謝不×謝不 〜業人の妄想が現実になった日〜
フライエンの酒場
第1話 非現実の王国へ
「……やっとできただで……」
畳の上に座椅子もなく、体育座りでスマホを握りしめたまま謝不は小さく息をついた。
浜 謝不(はま・しゃぶ)、35歳、独身・無職・童貞。 まともな職歴もなければまともな人間関係も持ったことがない。そんな業人が最後に賭けたのは、自分の妄想を“小説”という形で世界に叩きつけることだった。
女は皆自分の”モノ”。男は皆俺の”奴隷”。
――彼は狂気に囚われていたのだろうか。否、彼にとってはそれが”真実”だった。
妄想とAIのタッグによって生まれたまさに”夢”の物語。そんな自己投影と、ある種の自慰行為まみれの小説を、彼は「皆が読んでくれる」と本気で信じていたのである。
SNSに投稿された最後のポストにはこう書かれている。
『第81章「謝不、世界を救う」投稿しました。
これで、この物語は、一旦終わりです。
アンチの妨害も、ありましたが、完結できました!
それじゃ、またのーう!!!
#謝不物語』
本当は、まだ描くはずだった続きもあった。
でも、完結である。彼の中ではちゃんとやりきったのだから。
――そう、“未完成なのはアンチのせい”であって、彼のせいじゃない。
読んでくれた人など実際には存在していない。いいね数はゼロ。リプライも通知も何も来ていない。けれど、謝不の中ではそれでよかった。
「読まれてないんじゃなくて、読める奴がまだおらんだけや。きっとガチ恋女子はちゃんと見とるだで。そんでそんで…」
スマホに向かって朝5時からずっとブツブツ呟き続ける姿を、父親は廊下を通り過ぎる際半開きのドアから少し一瞥した。しかし父親は何も言わずそのまま去っていった。もうどうにもならないと諦めていたからだ。
部屋は暗く、窓もカーテンも閉めっぱなし、ほとんど掃除をしていない部屋は垢と体液によって異様な臭いを放っていた。その最早部屋というよりも"座敷牢"とも言える部屋の中でブツブツと言い続ける。そして土倉謝不(つちくら・しゃぶ)という自らの作品の主人公が勝鬨をあげるシーンを眺めながら呟く。
「土倉謝不……お前は俺の分身や、いや俺自身か。せやお前が王になって終わったってことは、俺の人生も……ガチ恋ファンもいくらでも寄ってくるだで、それから…」
キリで穴を開けたような小さな細い目を更に細め、口をすぼめつつニヤニヤと笑う。こんな悪臭と不潔な座敷牢に住めば猫でも病死するだろう。しかしそこには確かに35歳無職童貞の――『人の形をしたモノ』がいた。そんなモノが妄想に耽りながら自分を慰めていたとき、画面が一瞬チラついた。
アプリが落ちたかと思ったが、見たことのないポップアップが表示された。
「物語の続きへ進みますか?──はい/いいえ」
「……は?続きってどういうことや?また二次創作やってるアンチか?そんなもん削除や!運営も仕事せんし!ほんまに終わってるだで!!」
謝不は怒りにまかせて何もこの状況を理解せず「はい」をタップした。
画面がぼやけたかと思うと、白い光がじわじわと視界に広がっていった。空間がにじみ、畳の感触も部屋の匂いも、音もすべてが遠ざかっていく。意識だけが、ゆっくりとどこかへ沈んでいった。光でもなく、映像でもない。意識そのものが、白に塗りつぶされていくような感覚だった。
「……う……お、おわっ……だでえええええぇぇ……」
身体の重さが消えていく。足元がない。座っていた畳の感触も、臭いも、消えた。手を伸ばそうとしても自分の指がどこにあるのかわからない。代わりに、別の世界の輪郭が意識に流れ込んでくる。
──やわらかいシーツ。
──干したての布団のぬくもり。
──清潔な香り。
「あれ……なんか……軽い?」
音が聞こえた、どこか遠くで。小鳥がさえずっている。目の奥が明るい。光が、暖かな日光がまぶた越しに届いていた。
「……っ」
まぶたを開けた瞬間、頭に電流が走るような感覚があった。
見慣れない天井。
「え……?」
