水上祭・2

「薬を……痛み止めじゃなくて睡眠薬を渡そうとしたから、レンは気を悪くしたんだよね」

「あっ」


 レンドールはエストの唇に視線をやって、それから慌ててそっぽを向いた。


「あ、あれは、その……」

「うん。邪魔しないでくれってことだよね」

「え? いや……違……くもねーけど、違うっていうか」


 後から思い出すとレンドールの心臓はいつも乱れた。指摘するだけではだめだっただろうか。少しも邪な気持ちがなかったと言い切れるだろうかと。


「ラーロになんか言われたんだろ? 毒も渡したって言ってたし……そっちなら、素直に飲んだんだけど……」

「……! ど、毒を?」

「だって、エラリオを殺されたくなかったんだろ? 俺もイチかバチかみたいなこと言ったし、あいつを助けるためなら、そうされてもおかしくねーかなって」

「そんなこと、選べなかった。エラリオはもうエラリオとしてものを見ていなかったから……だから、あのまま行かせたら、レンが死んじゃうと思って……」

「え? 俺?」


 驚いたレンドールの目に小さく頷くエストが映る。


「あの『ツカサ』はレンに邪魔をさせるなって言ったの。彼ならもしかしてエラリオをどうにかできるかもしれない。でもそれはエラリオを助けるってことではないって判ってて……私、エラリオもレンも信じられなかった、から……ごめんなさい」

「謝られることじゃ……ええっと。でも、ほら、結果的にあれが上手くいく布石になったから、よかったんだよ」


 うつむいていたエストが少し不思議そうに顔を上げる。


「俺さ、エラリオにこれ取られた時、あいつがそうしろって言ってる気がしたんだよな」


 レンドールは眼帯を指して見せる。


「まあ、後から聞いたら全然違ったみたいだけど。だからそうしようって決めたんだけど、直前になって思い出したんだ。エラリオに危害を加えようとしたら、エストが無意識に力を発揮させるかもしれないって」

「えっ」

「エラリオが油断してても、そうなったらたぶん無理だった。だから、エストが眠っててくれて助かったんだ。目を抉られる映像なんて共有したくないだろうし……エストは、最後まで見届けたかったかもしれねーけど」


 呆然としていたエストはまた少しうつむいた。


「私、ね……生みの母に目を抉られそうになったことがあるの……だから、そんな場面見ていたら……そうね。きっと酷いことになっていたかも……」

「えっ。そうなのか? それは――え。もしかして、顔の辺りに手を伸ばされるのとかも……」

「う、うん。あんまり得意じゃない」


 何度かやらかしてる自覚があって、レンドールは頭を抱えた。


「言ってくれれば気を付けたのに……」

「言い出す機会がなかったんだもの……」


 レンドールはそっとエストの横顔を窺って、義眼だという左目を見つめる。気づいたエストがレンドールに顔を向けて、その左目が確かにレンドールを捉えた。


「ラーロ、高いやつ用意してくれたんだな。全然、わかんねーや」

「あ、これ? うん。なんか作ってくれたらしくて……ちゃんと見えてるの」

「そうなのか!?」

「うん。詳しいことはリンセさんもわからないみたいだけど、特別製だって……」

「相変わらずわけわかんねーな」

「そうね……」


 エストが笑ったので、レンドールも一息ついてから少しだけ笑った。

 結局、レンドールの行為については触れられなかったので、レンドールも蒸し返すことはやめにした。医療行為と受け取ってくれるなら、それでいいと。




 舟は順調に進み、ラソンとヘネロッソを結ぶ橋の手前に到着した。そこには臨時の乗り合い獣車の乗り場が出来ていて、スムーズに乗り換えができる。

 さすがに込み入った話ができるほど空いていないので、レンドールは斜めがけにして持ってきた鞄を前に回して、目の前に座らせたエストを見下ろしていた。両端の椅子に座れない人々は真ん中の空いたスペースに立っていることになる。大きな町ではうるさく言われたりするが、辺境では本数も少ないので割とよくあることだった。


「鞄……持とうか? 珍しいよね。大きめの持つの」

「ああ……じゃあ、頼もうかな」


 エストに鞄を渡すと、レンドールはニッと笑った。


「大事なもんってわけじゃねーけど、濡れたらまずいもの入れる用に、河鼠レヴァブの皮の防水仕様なんだ」

「ああ……水かけられるんだっけ」

「そう。エストのポシェットも町に入る前に預かるな」

「うん……ありがと」


 少しはにかんだように視線を伏せて、エストは膝の上の鞄をぎゅっと押さえつけた。

 宣言通り、町の入り口でレンドールはエストの荷物を預かる。それから鞄の中からマントをひとつ取り出した。つるりとした光沢のある、青色の被るタイプのものだ。


「これ被っとけ。ホント、容赦ないから、それでも濡れるだろうけど」


 戸惑うエストにレンドールは門の中を指差す。


「女子は被ってるやつ多いから、目立ったりはしないぞ」


 確かに、同じようなものを被っている人や子供がちらほらいる。雨の日に作る陽を乞うまじない人形が歩いているようだ。


「ちょっと面白いよな。水に感謝する祭りだけど、陽も戻ってきてくださいって頼んでるみてぇ」


 いいながらレンドールはマントをエストに被せた。しっかりと鞄の蓋を閉じて、それからおずおずと手を差し出す。


「はぐれたら探すの大変だから……掴まってる、か?」


 エストは黙ってじっとその手を見つめる。


「あ、いや。無理にとは……レストランで待ち合わせしてもいいしな!」


 動かないエストに、レンドールは誤魔化すように手をひらひらさせた。


「……レンは……」

「……ん?」

「もう、私を護る仕事は終わった、のよね」

「まあ、そうだけど。だからって連れ出しといて何かあったらエラリオもキレるだろうし」

「エラリオが見てなかったら……こんなに気にかけてもらえなかったのかな。私、レンに無理させてる? 無理してほしいんじゃなくて……せめて普通に、村のみんなにするようにしてほしくて」

「……無理はしてねーけど。村の奴らにって、あんな雑に? それは……」

「ずうずうしい、かな。いいや。ごめんね。忘れて」


 笑顔を作って足を踏み出したエストにレンドールは少しだけ迷って一つ頭を振る。

 次の瞬間にはエストの手をしっかりと掴まえた。


「よくわかんねーけどさ、初めてのこと楽しんでほしいじゃん。俺、余計なことしがちだし、よく女心が解ってないって言われるし、だから少し考えてるつもりだけど、いいって言うなら、好きにするわ」


 そのまま、エストの手を引いてヘネロッソの町へと踏み込んでいく。

 つんのめるようにして門を越えたエストに明るい声とバケツをひっくり返したような水が降ってきた。


「ようこそ! 水上祭へ!!」

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