第43話 罪と罰

「残念だが――」


振り向くこともなく発せられたソコロフの乾いた声に、ネージュの表情が凍り付く。

だが、矢のように放たれた身体は、もはや軌道を変えられる段階にはなかった。

突き出された螺旋の槍は、慣性のままにソコロフへと吸い込まれ――


「私には、M.E.T.I.S.の加護が付いていてな」


目の前の空間が歪んだように見えたその瞬間、ソコロフの身体に触れる寸前で、弾かれるようにワイヤーの螺旋が解けた。


「これは――!?」

「ふむ。によるフィールドの収束も問題ないようだな」

「――かはっ?!」


気付けば、突如武器を弾かれ無防備となったネージュの脇腹へと、ソコロフの後ろ回し蹴りが炸裂していた。

咄嗟に割り込ませた左腕は不自然な方向へと折れ曲がり、人工皮膚を突き破ったチタン骨格が迸る火花を反射する。

そのまま横合いのコンテナへと叩き付けられたネージュは、ノイズに埋め尽くされた視界の中で、今起きた事象を分析していた。

――本人の発言から、本来球形の電磁偏向フィールドを局所的に折り畳み、濃密な磁場格子へと変じさせワイヤーを弾いたことまでは推測できる。

問題は、何故振り向きもせずにこちらの攻撃箇所とタイミングを精確に測れたのか、である。

――そのとき、ふと思い出された言葉があった。


「……M.E.T.I.S.の加護……まさか……」

「月並みだが、そのまさかだ。この義眼は、M.E.T.I.S.の準拡張AIと接続されている。M.E.T.I.S.の一部判断機構を分割、再構成した戦術支援AIは、量子予測モデルに基づき敵の動きを先読みし、自動で最適な防御を実行する。そして、既に貴様の行動パターンは学習済みだ……つまり、詰み、ということだ」


ソコロフは、鷹揚おうような足取りで数歩ネージュへと近付くと、ゆっくりと右腕を伸ばし、その手首を返した。


「ニューロスタナー……ですか……」

「あのしぶとい男から聞いたか……これから、貴様の頭部にこのEMP弾を放つ。電脳は一瞬で焼き切れ、再起は不可能だ。それが嫌なら、素直に私に協力することだ。特に、倫理モジュールの改竄方法についてな」