視線を落とす。薄手のTシャツと、しっかりしたジャージ。腕。指。肌。骨格。全部、いつもの自分じゃない。
「これ、俺の身体じゃ……ない……」
ベッドの上で跳ね上がるように身体を起こし、周囲を見渡す。壁には高そうな音響設備、デスクには光るゲーミングPC、棚にはまるで自分のAI小説や途中で投げ出した小説が書籍化されたかのようなタイトルで並ぶ単行本たち。全てが自分の作った小説通りのレイアウトだった。
完璧だった。何もかも、“想像してた通り”の部屋だった。理想の自分が住む、理想の世界。
「これ……謝不の……俺の世界だで!」
鼻から漏れるような笑いが止まらなかった。目の前の現実が妄想そのものだったからこそ、疑う理由はなかった。
コンコンッ。
「謝不くんっ、朝ごはんできてるよーっ♪ 早く起きて〜っ!」
彼にとって聞き覚えのある声だった。いや、“見覚えのある台詞”だった。何度も自分の小説で使った、あのヒロインのセリフ。
「ま、まさか……詩乃?」
謝不はベッドから跳ね起き、部屋のドアへ向かってよたよたと歩いた。ドアノブを握る手が震えていた。
「夢ちゃうよな……これ?」
そっとドアを開けた。そこにはエプロン姿の少女がいた。長い栗色の髪。柔らかそうな笑顔。少し小動物っぽい動き。甘井詩乃(あまい・しの)だった。
「おはよっ、謝不くん♪ よく眠れた?」
その瞬間、謝不の脳が蕩けた。
「おほおおおおおおおおおお!!!」
理性が吹き飛ぶほどの大声を上げながら、謝不はその場で詩乃に抱きついた。半ば飛びつくような形だった。
「ガチ恋やろ!?ガチ恋やんな!?き、き、き、キス──ッ!」
フシィ、フシィ、と異様な呼吸音を口から漏らしながら、喋るというよりも叫ぶ。謝不の声帯で発せられたそれは、もはや人語ともつかない奇声に近かった。幸い――この世界の「謝不」は、彼が妄想の中で作り上げた理想のキャラ、土倉謝不の容姿をしていた。 詩乃は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐ普段のようにふわっと笑って言った。
「もぉ〜朝からテンション高すぎっ」
そのまま謝不の額を軽くペチンと小突く。
「またおふざけモードなんでしょ?ほんと、いつも通りなんだから」
そう、あくまでいつも通り。この世界においては土倉謝不が朝から暴走するのは珍しいことじゃないらしい。
「だ、だよなっ!?な、なぁ?キスは!?するやろ!?付き合ってるもんな!?」
「んー……はいはい。じゃあ、早く朝ごはん食べてきたら?あとでギューしてあげるからっ♪」
そう言って、詩乃は謝不の胸を軽く押して廊下の方へ促した。詩乃に背中を押されながら、謝不はゆっくりとした足取りで廊下へ向かった。
「……」
嬉しさが完全に消えたわけではないが、その顔は明らかに不満げだった。
(なんで今キスせんの……? “朝からテンション高いね”とかちゃうやろ……そこでキスじゃろが、ガチ恋ならわかるじゃろ……)
自分の妄想ではこうじゃなかった。こう言ったらこう返してくれるはずだった。想定から少しでも外れるとすぐに気に食わなくなる、そんな性格の男が謝不だった。
「……はあ」
小さくため息をつきながら、壁に肩をぶつけて歩く。詩乃はそれにも気づかず先を明るく歩いていった。初めて通るはずの空間なのに、何故か迷わずリビングへ辿り着ける。そのことにも謝不はなんの違和感も覚えなかった。
リビングには既に詩乃の姉である甘井玲音(あまい・れいね )がいた。紺のカーディガン姿で、背筋を伸ばしてダイニングの椅子に座り、スマホで誰かと通話していた。
「ええ、はい。スケジュールはそちらで合わせて……はい、それで問題ありません。ええ、ではまた後ほど」
その口調は冷静で隙のない言葉選び。誰が見ても「できる女」のオーラがにじみ出ていた。こちらに気づいた玲音は、通話口を手で覆いながらこちらを向く。
「おはよう、謝不」
一瞬だけ柔らかく笑ったが、すぐにまた通話へと戻っていった。
(おほおおおおお、玲音!ガチ恋女子ファン!)
