影伸びる団地にて。

うめつきおちゃ

第1話 第一話 鳥居

 地上五階からここまで全速力で階段を駆け下りた俺は、疲労と足の痛みで膝に手をつき、上体を丸めた。

 

 膝が痛い。

 

 肩を大きく上下させ、必死に息を整える。

 《優奈》も俺と同様に、息を切らしている様子だ。


「……ねぇ、なんなの《アレ》?あんなの、……来たときはなかったじゃん」

 

 その質問に答えられず、俺は身体を起こしながら首を振った。

 

 

 優奈の言うアレが、上の廊下で聞こえてきた“アレ”のことか。

 それとも今、俺たちの目の前にある――この異様な“何か”のことか。

 どちらにせよ、俺には答えられない。


 


 背後には、たった今降りてきた五階建ての集合住宅。

 道路を挟んだ向こう側にも同じ建物が見える。いわゆる普通の《団地》ってやつだ。

 

 道路とここの間には、歩道があるのだが、剪定されていない街路樹と成長しすぎた雑草が生い茂り、道としての機能を失っている。

 どれだけの期間、放置されたのだろうか。

 

 放棄された子供用の玩具や、枯草まみれのプランターなんかをいくつも見かけたのだが、未だ人の気配はどこにもない。


 ――だから俺たちは、ここを普通の《廃墟》だと思っていた。

 ただの古い、人のいなくなった田舎の団地。

 そう思い込んでいた。


 だが、コイツが『そうじゃない』と雄弁に語っている。

 ここはマトモじゃない。

 

 ――くそっ、佐々木のヤツ、どこまで知ってて俺を……。


 


 赤黒く、血を連想させるような不気味な色をした《鳥居》が、月の明かりに照らされて、生き生きとしているようにすら見える。

 

 道路のど真ん中に《鳥居》。――そんなことありえるか?

 誰がどう考えても邪魔だ。

 もしかしたらある場所にはあるのかもしれないが。

 


 残念ながら――こんなもの、俺たちがこの団地へ来た時にはなかった。

 

 もしこんな不気味なものがあったのなら、誰かが言及しただろう。

 こんなデカくて、存在感があって、異質なものを見落とすはずがない。

 


 階段を駆け下りる最中に、これが目に入って、それからずっと考えていた。

 

 もしこれが来た時になく、今こうしてあるのなら――それはこれが『どこかからやってきたことになるのか』。

 降って来た?湧いて来た?隠れていた?

 いや、どれもあり得ないだろう。

 そう、――普通なら。


 


 俺はおもむろに、無意識に、誘われるように道路へむかって歩き出す。

 

 階段の正面が、切り下げになっていて、他の場所と違い草木に邪魔されず道路へと出られる。

 過去ここに居た住民たちは、ここから自転車などを乗り入れていたのかも。


 

「ねぇちょっと!どこ行くの!?」

「……いや、ちょっと正面から見てみようと思って」

 俺はあの《鳥居》を、ずっと側面からしか見ていない。

 

「は?え……平気なの?やめとこうよ……」

「さあな、でも――」

 

 正面から見たら、なにかわかるかもしれない。


 抑えられない好奇心に、一抹の言い訳を添えて、俺は道路に出る。

 


 梅雨が早々に開け、連日バカみたいな熱帯夜が続いていたはずなのに、ここに立った瞬間、思わず腕をさすってしまうような寒気に襲われた。

 階段を駆け下りたことで温まった身体が、寒さで震え出す。

 

 

 「はっ、……なんだよ、これ」

 《鳥居》の正面に立ち、じっくり観察してやろう。と顔を上げたところで、俺は言葉を失った。


「さっきの叫び声といい、絶対おかしいよ。……もしかして私が見落としてただけで、これって最初からあった?」

 

 横から聞こえる声が近寄ってくる。

 優奈も道路に降りたのだろう。

 俺はまだ、声を出せず、目も離せないでいる。

 

 彼女は、……優奈はそれに、まだ気づいていない。


 

 


 

 こうして正面に立って見ていると、これは鳥居というよりむしろ、――門のように見える。

 

 ――もし、門だとしたら、これはどこと繋がっているんだ。

 異世界?魔界?地獄?

 なんにしても馬鹿げているし、ロクなもんじゃない。考えるだけで嫌になる。

 

「ねぇ、何見て――」


 

 中世の罪人のように吊るされ、鮮血を滴らせながら揺れる《塊》を見つけた優奈の叫び声が反響する。

 なんて声をかければいいのかわからないまま、俺はここへ来た経緯を思い出して後悔していた。


 

 

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