第9話 孤立

 24カラーズの全国縦断ツアー、東京ファイナル公演の夜。瀬理奈せりなは先に自宅アパートへと帰り、京太けいたのアパートには慧子けいこ秋月天音あきづき・あまねの3人が残っていた。


 慧子は京太の部屋に転がり込む形で同棲していたので、寝室は一つしかない。

「俺は台所で寝るからさ。トイレも気にせず使ってよ」


 部屋は広めの1K。キッチン部分だけで6畳あり、若い二人にとっては1DKも同然だ。ふだんは二人が一緒に寝ている部屋を慧子と天音が使うことになり、京太はキッチンに自分の布団を持ち出していた。


「明日はオレ、ガソスタでバイトだから、朝はシャワー使うね」

 そう言う京太に、小さく「ありがとう」とささやく天音。その声にニッコリと笑顔を返し、ドアを閉める京太。その表情からは人の良さが伝わってくる。

 なるほど、慧子もそんな彼を好きになるわけだ。恋愛経験に乏しい天音でも、京太の魅力は理解できる。


「さあて、今夜は語ろうか。私、明日はシフト入ってないから、朝まで付き合うよ♪」

 慧子が人懐こそうな笑顔で話しかける。


 中3で24カラーズに加入して以来、天音は友だち付き合いと無縁になっていた。


 中学のバスケ部で、ポイントガードとしてレギュラーを張っていた天音。当時はそこそこ男子に人気があった。

 見た目が可愛いことはもちろん、誰にでも笑顔で接するポジティブな性格で、オタク系男子の心もガッチリとつかんでいた。


 中2では、サッカー部主将の3年男子から告白され、人生初の男女交際を経験。

 交際とは言ってもせいぜい手を繋いで、市内のショッピングセンターを歩きまわる程度だ。


 しかし、交際の噂が広がると3年女子の気持ちを逆なでし、「なによあの2年生、調子に乗って」と嫉妬の標的になった。

 しかも運の悪いことに、主将の元カノが女子バスケ部の部長で、天音と同じポイントガードだったのだ。

 部長にしてみれば後輩にポジションを奪われたばかりか彼氏まで奪われたのだから、天音のことを逆恨みするのも無理はない。


 気が付くと、練習中にボールが回ってこないほど孤立していた。公式戦でもパスが回ってこないのだから、明らかにイジメのレベルだった。

 だが顧問の先生は、部長の母親が口うるさいPTA会長として悪名高かったこともあり、見て見ぬふりをしていた。

 同級生の女子たちも、上級生に気を遣って同調。いつしか天音は、学校中の女子のなかですっかり浮いた存在となっていた。


「中学生のうちからモデルやっていたって本当?」

 慧子が興味深そうに訊いてくる。そこに嫉妬や嫌悪感といった感情は見られず、純粋な好奇心から訊ねていることは天音にも伝わっていた。


 実際、『秋月天音 モデル』で検索すると、雑誌の表紙や女性誌のファッションページを飾った写真に加えて、アイドルになる前であろう、幼げながらキュートな表情の画像も何枚か見つかる。

 名前こそ載っていないものの、中3でアイドルを始めた当時のアーティスト写真と見比べれば、天音本人であることは間違いない。


 慧子もそんな画像を見たことがあるのだろう。付き合いが浅いからこそ訊きやすいこともある。

 そんなことを思いながら、天音は言葉を選ぶように話し出す。


「モデルっていっても、写真部の男子に頼まれただけだよ。制服やバスケ部のユニフォーム、私服とか何パターン撮ったかな。でもそれ一回だけ」


 展示会に向けて写真部がモデルを探すなか、オタク気質の部員でも気軽に声を掛けられる数少ない女子生徒が、誰にでも分け隔てなく接する天音だった。

 中2でモデルを務めた写真が横浜市の展示会にエントリーされ、中学生部門で入賞。地元メディアのウェブサイトにも掲載され、学校中に知れ渡ることになった。


 写真部からは大いに感謝され、表彰式にも一緒に出席してほしいと頼まれたが、さすがにそれは恥ずかしいからと断ったものだ。

 しかし、こうなるともう、女子の嫉妬は止まらない。


「ブスが調子に乗ってさ」

「オタクにしか人気ないんだよ」

「大人からお金もらってモデルやってるらしいよ」

「それほとんどエンコーじゃん!」


 火のないところに煙って立つんだと、最初のうちは他人ごとのように驚いていた。


 だが、ある日の下校時、校門の近くでカメラを手にした中年男性から声を掛けられた。

「モデルやってるんですよね? 1時間いくらくらいでお願いできますか?」

 そう訊ねられたときには、さすがに表情が引きつった。


「それマヂやばいじゃん!」

 慧子が心底、心配そうな表情を見せる。こんな風に女子と話すのはいつ以来だろう……。


 そんな心地よさを感じていたら、一気に眠気が襲ってきた。

 なにしろ今日は昼と夜の2回公演をこなしたうえ、誘拐されたふりすら演じていたのだから、もう天音のバッテリーは残り数パーセントといったところか。


 慧子もそんな天音の様子に気付いたのか、「今日はそろそろ寝よっか!」と提案。

 午前中からがっつり働いていたのは彼女も一緒だ。どうせ明日は二人とも何の予定も入っていない。

 部屋の電気を消すといつしか、二人ともぐっすりと眠りに落ちていた。


 翌日、非番の山田刑事は臨海ワールドシアターの防災センターを訪れていた。

 センター長の田中が「昨日はお疲れ様でした!」と頭を下げる。

 山田刑事が非番かどうか、田中は知る由もない。ともあれ元警部補として、警部の指示は絶対だ。


「この名前の女性、こちらの施設に関係あるかどうか、分かりますか?」

「ああ、星名せなさん。うちの清掃スタッフですよ。たしかアルバイトでしたか」


 ビンゴ! 山田刑事は心の中でガッツポーズを決めていた。京太と慧子が同棲するアパートから出てきた星名瀬理奈せな・せりなは、天音が失踪した現場である臨海ワールドシアターで働いていたのだ。


「今日は出勤してますかね? あと昨日も」

「確認してきます」


 清掃スタッフのシフトを管理するRCS(臨海クリーンサービス)の事務所は、通路を挟んだ向かい合わせの部屋。田中センター長はものの1分ほどで戻ってきた。

「今日は遅番で12時に出勤です。昨日も遅番で12時から20時までだったそうです」


 20時と言えば、24カラーズのライブが終わった時間だ。あまりにタイミングが良すぎる。

「どうします? 出勤したらこちらに来てもらいますか」

「いや、むしろ私が問い合わせしたことは、他言無用でお願いしたい」

「了解しました!」

 敬礼するセンター長。こんなとき、元警察官は信頼できる。


 ともあれ瀬理奈に話を訊くのは避けるべきだろう。彼女が天音の失踪に関係しているとしても、捜査令状がない以上、尋問や拘留は不可能。

 それどころか警察が動いていると教えてしまうようなものだ。


 むしろこのシアターに協力者になりえる人物がいたと把握できたのは大きな前進だ。

 あらためて被害届が出た時にもすぐ動ける。山田刑事は次の手に頭を切り替えていた。

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