「何度も、言わせないでください……私が、あなたの望みを叶えることなど、あり得ません……それに……詰んでいるのは、私ではありませんよ」

「……なに?」


ネージュの浮かべた美しくも冷たい薄笑いに、ソコロフの目が細められる。

そしてなにかを察したように、鋭く周囲へと視線を走らせた。

――彼も気付いたのだろう。

先ほどまで聞こえていたストライダーの足音が、いつの間にか止んでいることに――


「――ネージュ!!」


広間に響き渡った鋭い声に二人が視線を向ければ、壁際の通路から飛び出した血塗れのジョニーが、右手にリボルバーを、左手にタクティカルナイフを構えていた。

次の瞬間、彼は連続してリボルバーの引き金を引きながら、床を滑らせるようにしてナイフをネージュへと投げ渡す。


「無駄だと言っている」


だが、弾丸は当然のようにソコロフを逸れ、床やコンテナの壁面を穿ち続けた。

その最中さなか、ネージュは右手でナイフを受け取ると、しっかりと握り直し、残された力を振り絞って両足のアクチュエーターを最大限に駆動させる。

いかに電磁偏向フィールドを折り重ねたとしても、身体と一体となったタクティカルナイフを弾くことは困難だろう。

敵の注意が逸れているこの瞬間こそが、好機だった。

ネージュは両足に溜めた力を一気に解放し、爆発的な推進力を得る――


「――愚かだな」


――その寸前。なんの前触れもなく、視界が暗闇に覆われた。

直後額に走った衝撃に、彼女は自分がニューロスタナーの直撃を受けたことを知る。

弾体は頭蓋を貫通していないが、強烈なEMPがその内側の回路を焼いたのだろう。

急速に薄れる意識の中、額を伝う温かな感触だけを感じながら、ネージュの身体はゆっくりと崩れ落ち――


「……な……に……?」


――ソコロフの表情が、驚愕に染まる様を見た。

彼がゆっくりと自分の腹部に視線を落とすと、そこには艶消しのタクティカルナイフが、深々と突き刺さっている。

そのまま彼が視線を上げれば、そこではネージュが片手で額を押さえながら、、満足げな笑みを浮かべていた。


「ごほっ!……な、何故……動け……」

「……ないんですよ……」

「……な、に?」

「最初から、ないんですよ……倫理モジュールも、電脳も……」


ネージュのふらつく身体を、駆け付けたジョニーが肩を抱いて支える。


「大丈夫か、シャルロット」

「はい、ジョニー様。それより、あなたの方が酷い怪我を……」

「致命傷以外は掠り傷だ。気にすんな」


二人のやり取りに、腹部を押さえ膝を突いたソコロフの目が見開かれる。


「シャルロット、だと……まさ、か……」


ジョニーの胸に背中を預けながら、彼女は悪戯っぽい笑みに乗せて、意趣返しとばかりに告げた。


「月並みですが……そのまさか、ですよ――」



――それは、雪の降る夜だった。

2044年、パリ近郊。

セーヌ川のほとりで、全身に見るも無残な傷を負ったその青年は、仰向けに横たわり、流れ出る血で周囲の雪を赤く染めながら、星一つない夜空を見上げていた。


「……まぁ、死ぬにはいい日、かもな……」


パリ周辺に乱立するスラム街を中心に、武器の密売で生計を立てていたその青年、ジョニーは、あるとき地元のマフィアに目を付けられた。

まだ駆け出しだった彼は対処を誤り、気付けば河川敷で男達に取り囲まれていた。

骨が軋むほどの殴打を幾度も浴び、足掻く四肢にはナイフによる無数の裂傷が刻まれた。

――既に四肢の感覚はなく、全身を覆う雪の冷たさすら遠く感じる。

唯一の救いは、天涯孤独の身の上故、自分が死ぬことで悲しむ人間は一人もいないことぐらいだろうか。

そんな皮肉めいた考えも、意識が薄れていくに従いぼやけていく。

彼が全てを諦め、ゆっくりと瞼を閉じようとした、そのとき――


「――お兄さん、生きてるの?」


そのあどけない声と共に彼の顔を覗き込んでいたのは、美しいブロンドの髪とあおい瞳を持つ、年端もいかない少女だった――


――幼くして四肢を義体化しているその少女は、シャルロットと名乗った。

何故助ける気になったのかは定かでないが、彼女は歳にそぐわぬ手際の良さで彼に簡易的な応急処置を施すと、彼女の父親を呼んできてくれた。

彼女の父ジャンは、情報の売買を主な生業とする、軍人崩れの闇商人だった。

いつ死ぬかわからない自分の替わりに娘を守る人間が欲しかったのか、単に後継者が欲しかったのかはわからない。

ただ、彼はジョニーに、衣食住の提供の対価として、彼の持つありとあらゆる技術を習得するよう強制した。

ジョニーも、生きる術を学べることに感謝し、積極的に知識と技術を吸収し続けた。

特に、相手の真意を見抜く洞察力と狙撃のセンスは並外れている、との評価を受け、重点的なトレーニングが施された。

驚いたのは、娘のシャルロットにも、彼はほとんど同じプログラムを課していたことだ。

