第18話 破鏡重円
ヴァルターは、路地の入口で野次馬の群れを散らし始めたカイと、その後ろでひたすら頭を下げるセレナを横目で見やる。
(どうやら、気を使わせてしまったか……)
そして改めて、眼下で雨に打たれた仔猫のように微かに身を震わせるレイラを見つめ――
まるで硝子細工にでも触れるような繊細さで、そっと両腕に包み込んだ。
「――!」
レイラの肩が一瞬跳ね、息を呑むのがわかった。
彼女は全身を強張らせながら、それでも決してその腕を解こうとはしない。
それはまるで、その温もりが自分に許されるものなのかどうかを、測りかねているかのようだった。
「……本当に、無事でよかった……」
そんな彼女に、ヴァルターはただただ真っ直ぐに、自分の素直な気持ちを伝える。
だがその言葉すら、今の彼女に赦しを与えはしなかったようだ。
「ごめん、なさい……ヴァルターの迷惑も考えずに、勝手に舞い上がって……勝手に飛び出して……迷惑かけて……怪我まで、させて……」
まるで自らの罪状を読み上げていくかのように、一言ごと、その表情に悔恨と
「違う。悪いのは俺だ。お前の高潔な決意を笑い、お前を危険に晒した。俺の犯した罪に対して、この傷は軽過ぎるぐらいだ」
なんともない、と強調するように、既に血の乾きつつある側頭部の傷を軽く小突いてみせるヴァルターに、レイラの張り詰めた表情が、少しだけ緩む。
「やっぱり、優しいね、ヴァルターは……じゃあ、もう二度と、あんなこと言い出さないし、願いも、しないから……だから、あと少しだけでも一緒に」
「それは困る」
「えっ……」
突然の拒絶に、レイラの表情が凍り付く。
だが、その氷解もまた一瞬だった。
「あのときのお前の決意に、今こそ答えを返そう――ずっと傍にいてくれ、レイラ。天寿を全うできる保障はないが、お前が愛想を尽かさん限り、どうか傍で支えて欲しい」
一切の冗談も躊躇も含まないその真摯な眼差しに、レイラの目が見開かれ、褐色の肌に熱が灯る。
「で、でも、迷惑じゃ……それに、こ、恋人、とか……奥さん、とか……」
「……ん?」
今度はヴァルターが面食らう番だった。
あのときの「プロポーズ」という言葉は完全に冗談のつもりだったのだが、彼女は思った以上に本気で受け止めていたらしい。
そして、今問いを向ける彼女の、その期待と不安の同居したどこか大人びた眼差しに――ヴァルターの鼓動が、不意に高鳴った。
――これまで、彼女は自分にとって、ほとんど娘のような存在だった。
彼女とは歳も一回りは離れているように見えたし、なにより自分は彼女の名付け親でもある。
だが、「彼女には女性的魅力がないか」と問われれば、自分は全力で否定するだろう。
何を隠そう、彼女を「誰よりも優しい」と評したのは他ならぬ自分である。
――ヴァルターは、自分の認識の急激な変化に戸惑いながらも、仮にも一人の大人として、慎重に言葉を選ぶ。
「俺に恋人や妻はいないし、恥ずかしながらいたこともない。だから、お前が俺の近くにいることを咎める人間はいない。もちろん俺も大歓迎だ。だが、だからといってお前になにか特別な関係を強要するつもりはない、ということは、知っておいて欲しい……それと、もう笑ったりしないから、今後も言いたいことがあれば、なんでも言え」
良く言えば理性的、悪く言えば煮え切らない、そんな回答。
だが、レイラにとっては、それで十分なようだった。
彼女は、ヴァルターの胸に身体を預けるようにそっと額を押し当てると、どこか柔らかな声色で、吐息のように呟いた。
「……うん、ありがとう……この気持ちも、いつか伝えられるよう……頑張る」
「……そ、そうか」
「この気持ち」がなにを指すのかは、あえて聞かなかった。
彼は、腕の中の淡い熱を感じながら、ふと、彼女と出逢う直前のことを思い出す。
