第6話「父の照れ隠し」

目の下に深いクマ、ほんの少し悪い顔色。

「あーまた眠れない夜が来た」

絶望を滲ませた声で嘆きながら優しく僕を抱きしめる。


僕がもし話すことができたら安心させてあげるのに、動くことができたら、この手でそっと頭を撫でるのに。

せめて少しでも眠れるように、願いを込めてそっと寄り添う。



何度もメッセージを打ちかけては消してを繰り返し、当たり障りのないメッセージを何気ない風を装って送る。

「淋しいよ」言いかけて飲み込んだ。

意固地だの天邪鬼だの言われた遠い昔の記憶が蘇る。

懐かしい温かい記憶。

温かい記憶がまだ胸の中にあるから、一人でも大丈夫。嘯いて笑った。




何も聞きたくない

耳を塞いで

何も見たくない

目を閉じて

布団を頭までかぶって

「このまま死ぬまで寝ていたい」

神様なんていないから叶うわけもない願い

不器用で生きづらい世の中

どう足掻いても明日なんて見えなくて

「明けない夜はないよ」

そんな気休めなんていらない



「私に肩掛け編んでくれてるの?」

あたしの手元を見ておばあちゃんが言う。

「違うもん、あたしのマフラーだもん!!」

「よく見て見なさい」

言われて手元を見ると、確かに肩掛け。

ため息をついて、編み棒を引き抜いて勢いよく解き始める。

ふと思い出す、温かな冬の思い出。




別れは避けられないのだから今は目一杯笑おう、その日が悲しくないように。

思い出になる食べ物を一つ作ろう、飲み物だっていい。

ふとした瞬間に思い出してもらえるように。

もし別れが来たとしてもさよならは言わないし、またねも言わないよ。

あなたがどこか遠くで幸せでいることを祈るだけ。




最初に忘れるのは声、最後まで覚えているのが匂い。

あなたの名前も顔も思い出せなくなったとしても、きっとあなたが作ってくれた料理はきっと思い出せるんだろうな。

だって一番大好きな味で匂いだったから。

いつもおいしそうな匂いをさせていたあなたの匂いはきっと一生忘れない。



静かな足音を立てて忍び寄る冬に隠れて、このままそっと消えてしまおう。

鳴るはずのないスマホに静かに目を向け、ため息をつく。

傷つけて壊したのは私の罪。あなたは何も悪くない、だからごめんね。

困らせたくないとか耳障りのいい理由を並べずに無言で去ることを最後の我儘と許して欲しい。



声が聞きたくなって、記憶の中から君の声を探すけど聞こえない。

あんなにたくさん話したのに、会話の内容は思い出せるのに声の温度も優しさも声質も思い出せない。

どんどん消えていく。

思い出の中から君が消えていく。

まるで泡みたいに弾けて、音もたてずに消えていく。



人の気持ちなんて移ろい変わるもの。

前に伝えたからそれでいいって思わないで欲しい。

態度で伝えてるから分かれとか、それはちょっと酷いと思う。

その態度でさえ伴わないときは、普通は嫌われたって思うよね?

嫌われてるってわかってる相手には連絡しないでしょ?

それこそ態度でわかって。



小さくて冷たい手を握る。

痩せこけて小さくなった母の手。

いろんな服を作ってくれて、髪の毛を結ってくれて、おいしいご飯を作ってくれた魔法の手。

あの味を再現したくて作り方を聞いても、コツを聞いても同じ味にならない母の味。

今でも変わらぬ優しい魔法の手。

憧れた母の手。



「父の照れ隠し」


酔っ払った父が部屋にやってきておもむろに手元を覗き込んで、ニコニコしながら居なくなった。何だったんだろう?

喉が渇いて下に降りていくと「これ作りたかった?」困り顔の母とテーブルの上に完成したビーズ細工。

あたしは首を横に振る。

「あなたを喜ばせたかったのよ」と母が笑った。



おぼつかない手元を見て笑う両親。

「どれ、貸してみろ」酔っ払った父が編みかけのマフラーを奪う。

「俺もまだいけるな」自分で編んだ編み目を見て言う。

「こんなに器用な両親揃ってるのにね」なんて笑いながら母が言う。

心の中で似なくて悪かったね、どうせなら似たかったよ、と悪態をつく。



「冬の夜の思い出」


名言でみんなが励まされたりするわけじゃない。

どんなに素敵な言葉だって誰かを傷つける刃物になる。

落ち込んでるときに言われたら、相手にとってはそれが毒になる。

言葉はとても難しい。

救われることも毒になることもある。

どんなに優しい言葉でも安易に使ったら誰かを傷つける。




一方的な想いを伝えるだけで、あなたからは何の手応えも感じない。

側にいたいのにどんどん遠ざかる、あなたが。

凍えた手を温めるように心も温められたらいいのに。

手の中のミルクティーが温くなっていく、まだ手が温まっていないのに。

凍えた手も心もどうしたら温まるんだろう。


 

「冬とミルクティー」


「よくそれ飲んでるな。美味いの?」彼が言う。

「このミルクティー好きなの」と温かな缶を両手で包み込む。

後日。

「いつもお前が飲んでるの箱買いした。美味いな」彼が言う。

美味しそうに私が飲むから気になったらしい。

彼の豪快なところが好きだった。

雪の中に消えていった初めての恋。



「お母さんのもつ煮食べたいなぁ」

母との電話中にぽつりと呟く。

似たような味のものは自分でも作れるけど、恋しくなる母の味。

「今度作ってあげるから帰っていらっしゃい」

少しうれしそうな母の声に思わず笑みが浮かぶ。

これが私にできる精一杯の甘え。

今度、いつ実家に帰ろうかな。



はらはらと降る雪を子供のような瞳で見つめている君を気づかれないようにそっと見つめた。

冬なんて寒いし、雪なんて最初はすぐべちゃべちゃになるし、汚いし邪魔だとしか思ってなかったけど、子供のような瞳で嬉しそうに見つめている君の顔を見ていたら冬も雪も案外悪くない気がした。


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