謝不は妙な歌を歌いながらその場でクルクルと踊るように回った。
(体も軽いしガチ恋ファンもおるし、この世界最高だで)
詩乃が笑いながら、隣の椅子を引いてくれる。
「謝不くん、ほんっと玲音お姉ちゃんのこと好きだよね〜。最近また再燃してる?」
「怜音は100点!詩乃は80点!」
「えっ!?詩乃、下がってる!?前回95点じゃなかったっけ?」
「それは君の甘えじゃないかということや。さっきキスしろって言ったのに無視したやろが」
「も〜っなにそれ〜!」
詩乃は苦笑しながらも慣れた様子で流す。玲音も横目でやりとりを見ていたが、何も言わなかった。むしろその表情は慣れているというより、またかと呆れつつも受け入れているようにも見えた。
「謝不くん、朝は元気なのはいいけど、まずは落ち着いて食べよ?」
詩乃の声に、ようやく椅子に腰を下ろす謝不。だがその目はまだ興奮と欲望でギラついていた。
「はい、ええ、それで。では王宮で」
怜音は電話を切ると同じテーブルについた。その一連の所作もまた、謝不にとっては理想の女性のそれであった。
そして、まるで当然の流れのように事務的な口調で言う。
「謝不、今日の予定だけど──」
「ん?予定?なんの?」
「仕事よ。王宮で会合。その前に記念碑の除幕式。あとオンライン配信の収録もあるでしょ?」
「いや俺は王だで……なんで仕事せなあかんのや…」
そう、彼は王であった。作中で土倉謝不の指示により、彼に絶対の忠誠を誓うヒロインたちが戦い、”ダーク・AR・ウイルス・ドラゴン・キング”を打ち倒した。その功績によって、世界に平和をもたらした謝不は自然と国を治める王となった――という流れで物語は幕を閉じていた。無論、なぜそれが“自然”なのか、謝不も、仮に読者がいたとしても説明できないだろう。だがそれでも、彼は確かにこの世界では王だった。
そしてこの世界もまた――彼はとっくに当然のように受け入れているが――彼が打ち切るように完結させたその物語の延長線上にある。
「えっ……?だって、謝不は王になったあと、民のために働き続けるって宣言したじゃん?」
詩乃がパンをくわえながら不思議そうに首をかしげる。まったく悪意のない、純粋な信頼の目だった。
「いやーいまいちねー、やる気がおきないんですよね〜」
半笑いで肩をすくめる謝不。
(そもそも王ってのは、えらそうに玉座でふんぞり返ってるだけでよかったんちゃうんか?そもそもなんで俺が朝から働かなあかんのや)
「やる気って……仕事が山積みだから、みんなで分担してやろうって言ったの、あなたでしょ?」
玲音が静かに返すと、謝不は一瞬だけ固まった。
「アノ…ソノ…」
何かをぼやいたきりなにも言い返せず、ストレスからかクセで口だけが動いていた。
「まあ、朝は誰でもピリピリしがちだしね。うんうん、今日もがんばろ〜ね〜、王様♪」
詩乃が柔らかく笑いながら、冗談っぽく励ます。だが謝不はうつむいたまま黙って食事をするだけだった。
(オラは王だで?なんで仕事せなあかんのや…)
「ま、まあ……体調不良とかでどうしてもって言うなら、今日はなんとかキャンセルできるけど……?」
玲音が一応のフォローを入れた。その声にはただただ心配と気遣いしかなかった。 まるで謝不の言葉を一度も疑ったことがないかのように。 謝不は一瞬だけ考え込んだあと、わざとらしく咳をした。
「ゴホッ、ゴホッ、いや……熱はないか、いやあるんかな、あるかもしれへんわ。今日は仕事すんのやめとくわ」
「……そっか。無理しないでね、謝不くん」
詩乃は心配そうに微笑みながらそっとスープの位置を謝不のほうに寄せた。
「わかった、スケジュールは私が全部処理するわ」
玲音は静かにそう言って立ち上がった。その動きは落ち着いていていつも通りの彼女だった。ただ、去り際に小さな息をひとつ吐く。それは苛立ちでも呆れでもない。ただほんの少し、今日も忙しくなるなという感情の現れにすぎなかった。
だが謝不はそんな玲音の様子など一切気にも留めず、目の前の朝食に向かってがっつくように手を伸ばす。咀嚼音は相変わらず遠慮なくリビングに響いていたが、詩乃はまるで気にも留めない。
「あ、おかわり欲しかったら言ってね」
小さく笑ってそう声をかけると、食器を手にキッチンへと向かっていった。
食べ終えると何も言わずに、椅子を引いて立ち上がる。返事も礼もなくだるそうに廊下へと向かった。
(王である俺が体調悪いって言ってるのに、心配もなし、か。これは両方とも失敗作ですね、失敗作。0点とさせていただきますゥゥ)
謝不は自室に戻るとベッドに体を投げ出し、そのままの姿勢で近くのPCをガバッと開いた。輝くロゴに思わずニヤける。
(このゲーミングノート、いい感じだで。なんぼくらいやろ、プロ仕様で高そうやし10万くらいか)
デスクトップに並んでいる配信素材と書かれたフォルダを一瞥したが、真っ先にSNSを開く。そこには“王・謝不”の公式アカウントがログインされた状態で表示されていた。
フォロワー:512810.410万人
「んー、改めて考えると凄いなって思うわ。”俺”はやっぱ」
それが当然であると主張するかのようにぼそぼそと呟き、リプライ欄を指でスクロールしていく。
「王様、昨日の配信最高でした!」
「今日も無理せず、マイペースでいてください!」
「謝不様〜♡世界でいちばんかっこいい!」
いくらスクロールしても、いくら探しても、アンチコメントが出てこなかった。炎上リプも、陰湿な切り抜きも、人格批判の投稿も。
──アンチがいない。
モニターに顔を寄せたまま、謝不は震えながら笑った。
そのときの彼は確かに心の底から幸せだった。
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