第11話 前世 ①

 ガラスの箱が見えた。

 鍵がかけられているが、それに触れようとするとまるでゼリーか何かのように溶けていき、やがて跡形も無く消えた。

「——魔王様」

 今見えている景色が私のものでは無い、と言うことに気づいたのはその時だった。

 声に反応して、私の意思とは無関係に視線が移動さた。初めて、ガラスの箱があったローテーブル以外の景色が視界に現れる。

 荘厳な城だったのだろう。そう思われるような調度品や、壁の設えがところどころに見える。

 だが、そのどれもが崩れ、壊れ、そして燃え尽きていた。かつての完璧な姿を保っているものは一つもない。

 こちらに向かって「魔王さま」と声をかけて傅いているのは、数人の異形の者達だった。完全に化け物みたいな姿の者もいれば、人間にも似た姿の者もいる。

 恐らく、彼らが魔物と呼ばれる存在で——、

(そして、多分これが)

 過去の私と思われる魔王アルトリン——周防さんが姫ちゃんと呼ぶ存在の視点なのだろう。

 勇者は過去の勇者の記憶を保持していると言うけど、前世の魔王の記憶まで持っているなんて聞いていない。

(でも、前世の記憶が——なんて話は偶に聞くし、こういうこともあるのかな)

 と、私は妙に冷静だった。

 或いは、これは夢だとも思っていたのかもしれない。

「コルネリアは——無事?」

 アルトリンは優しい声色で控えている者に訊くと、一際大きな体躯を真っ黒い金属の鎧で身を固めている男が豪放磊落に笑いながら答えた。

「無事に落ち延びたそうです。あやつのことですから、散逸した部下達を集めて再度、こちらに向かうでしょうな」

「ふぅん……、じゃあ、君達ももう逃げていいよ。出来ることならさ、もう戦わなくても良い道を探してよね」

「それが魔王さまの望みであれば」

「うん、それが望み。間違っても私の仇討ちなんて考えないでよね」

「はははは。コルネリアじゃあるまいし、そこまで我々は浅慮じゃありません。では、我々はこれで。願わくば、魔王様のお望みが叶わんことを」

「うん、これまでありがとうね」

(コルネリア……周防さんの、前の名前、だよね)

 となると、これはやはりアルトリンの記憶。姫ちゃんと親しまれた魔王らしい、優しい声色は、とても魔王には相応しくない。

 アルトリンは再度、ローテーブルの上を見た。

 そこに、溶けた筈のガラスの箱が元の姿に戻っている。

(………これな、何だろう)

 部下達が各々立ち退いた広間の中で、アルトリンだけが何かを決意するように、ただそのガラスの箱を見つめていた。

 次第に騒がしくなる。声にならないような小さな声で、アルトリンは「来たか、勇者」と呟いた。

 そこからは、何が起きたのか理解できなかった。

 想像してもらうと分かりやすい。

 一人称のゲームで激しい戦闘が繰り広げられている景色を。それも、自分の意思で動かないのだ。

 私には何が起きているのかさっぱりだ。

 だが、十数分に及ぶ激しい戦闘は、どうやら勇者らしき男に軍配が上がり、組み伏せられたアルトリンが勇者を見上げた。

 勇者の剣がアルトリンの喉笛に向かって勢い良く振り下ろされる瞬間、死の間際、アルトリンは咄嗟に視点を移した。

 ガラスの箱の鍵は、いつの間にか、空いていた。


 ◇


 じっとりと、汗をかいて飛び起きた。

 夢ではないことは分かっていた。記憶の連続性——いや、自我の連続性がそれを夢ではないと主張しているからだ。

『起きましたか、ミサキ』

『うん、おはよう』

 私が起きるのを待ち侘びたという風に、鑑ちゃんは直ぐに声を掛ける。

 鑑ちゃん曰く、私が寝ている間暇らしい。スキルには睡眠が無いようだ。

『随分とうなされていましたが……』

『前世の魔王の頃の記憶をね……見てたんだ』

『ええ……今頃中二病ですか?と、揶揄いたいところですが』

 と、鑑ちゃんは考えるように呟く。

『取り敢えず、学校行く準備しなきゃ』

 色々気になることはあるが、兎にも角にも現実世界の日常は、案外というか存外というか、そう易々と何か一つの思考に沈思するという時間はあまり無いのである。


 朝の準備を終えて、寒い年末の通学路を歩きながら、ようやく鑑ちゃんと朝見た過去の記憶について話す時間ができた。

『ガラスの箱……ですか』

『うん、アルトリンは死の間際、それを見ていた』

 それが何なのか。

 アルトリンの視線は、死が間近に近づいている者のそれではなかった。

 期待や希望——そういう感情すら感じ取れた。

『私もその記憶が見れれば、鑑定出来るんですけどね』

『それが出来れば良いのだけれど……、うーん』

 偶然見えた記憶、と片付けるのは簡単だけど、多分フラッシュバックの様に夢の形をとって記憶が表面に現れたことには何かの意味がある。

(アルトリンの意思なのか……)

 それとも、私自身の意思か。

 ただ、分かったことは。


(多分、私は——)


 確信を持って言える訳でも無いが、一つの真実が、つと、他人に刷り込まれた前提知識のように脳裏に浮かんでいた。

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勇者と魔王のタイムラプス カエデ渚 @kasa6264

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