第2話 3節 発見と応用

 で、約束通り、謎の権力に家をわれることなく、わたしに明日は来た。


 朝、いつもの時刻にセダンに揺られて千知岩さんはやってくる。それを裏門で出迎えるのが、わたしに明言された唯一の命令だった。


「おはよう」


 わたしはド緊張しながら声をかけた。千知岩さんは例によって、一目見ただけで「お嬢様だ」と思える流麗な仕草で車から降りる。


「ごきげんよう。出迎え、ご苦労様。今日の天気は全国的に晴れ、湿度は少し高めで過ごしやすい一日になるみたい。午後の授業は居眠りに注意ね。運勢トップは乙女座、ラッキーアイテムは……そろばん。現代で持ち歩いている人がいたら会ってみたいかも。私的には電卓でも代用が利くんじゃないかと思ってるけど、じゃあ関数電卓はどうなの? って案配で、最終的にパソコンまで許される気がしたから、電子機器なら何でもオッケーってことにしましょう」

「……ちゃ、ちゃんと喋るようになってる!」


 修理から戻ってきたAIスピーカーがちゃんと直った時みたいな感想が出てしまった。千知岩さんは眉をひそめる。


「朝一番からなに?」

「いや、昨日の帰りに少し気まずい感じになっちゃったから、その、気にしてて……」

「あら、そんなこと。全然気にしないでいいから。というか、気にしないで。忘れて。もう口にしないで。昨日の帰りがけにはなにもなかった、いい? わかった?」

「い、イエッサ……」


 本人もめっちゃ気にしているようだった。

 ただ、千知岩さんの中で、この件についてはそれで終わりらしく、というか、そんなことよりももっと話したいことがあるらしく、「ところでそろばんと言えば、私、珠作り職人の方と──」と、いつものように長々と喋り始めた。わたしもわたしで、もはやお嬢様だからとかいう忖度抜きで、「ニッチが過ぎる」と思ったことを差し挟んでいく。少し前までの非日常が、はやくも日常になり始めている。


 しかし、そうして自分たちの教室に向かっている間にも、わたしには考えていることがあった。

 実はすごく平和的な方法で、千知岩さんを静かにすることができるんじゃないか、と。


 ◇ ◇ ◇ 


 その日は、事件があった。

 わたしたちのクラスの英語の先生は、インタラクティブに授業をしたいタイプの人で、その日はクラスの空気をくすぐりたかったのかわからないけど、うっかり千知岩さんに英語で雑談を振ってしまった。

 千知岩さんはアメリカの小さな日本人学校で過ごした帰国子女で、ばっちり英語圏の環境にも浴してきたらしい。待ってましたと言わんばかりに、堰を切ったような勢いで喋り始めた。英語で。


 一応、この教室にはわたしを除いてレベルの高い生徒ばかりだけど、それでも千知岩さんの本場仕込み(?)のマシンガントークについていける人はいなかった。先生はオーケーオーケー、ザッツイナフ、と言っているが、あんまり効果はない。

 いつもならこういう時、(偶然にも)隣の席のわたしが「尺を使いすぎ」といさめるところだけど、あいにく英語でなんて表現するのか知らなかったので、それもできない(日本語でも別に良いだろ、と気づいたのは後の話)。


 これはピンチだ。このままでは、先生がブチ切れて千知岩さんがしょんぼりしてしまうか、千知岩さんの独擅場で授業が終わって先生の中の教育哲学に疑いが生まれてやさぐれてしまうか、どちらかのエンディングが待っている。

 未来はわたしにかかっている、ような気がした。

 ためらっている場合じゃない。試してみよう、千知岩さんを、強制的に静かにする方法を。

 わたしは意を決すると、ぐっと腕を伸ばして、楽しそうにお喋りする千知岩さんの、ちょこまかと動き回る右手を取った。


「ひゃっ!」


 千知岩さんはぎょっとした顔で、お喋りをぴたっとやめた。目をまん丸にして、わたしのことを凝視している。握る右手にもわっと熱がこもった。

 そうして、千知岩さんは静かになった。試みは大成功だった。

 ただ──わたしは、わたしに対して一挙に集まった視線に対するアンサーをしなくてはならなかった。当事者の千知岩さんは黙りこくり、先生はぽかんとしている。クラスメイトはいつもの付き人が、オチをつけるのを待っている。

 わたしは、自分の能力で放てる精一杯の英語を口にした。


「ビ、ビークワイエット……」


 恥ずかしすぎる。顔から吹き出た火で鉄板焼きが作れそうだった。

 でも、そんなわたしのしょうもない英語に従うように、千知岩さんは喋らなかった。もじもじと視線をきょろきょろして、顔を真っ赤にしている。


「サ、サンキュー、フネタ」


 英語の先生は汗をふきふき、とりあえず収集がついたことにホッとしたようだった。わたしは千知岩さんと一緒に、逃げるように着席した。

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