”婚約者”という名の初めての友達
「出ておいで、アリス嬢」
応接間に、優し気な少年の声がする。
5歳のアリスは、今まで公爵邸の人間以外に逢うことはなかった。
大きなこの邸の庭で茶会が開かれることはあっても、アリスは参加していなかったし、来訪者があった時でもアリスは最奥の家族の居住域から出ることは許されていなかった。
だから、初めて【応接間】という部屋に、母に手を引かれて入った時、家の人ではない人物がいることに驚いて母の後ろに隠れてしまった。
応接間のソファに座る父が、アリスに声を掛けても、なかなか前には出られなかった。
だから、その声が掛けられたとき、父とも兄たちとも違う少年の声に、びくっと肩を揺らしてしまった。
「怖くないよ。僕は君に逢いに来たんだ。顔を見せてくれないかな」
再度、優しく声を掛けられて、アリスは母の後ろから少しだけ顔を出してみた。
クラヴェル公爵家は、父も兄二人も金髪碧眼である。皇家の血筋を色濃く反映している。母と姉は、ブルネットに緑の瞳で、こちらは母の生家である侯爵家の色だ。
顔を出して目に映った少年は、アリスの知る人たちとは全く別の色合いだった。
漆黒の髪に濃紺の瞳。涼やかな切れ長な目元と神経質にも見える細面。温かみより冷たさを感じさせる容姿に、アリスはまた顔を引っ込めてしまった。
「アリス、きちんとご挨拶なさい」
母に手を引かれて、前に促される。盾にしていた母が後ろに回ってしまい、アリスは不安げに母を見上げた。
優しげな眼差しの母に勇気づけられて、アリスは少年に向き合った。
「……アリス・クラヴェルです。よろしくお願いします」
家庭教師に習った通りに礼をする。客人に対する敬意を表すカーテシー。幼いながらにも綺麗に挨拶ができたアリスを、母は優しく頬を撫でて微笑んだ。
母のその顔を見てホッとしたアリスは、目の前の客人を振り返った。
「シルヴァン・ベシエールといいます。仲良くしてくれるかな、アリス嬢」
一歩前に出て、少しひざを曲げてアリスに視線を合わせた少年はそうアリスに穏やかに名乗った。
高さが同じになったその瞳は、深い深い紺色で、その中に一筋金色が煌めいた。
「きれい……」
思わずつぶやいたアリスに、少年は小さく首を傾げた。
「あなたのおめめ、とってもきれい」
アリスの言葉に、シルヴァンという名の少年は目を大きく見開いた。
「ありがとう。アリスの瞳もとてもきれいだ」
アリスは、家族の誰とも違う。髪の色は金色だが、色の薄い白金。瞳は菫のような紫色。肌の色も一際白く、温かい気候のこの国にはあまりいない色を持っていた。
家族の誰とも似ていない色の自分を、アリスはあまり好きになれなかった。どうせなら、母や姉と同じ色だったらよかったと何度も思った。
家族や家の使用人たちは、誰一人として、色の違うアリスのことを差別したりしない。むしろ綺麗な色だとみんなも褒めてくれる。
ただ、皆とお揃いでないことがアリスの中で残念な事であるのは確かな事だ。
「わたしだけちがう色なの」
「違うとはどういうこと?」
「おとうさまもおかあさまもおにいさまたちもおねえさまも。わたしとはちがうの」
「そうだね。でも、アリスの色はとてもきれいな色だよ」
シルヴァンは、アリスの前に「お手をどうぞ」と言って手を差し出した。アリスよりも一回り大きな手。
でも、家族とは違う初めての手だった。
アリスは、震えそうになる手をそっとその上に乗せた。軽く握られて、緩やかに手を引かれる。引かれた手に導かれて、アリスは一歩前に出た。
「アリス、シルヴァン君はね、お前の婚約者なのだよ」
父が、柔らかな声でそう説明すると、手を繋ぐシルヴァンが微笑んで頷いた。
「こん、やくしゃ」
言葉の意味がすぐに理解できないアリスに、シルヴァンがまた少し屈んで目線を合わせた。
「とりあえず、友達になろう。今日から、僕を君の友達にしてくれるかい?」
切れ長な瞳が、目じりを下げて笑顔になる。笑みを宿さなければ、やもすれば冷たく見えるその顔は崩れてしまうと一気に柔らかな空気を纏う。
アリスはその顔に、兄や姉とは違う信頼を認めて、小さく頷いた。
「わたし、おともだちがいないの。あなたがはじめてのおともだちだわ」
「それは光栄だな。僕の小さなお友達、今日はね、お菓子を持ってきたんだ。一緒に食べよう」
シルヴァンに手を引かれて、初めてソファに他にも人が座っているのに気付いた。
一人は、シルヴァンと同じ漆黒の髪。濃い緑の瞳が深い森のような男の人。もう一人は濃いブルネットの髪に、シルヴァンと同じ濃紺の大きな瞳の女の人だった。
隣のシルヴァンが、「僕の父と母だよ」と教えてくれる。
シルヴァンの手に繋がれていないほうの手だけで、挨拶の礼を取り、「アリスです」と名乗るとソファの二人は、「素敵な挨拶ができて素晴らしい」と褒めてくれた。
シルヴァンの持ってきてくれたお菓子は宝石のように可愛らしい色の焼き菓子だった。
一つ手にシルヴァンが乗せてくれ、それを口にすると甘酸っぱい味が広がる。
「あまくてすっぱいわ!」
とアリスが驚くと、
「うちの領地で取れる果物のジャムが挟まれているんだよ」
とシルヴァンが教えてくれる。
穏やかな会話を交わすうち、甘酸っぱいお菓子を口にするうち、アリスの緊張は解れてなくなっていく。
この日、アリスには、婚約者という名の初めての友達ができた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。