第24話 模倣者 ゾル

風が、少しだけ柔らかくなった。

 (灰の城を出てから、もうどれくらい歩いたんだっけか。)


 空は相変わらず薄汚れた灰色なのに、頬を撫でる空気に、ようやく“焼けた血の匂い”が混ざってきた。


「ゾル、遅れてるぞ」


 前を歩く盲目の男――カインが、当たり前みたいな声でそう言った。

 見えてないくせに、足音か風の流れか……なんでか知らないけど、アタシが半歩遅れてるのをきっちり拾ってくる。


「はいはい。今追いついたっての」

 わざと大きめの足音を立てて、横まで歩幅を合わせる。

 その横顔は、やっぱり何も映していないはずなのに、表情だけはやけに整っていてムカつく。

 世界に喧嘩売ってるくせに、顔はやけに真面目なのも気に入らない。


「疲れたなら休むか?」

「誰が?!」


あたしを老人扱いしやがって。


 適当に吐き捨てると、その後ろからスピアが「ゾル姉、老人じゃん」とか言ってきて、ミルダが「バフバフ」と笑ってきたので、

思わず全員まとめて矢で射抜きたくなった。


 ……ま、こういうバカみたいな掛け合いを、アタシは嫌いじゃないけど。


 灰の城での戦いはきつかった。

 使徒の残骸が再構築されて、正直、ああこれダメかもしれんって思った。

 99%の模倣矢じゃ届かない、ってあそこで骨身に叩き込まれたしね。


 けど、あいつは迷わなかった。

 カインだ。腕を焼かれても、怨嗟の剣を握り直して、正面からぶつかっていった。

 普通なら折れるところで、あの男はなぜか一歩、さらに一歩と前に出る。


 本当に、見えてないのかね。

 世界の醜さも、自分の血に染み付いた怨嗟も。


「……ゾル? 黙ると怖い顔になる」

 イーヴァーが振り返って、ちょっとだけ眉をひそめた。

 この元使徒様は、何かとアタシの表情の変化に敏感だ。聖女気質ってやつかね。

「怖くねえよ。ただ考え事してただけ」

「考え事するゾルは、だいたい突っ走る前の顔だ」

「それは否定できねぇ」


 肩をすくめて笑うと、イーヴァーも少しだけ口元を緩めた。

 この女、元使徒って話だけど、雰囲気が他の奴らとはまるで違う。


もっと無機質で無関心で信仰のこととなると、四の五のいわせない奴らなのに。

こいつは違う。


焚き火の前で欠伸なんかしているし、すぐにキレるし、泣きべそ掻くって話もきいてるしな。


「ねえねえ、ゾル姉」

 肩のあたりでスピアの声が弾んだ。ミルダの背にちょこんと乗って、尻尾をぽふぽふ叩きながら、こっちを覗き込んでくる。


「あのね、さっきからカインと歩幅合わせてるでしょ? ……すきなの?」

「誰が?」


 即答した。スピナは「ふーん」とか言いながら、意味深な笑みを浮かべている。

 この零体のガキは、たまに人の心の中、

ずかずか入ってくるから怖い。

 でも、嫌いじゃない。


 アタシの“好き”なんて、とうの昔に戦場に置いてきたつもりだ。

 矢を引く指は、背中を撫でるためじゃなく、誰かの息の根を止めるためにある。

 それでいいって思ってた。

 ……思ってた、はずなんだけどな。


 あの灰の城で、カインが腕を焼かれながら剣を振るう姿を見た時――

 アタシは思わず叫んでた。

 「下がれ」って。

 あの男は、こっちを振り向きもしなかったけど。


 何だろうね、この感じ。

 守りたい、でも勝手に死ぬなら文句は言わない、そのくらいの距離感が一番楽だってわかってるのに、気づくと目で追ってる。


 盲目の男の背中が、やけに頼りなく見えるからか。

 それとも、あいつの歩く先に“世界の終わり”が見えてしまうからか。


「……ゾル」

 また名前を呼ばれた。今度はカインだ。

「なんだよ」

「矢筒の中、一本だけ癖のある矢が混じってる」

「は?」

「重さと音が違う。さっきの戦いで、使いそうになったやつだろう」


 こいつ、どこまで聞いてるんだ。

 試しに矢筒に手を入れてみると、確かに一本だけ、重心がわずかにズレた矢が残っていた。

 さっきの混戦で無理やり生成して、形が歪んだやつだ。


「……よく分かったな」

「お前が作ったのは大体覚えてる」

「壊れたのは状況のせいだ。あたしの腕じゃねえ」

「どっちでもいい。次の戦いで、真っ先に修正しろ。癖矢は、仲間に当たる」


 イラっとした。

 けど、同時に胸の奥が少しだけ温かくなった。

 あたしの矢の癖を覚えている。

 それはつまり、あたしの“戦い方”をちゃんと見てくれてるってことだ。


「……了解。隊長」

 冗談めかしてそう言うと、カインは少しだけ口元を動かした。

 笑ったんだと思う。

 見えないくせに、そういう時だけ素直に顔に出すんだから。


 アタシは少し歩幅を早めて、彼の半歩前へ出た。

 こうして前に出ていると、何となく落ち着く。

 あいつの前に矢を置いてやれる位置。

 危ないものが飛んできたら先に射ち落とせる場所。


 守るだなんて、おこがましい。

 けど、“背中を預けられてる”と自覚してしまった以上、もう目を逸らせない。


「……はぁ。面倒な男と組んじまったな、あたし」

「聞こえてるぞ」


 カインに目くばせをし、小さく息を吐く。

すると、肩の上でスピアが「にやにやしてる」と囁いた。

「してねえ」

「してるー」

「してないっつってんだろ」


 イーヴァーが振り返って、呆れたように笑う。

「やっぱり賑やかね、あなたたち」

「そっちこそ。“元使徒様”のくせに、この前スピアと喧嘩してただろ」

「……それを覚えているゾルも大概」


 そのやり取りに、カインは何も言わない。

 けれど、歩幅がほんの少しだけ軽くなった気がした。


 この旅は、まだ終わらない。

 私の村を破壊したやつも、この世界にいるはずだ。

 笑ってる余裕なんか、本当はないはずだ。


 それでも――

 こういうどうでもいい会話を続けていたくなるのは、きっとアタシも、もう“戦場だけの人間”じゃなくなってきたってことなんだろう。


「……ま、悪くないか」

 誰にも聞こえないくらいの声で呟いて、足を進めた。

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