諜報、格闘、射撃、応急処置から立ち居振る舞いに至るまで、青年と少女は常に苦楽を共にしながら成長した。

そして十年の歳月が過ぎた頃、二人はジャンのもと、「家族にして戦友」としての絆を確立していた。

この頃だろうか。ジョニーがジャンから、シャルロットの四肢が全て義肢である、壮絶な理由を聞かされたのは。

――それは、簡潔に言えば、彼女の母マリーの狂気によるものだった。

彼女の母は元々天才の呼び声高い義体技師で、世間からも注目を浴び続けていた。

しかし、アクシオンの台頭により、義肢の市場シェアは奪われ続け、評価は下がり続ける。

その中で徐々に精神を病んだ彼女は、いつしか実の娘を使って自身の義肢の優秀性を証明すればよい、という狂気に取りつかれてしまった。

ジャンは、彼女が幼い娘を手術台で切り刻んでいる現場を目撃し、その場で彼女を射殺したのだという――


――その数ヶ月後。ジョニーの実力が認められ、遂に独立となった頃のこと。

ジャンはアルカディアで大規模な人体実験が行われているという情報を掴んだ。

彼は独立したてで多忙を極めていたジョニーを本土に残し、助手のシャルロットと共にアルカディアへと飛んだ。

ほどなくして二人は上層にて非合法の実験の証拠を押さえたが、離脱まであと一歩のところでソコロフ率いるSTCBに察知され、拘束された。

ジャンと引き離された彼女は、「幼少期から四肢を義体化し、その扱いにも長けている希少サンプル」として、精緻な制御が求められる試作兵装「フィラメント」の実験台にされた。

アクシオンの地下施設で、四肢を換装され、脳内にフィラメント制御用チップを埋め込まれた彼女を待っていたのは、過酷な訓練とデータ収集のための過負荷テストの日々だった。

一ヶ月に及ぶ実験で生体脳の一部が焼損してなお、父を救うために必死に自分を繋ぎ留めていた彼女の心を打ち砕いたのは、実験の様子を見にきたソコロフの一言だった。

「脱走を試みたジャンを処分した」というその淡泊な報告に、彼女を支えていた最後の糸はぷつりと切れた――

アクシオンは廃人同然となった彼女を「失敗作」と判断。

四肢を拘束された彼女は、「下層第零区画」と呼ばれる廃棄区画へと投棄された。

そこで「処理」を待つだけだった彼女を間一髪で救い出したのは、彼女の体内に埋め込まれていた発信機の信号を受信し駆け付けたジョニーだった――


――その後、下層でジョニーの献身的な治療と介抱を受け快復した彼女は、彼と共にアクシオンへの復讐を決意する。

生存が発覚しないよう「ネージュ」と名を偽り、首元にはコア・スイッチの模造品を装着。

熱分布から人間と悟られぬよう両脚にIR妨害装置を埋め込み、虹彩もレンズで擬装した。

過度なストレスで薄灰色に変色した長髪をショートに切り揃え、歩容から細かな仕草に至るまで完全にヒューマノイドを模倣した彼女の演技を見抜ける者は、誰一人いなかった。

――今、目の前で腹部から血を流し苦い笑みを浮かべている、ソコロフを含めて――



「――ふっ。あのときの、マウス、だったか……六年もの雌伏しふくに耐え、猫を噛むとは……天晴な執念だ……」


血に濡れたソコロフの顔に、一瞬だけ人間らしい笑みが差した。


「父の仇、確かに討たせて頂きました……最後に、なにか言い残すことはありますか?」

「……そう、だな……この私を討てた貴様に敬意を表して、教えてやろう……」


両膝を突いたソコロフの周囲に、血だまりが広がっていく。

彼は何度か咳き込むように血を吐くと、ゆっくりとシャルロットを見上げ、訥々と呟いた。


「あの男は、一人なら逃げられた……それでも、最期まで、娘を救い出そうとして、死んだ……この私の右目を、穿って、な……愚かだが、強い男だった……誇るといい……」


それだけ言うと、ソコロフは静かに俯き、やがてその瞳に揺らめいていた光は、緩やかに薄れ、そして消えた――


「……お父さん……」


唇を引き結んで顔を伏せたシャルロットの頬に、六年ぶりの涙が伝う。

最後まで立派に親としての責務を果たそうと戦った父を偲ぶ彼女を、ジョニーの温かな抱擁が包んだ。

――ソコロフとジャンの間にどんなやり取りがあったのか、今や知る術はない。

それでも、冷酷無比なソコロフが、最後に賛辞を送ったのだ。

男として、または戦士として、思うところがあったのは確かだろう。

シャルロットはソコロフの傍へと歩み寄り、開いたままの両瞼へとそっと掌を当て、それを下ろす。

そして、ジョニーへと振り返ると、どこか切なげに微笑んだ。


「終わり、ましたね……」

「ああ……これで俺達は、先に進むことができる……あとは……」


ジョニーの視線の先を、シャルロットの視線が追う。

その先には、中枢ノードルームへ続く巨大な扉が、堅く口を閉ざし鎮座していた――

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