あのとき、地下牢への階段を下りながら、なんの気なしに、妻を救いに冥府へと下った、神話の吟遊詩人のことを思った。
そして、彼女を背負って地上へ上るとき、決して後ろは振り向くまいと、なぜかそう感じたことを覚えている――
(まさか、な……)
ロマンチシズムが過ぎる、とヴァルターは自嘲的に笑う。
どうにも彼女の視線を前にすると、調子が狂ってしまいがちだ。
やはりあの神秘的な二色の瞳には魔力でも宿っているのではなかろうか、と他愛のない考えが浮かびかけたとき、視界の隅に戻ってくるカイ達の姿を捉えた。
レイラもその音を感じ取ったのか、ピクリと微かに肩を跳ねさせる。
そして、名残惜しそうに彼の胸へと軽く額を擦り付けると、ゆっくりとその身を離した。
「もしかして、まだ取り込み中だったかな?」
「いや、大丈夫だ。心遣いに感謝する」
未だ平常のリズムを取り戻さない己の心臓を
「ところで、カイ。お前にいくつか聞いておかないといけないことがある」
「奇遇だな。俺も、あんたにいくつか聞きたいことがあったんだ。それから、約束してもらわないといけないことも」
カイは口の端をにやりと吊り上げてはいるが、その目は決して笑っていない。
目の前の男が本当に信用に値するのかどうか、値踏みするかのような視線だった。
もっとも、それはカイの瞳に映り込むヴァルターの目もまた然り、である。
俄に、二人の男を中心として、凍て付くような空気が辺りを支配する。
「では互いに一問一答といこうか。まずはお前からでいいぞ」
「そいつはどうも」
カイは軽く会釈しながら、その視線を一瞬、隣でそわそわとしているセレナへと向ける。
その眼差しに宿った温もりに、ヴァルターは、なにか得体の知れない違和感が心の奥で頭をもたげるのを感じた。
「まず、あんたのその義体、明らかに民生用とは思えないんだが、もしかしてアクシオンの関係者だったりするのか?」
「アクシオンからは稀に傭兵として仕事を受けることはあるが、直接的な関係はない。軍事機密に関わるため詳しくは言えんが、これは我が祖国の軍用義体だ」
カイはその言葉の真偽を測るように僅かに目を細め、しかし間を置かずして頷いた。
「なるほど」
「では次は俺から聞くが、そのヒューマノイドはなんだ。とても軍用機には見えんが、俺に直接発砲したぞ。それに、自発的にお前を助けたようにも見えた」
ヴァルターの鋭い視線に射抜かれ、セレナが蛇に睨まれた蛙の如く口を引き結んで固まる。
そこには、先ほど彼に銃口を突き付けた際の気迫は微塵も感じられない。
大切なもののためなればこそ恐怖にも打ち克てる、と言わんばかりのその人間的な変容に、ヴァルターは不随意に眉根が寄るのを禁じ得なかった。
「その質問に答える前に、一つ約束して欲しい。これから話すことを、第三者に喋ったり、アクシオンに売り渡したりしないと」
反故にするなら命の保障はない、とカイの白刃の如き眼光が雄弁に語る。しかし――
「レイラを人質に取られたり、自白剤を飲まされたりしない限りは保障しよう」
平然と真顔でそう返したヴァルターに、彼は毒気を抜かれたように息を吐いた。
「そりゃ正直にどうも。だが、逆に安心したよ――」
そしてそこで一拍置くと、まるで神託を告げるかのように、確信に満ちた声で言い切った。
「――セレナは、恐らく世界で唯一の、『心』を持つヒューマノイドだ――」
一瞬の静寂が吹き抜ける。
カイは誇りすら湛えた表情で屹立し、セレナは緊張の面持ちで両手をぎゅっと握り締め、レイラは純粋な驚きに目を丸くして――
「――それは、あり得ない」
ヴァルターは、名画の
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