第10話 欠ける記憶

「ん?」


 まぶたを開ける。最初に認識した知らない天井で、俺はすべてを悟った。

 これは、またやってしまったか。自分の部屋ではない場所で目覚める、それは自分の失態を意味している。


 頭はすっきりしている。そのまま寝てしまったのが、よかったのかもしれない。下手すると、一日ぼんやりすることがあるからな。


 周囲を確認しようと起き上がろうとして。


「せ、センパーイッ!」


 突撃してきた何かを受け止めるのに精一杯で動きが止まる。そいつは、俺の胸に顔を押しつけていた。その二つに結った髪は見覚えがある。

づき?」

 顔を上げた都築の目は真っ赤だった。新しく、流れ出した涙でれている。


 ああ、これは。本当にやらかしたか。しまったなぁ。


 何か言おうと考えてみるも、俺自身あんまりハッキリとしたことが言えない。おそらくそうだろう、としか現状を把握できていない。

 さて、どうするかな。誰か教えてくれるといいんだけど、そんな都合良く……。


「おや?」

 視界の奥に足が見えた。ゆっくりと、上に視線をうつす。

「ひえ」

 俺は息を飲んだ。


「おはようございます、おき

 そこには仁王立ちですごんでいるしずがいた。その態度で、ぼんやりとした把握が確信に変わった。

 ああ、これは怒っていらっしゃる。背中に冷たい汗を感じた。

「まぁ、あたしが言わなくても分かってるよね。あんたがしなきゃいけないこと」

 俺は、何度も首を縦に振った。その姿に、静谷は視線をまだ俺に抱きついている都築に向けた。そして、組んでいた腕を解いて、手のひらを上に向けて都築に向ける。


「沖田、説明」

「はい、分かりました」

 誠心誠意、対応させていただきます。俺は、くっついている都築を何とか離した後、正座で床に座り直した。


 それから、なぜか向かい合って同じように正座をしている都築に事情を説明することになった。ちなみに、静谷は俺の横でにらみをきかせている。


「きおくしょーがい?」

 都築はぽかんと口を開けて復唱してきた。これは仕方ない。たぶん、あんまり聞かない言葉だろうからな。少なくとも、身近では無い。


「ああ、うん。俺、事故で記憶を無くした時があってさ」

 内容が内容だから、努めて明るく話す。実際、自分もおおごとにしたくないという思いがある。

 まぁ、だからこそ、説明不足でこういう事態になっているんですけどね。反省しているので、そんなににらまないでください、静谷さん。

「まぁ、それは結構回復したんだけど、ちょっと後遺症みたいなのがあって」


 事実、今は昔のことも思い出せるし、そりゃ、思い出せないことはあるけれど常人の物忘れと同レベルだと思う。新しく記憶する方も問題は無い。問題は無いけれど。

「その事故ってのに関する記憶だけは絶対に思い出せなくてな。無理に思い出そうとすると、頭痛がひどくなるし、下手すると気を失う」

 それが今回の事態です。最近、こういうのなかったのになぁ。

「……まぁ、こうしてその話ができるようになっただけ、前よりはマシだけどね」

 ずっと黙っていた静谷が口を挟んできた。

 静谷の言うとおりだ。ちなみに、今は軽い頭痛がある。それでも気を失うことなく話ができるだけでも、ずいぶん回復している。

 だからこそ、油断していた。まだ、治ったわけじゃないのに。


「あー、あと」

 俺は窓の方を見た。もうすでに暗くなっている。やっぱり、はっきりとは分からないが、原因はアレだろうな。


「俺が思い出そうとしなくても、何かのきっかけで発作的に思い出そうとしてしまうことがあって。いくつかあるんだけど、今回はあれだろうな、たぶん」

「それって」

 静かに黙って聞いていた都築が口を開く。


「夕焼け、ですか」


 その単語を聞いて、頭にズキリと痛みが走る。ただ、それだけだ。最近は覚悟して向き合えば何とかなっていた。見ても、そこまで気持ち悪くならない。

