14. 絡み合う視線

「いらっしゃいませ」


 シャーロットは優しく微笑み、メニューを差し出した。


 マントの奥から、白い手が伸びてくる。


 月光のように白く、彫刻のように美しい手。けれど、その指の動きには、長い年月を生きた者だけが持つ重みがあった。


 指が、静かに一点を指す。


 ――『とろけるチーズの王様オムライス』


「かしこまりました」


 厨房へ向かいながら、シャーロットは不思議な感覚に包まれていた。


(この人のために、特別な一皿を作らなければ)


 なぜそう思ったのかよくわからない。でも、あの孤独な佇まいが、まるで「助けて」と言っているような気がしたのだ。


 卵を割る――いつもより慎重に、愛情を込めて。


 フライパンに流し込み、菜箸で優しく、まるで子守唄を歌うようにかき混ぜる。半熟の瞬間――それは魔法が生まれる瞬間――を見極める。


 その間、男は不思議な行動を見せていた。


 まるで、生まれて初めて「カフェ」という空間に足を踏み入れた人のように――――。


 指先でテーブルクロスの質感を確かめ、壁のタペストリーに描かれたヒマワリを穴が開くほど見つめ、風に揺れるレースのカーテンを、奇跡でも見るような目で追っていた。


(ふふっ、まるで、子供みたい)


 その無邪気な仕草に、シャーロットの心が温かくなった。


「お待たせしました」


 皿を置いた瞬間――――。


 男の全身がびくりと震えた。


 そして始まった、奇妙な儀式。


 まず、真上から観察。次に横から。匂いを確かめ、湯気の立ち方を見つめる。その必死さはまるで時限爆弾の解体をするかのようだった――――。


 やがて、震える手でスプーンを取る。


 最初の一すくい。真紅のケチャップをほんの少し。


 舌先に乗せた瞬間。


 彼の時が、止まった――。


 フードの奥から、かすかに震える吐息が漏れる。


 次に、オムレツにスプーンをスッと差し込み――ゆっくりと持ち上げる。とろけたチーズが、まるで金の糸のように伸びて――――。


「ほお……」


 それは感嘆か、驚愕か、それとも――――。


 一口。


 その瞬間、男の体に雷が走ったかのように見えた。


 刹那、まるで、五百年の飢えを一気に満たすかのように、むさぼり始めた。一口、また一口。砂漠で水を見つけた旅人のように、生まれて初めて「美味しい」を知った子供のように――――。


「うっ!」


 突然、動きが止まる。


 ゴホッ! ゴホッ!


 激しい咳。急いで食べ過ぎたのだ。


「大丈夫ですか!?」


 シャーロットは反射的に駆け寄り、その大きな背中をさすった。


 ――その瞬間。


 男の体が、石のように固まった。


(えっ?)


 戸惑いながらも、シャーロットは優しく背中をさする。掌に伝わるのは、鋼のような筋肉。長い戦いを生き抜いてきたかのような戦士の体。


 しかし、男も戸惑っていた。


 五百年もの間、誰も彼の背中をさすることなどなかった。病の時も、傷ついた時も、ただ一人で耐える。それが魔族の頂点として当たり前だったのだ。


 だから今、優しい手の温もりに、魔王ゼノヴィアスは完全に動揺していた。


 慌てて振り返る。


 フードがずれ、一瞬、顔が露わになった。


 シャーロットは息を呑んだ。


 彫刻のように完璧な顔立ち。けれど、その瞳にはまるで永遠の冬のような、深い孤独が宿っていた。


 二人の視線が絡み合う。


 ブラウンの瞳と、深紅の瞳。


 時間が止まり、世界が消え、ただ二人だけが――――。


 ゴホゴホゴホッ!


 激しい咳が、魔法のような瞬間を破った。


「あらあら……」


 シャーロットは我に返り、再び背中をさする。今度は、もっと優しく、もっと温かく。


「大丈夫、大丈夫ですよ」


 まるで、怯えた子供をあやすように。


 男は慌ててフードをかぶり直す。その手が、かすかに震えていることに、シャーロットは気づいていた。


「ひ、久しぶりの……食事だったものでな」


 絞り出すような声。五百年ぶりの動揺を、必死に隠そうとしている。


「久しぶり……?」


 シャーロットの胸が、きゅっと締め付けられた。


(この人は、どれだけ長い間、一人で……)


「お料理は逃げませんから」


 優しく微笑んで、もう一度、そっと背中を撫でた。


「ゆっくり、味わってくださいね」


「……すまぬ」


 その言葉には、食事を急いだことへの謝罪だけでなく、もっと深い何かが込められていたような気がした。


 その後、男は一口一口を、まるで宝物を扱うように大切に。時折目を閉じて、深く味わい、そして――かすかに、本当にかすかに、口元が緩むのをシャーロットは見逃さなかった。


 やがて、皿が空になる。


 男はしばらく、空の皿を見つめていた。まるで、夢が終わってしまうのを惜しむかのように――――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る