」
「……ほう」
男性が息をのむように答え、妻も顔を上げて「ぜひ」と小さく頷いた。
「では、まず最初に料金についてご説明いたします」
和樹は優しく微笑んだまま、手元の見積もり帳を開いて語り始める。
「施行手数料、棺の代金、ご遺体の保存材……
それから火葬についてですが、律協会での儀を選ばれますか? それとも、弊社併設の火葬炉を希望されますか?」
和樹の説明に、夫婦は顔を見合わせた。
「……どっちが、いいんじゃろうな?」
「ご説明いたします。律協会の火葬は、街の制度に基づいており、使用料も安価です。ただし――
亡くなった動物たちをまとめて“合同”で伏す形式となっています。
加えて、火葬は基本的に“野焼き”で行われるのが通例です」
「野焼き……」
妻が小さく声を震わせた。
その響きに反応するように、夫も眉をひそめる。
「それって……原っぱか何かで、焼くということですか?」
「はい。律協会の裏手にある専用の広場で行われます。
ただし他の遺体と一緒になりますし、個別の対応は難しいですね。
一方、弊社の火葬炉では――その子だけのために、静かな環境で、ひとつの“送り”を執り行うことが可能です。
費用はややかかりますが、周囲に配慮した空間も整っております」
「……絶対、ここでお願いしたいわ!」
妻の声が、不意に大きく響いた。
その瞬間、彼女がどれだけ深くその子を想っているのかが、手に取るように伝わってきた。
「それで、いくらくらいになるのかね?」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね」
和樹は手早く計算し、提示した。
「以上を合わせまして、こちらの金額で、ございます」
金額を目にした男性はすぐに頷いた。
「問題ないよ。なあ?」
「ええ、もちろん。よろしくお願いします」と妻も答える。
「では、今後の流れをご説明いたしますね」
和樹は手元の資料をまとめながら、再び二人へと向き直った。
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