 あえて言うなら。それはしてはいけないと分かってることで言うと。


「ああ。もしかして、俺、いきなり見ちゃったりした?」


 それは、まいったなぁ。準備ができてないと、俺もどうなるか分からない。

「いつもは気をつけてるんだけどな。調子乗っちゃダメだな、ほんと」

「……」

 そんな感じで軽く話していた俺だったが、それを聞いた都築の様子がおかしい。ぷるぷると震えだし、うつむいてしまった。ぎゅっ、と両方の手を握りしめている。

 どうしたんだろう。そう思っていたら、いきなり都築が床に頭をつけた。


「大変申し訳ありませんでした!」


 これは、土下座だ。

 しかし、れいに丸まっているせいで猫に見えてしまう。ああ、あれだ。これは、ごめん寝というやつだ。真剣な都築には悪いが、俺は何かホッコリしてしまった。


 いやいやいやいや。

 だめだろ。ちゃんと向き合ってやらないと。


「え、えっと。どうした、都築」

「わ、私が不用意にカーテンを開けてセンパイを呼んだりしたから、センパイはこんなことに」


 ああ、そういうことか。それで、覚悟なしで見てしまったんだな、俺は。ほんと、頭痛さえ我慢すれば、夕焼けの中でも外に出れるくらいにはなったのに。難儀な体だ。

 でも、それこそ都築のせいじゃないよな。全部、俺のせいだ。静谷が怒るのも分かる。


「あー、言ってなかった俺が悪いよな。すまん、怖がらせた」

 知り合いのこんな場面、見たくないよな。俺も嫌だってのに、配慮が足りなかった。


「で、でも」

「それより、俺はちゃんと約束を果たせたか?」

 顔をあげた都築がまだ何か言いたそうにしているのを遮って俺は聞いた。気になって、仕方が無かった。

「え、約束って」

「ほら、指導してくださいってやつ。朝は何にもできなかったから、ちゃんと教えれたのかなって」


 そこまで言って、きょとんとしている都築の様子に気がついた。横から大きなため息が聞こえる。コツン、と頭を軽くたたかれた。

「沖田。説明不足」

「ああ」

 そういうことか。それは意味が分からないよな。ほんと、都築には悪いことばかりしてる。

「実は放課後のこと、よく覚えてないんだ。俺、ちゃんとやってた?」

 都築はようやく俺の言っていることが理解できたのか、小さくうなずく。

「はい。それはみっちりと」

「……そんなに?」

 ちょっと都築が思い出すのが嫌そうな表情を見て察した。どうやら俺は熱が入りすぎたようだ。これも悪い癖だが、どうも直らない。


「こういう状態になると直近の記憶が飛んでるときがあって。今回も、うん、何で倒れたのかも思い出せないし。都築との約束だけ覚えてるから、どうしても確認しておきたくてな」

 正直、気持ちが悪い。約束を守れない、そんな俺が気持ち悪い。

「どこまで覚えてる?」

 静谷が俺の顔をのぞき込んできた。

「そうだな」

 それを聞いて、あらためて思い出す。朝と昼は問題なさそう。授業内容も大丈夫だ。問題は放課後か。都築の相手してたんだろうに、それはからっきしだな。

 一番近い記憶だと。


「先生とはにの論評してたな」

「はぁ?」

 俺の言葉に静谷は首をかしげた。確かに急に出てきたら驚く単語だよな。

「なんで、はにの話を」

 静谷はぐるっと教室を見渡す。そして、ある地点でかみ合うように止まった。


「うわっ、ほんとにはにだ。何、あれ」

 きようしんしんと言った様子で駆け寄る静谷を見て、都築がぷるぷると震えていた。顔を真っ赤にしている。これは恥の感情か。

「はて?」

 都築は何をそんなに恥ずかしがっているのだろうか。俺は俺自身の記憶を探って、小さくうなずいた。


「……ああ、あれ都築の作品だったか」

「センパイ、そこは忘れたままでよかったです!」

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