第9話 悪魔のリスペクト作戦

「あなた方は、退学処分となる可能性も覚悟していただくことになります」


音無響子が残した言葉は、氷の杭のように俺たちの心臓に突き刺さった。

彼女が静かにドアを閉めて去った後も、部屋には墓場のような沈黙が支配していた。

退学。

その二文字が、頭の中でぐわんぐわんと反響する。


「……ふざけんなよ!」


沈黙を破ったのは、陽太の怒声だった。

彼はテーブルをバン!と叩き、憤りを露わにする。


「なんだよあれ! どう考えたって、黒瀬レイに有利なルールじゃねえか! 監査委員会ってのは、あいつらの味方なのかよ!」

「……いいえ」


ミコト先輩が、静かに首を振る。

その顔は、今までで一番、険しい。


「音無委員長は、誰の味方でもないわ。彼女は、彼女自身の『正義』と『秩序』のためだけに動く。だからこそ、厄介なのよ。私たちの作戦は、完全に……詰まされた」

「そんな……」


陽太が、言葉を失って崩れ落ちる。

ルナ先輩は、窓の外を眺めたまま、何も言わない。その横顔は、何を考えているのか読み取れなかった。

終わりだ。

アンサーソング作戦も、俺たちの足掻きも、全部。

何もかも、終わったんだ。


その時、俺は無意識に、音無委員長が置いていったガイドラインの紙を手に取っていた。

そこに並んだ、冷たい活字。


『特定の生徒個人に対する、過度な挑発行為、扇動行為、名誉を毀損する可能性のあるパフォーマンスを固く禁ずる』


この一文が、俺たちの全てを縛り付けている。

挑発。扇動。名誉毀損。

……でも。


「……あの」


俺の声は、自分でも驚くほど、静かだった。


「挑発がダメなら、しなければいい。扇動がダメなら、しなければいい」


全員の視線が、俺に集まる。


「でも、『メッセージ』を伝えることは、禁止されてない」

「ユキナリ……? 何を言って……」

「レイ先輩を挑発するんじゃないんです」


俺は、ガイドラインの紙をテーブルの中央に置いた。


「真逆です。レイ先輩に、最大限の『尊敬』と『感謝』を伝えるパフォーマンスをするんです」

「……は?」


陽太が、間の抜けた声を出す。

ミコト先輩も、眉をひそめて俺の真意を探っている。


「『Endless Jealousy』という、こんなにも素晴らしい名曲を、私たち新人CPが歌わせていただけるなんて、この上ない光栄です、と。そういう『体』で、ステージに上がるんです」

「……正気? それじゃ、ただのヨイショじゃない。ミコトの言った通り、最悪の前座になるだけよ」


ルナ先輩が、初めて口を開いた。その声には、失望の色が滲んでいた。


「いいえ、違います」


俺は、彼女の目をまっすぐに見つめ返した。


「歌う曲は、レイ先輩への『リスペクトソング』。でも、先輩が歌う物語は、変えない。その嫉妬と未練の曲を、『その感情を乗り越えて、私は新しいパートナーと、新しい一歩を踏み出した』という、成長の物語として歌い上げるんです」


俺の言葉に、部屋の空気が変わった。


「……表面上は、どこからどう見ても、ルールを遵守した優等生のパフォーマンス。でも、その裏に隠された本当のメッセージは……」


ミコト先輩が、息を呑む。


「『あなたの曲と、あなたのくれた感情は、私の中で、もう完全に過去のものになりました。ありがとう、さようなら』……そういうこと?」

「……はい」


ミコト先輩は、わなわなと震え始めた。

それは、怒りではない。恐怖と、そして歓喜の震えだった。


「……悪魔だわ、雪成くん。あなた、とんでもない悪魔よ。優等生の皮を被った、最高にエレガントな意趣返しじゃない……!」


そして、ずっと黙って俺を見ていたルナ先輩が、ふっと微笑んだ。

それは、今まで見たどんな笑顔よりも、心からの、美しい笑顔だった。


「最高」


彼女は、短く、そう言った。


「今までで、一番あなたらしい、最高の作戦だわ」


――――――


そして、運命のお披露目会、当日。


ステージ袖のモニターには、完璧な歌とダンスで会場を熱狂させ、優雅に手を振る黒瀬レイと姫宮アリスの姿が映し出されている。

割れんばかりの大歓声が、壁を揺らしてここまで聞こえてくる。


「……すごい、な」


その圧倒的な熱量を前に、俺はゴクリと唾を飲んだ。

緊張で、心臓が口から飛び出しそうだ。

隣に立つルナ先輩が、そんな俺の手に、自分の手をそっと重ねた。


「大丈夫」


彼女の瞳が、俺をまっすぐに見つめる。


「あなたは、私の隣にいるだけでいい。私だけを、見ていて」

「……はい」


その時、会場に高らかなファンファーレが鳴り響いた。


『さあ、お待たせいたしました! 続いての登場は、今、学園で最も注目を集めるこのカップル! 星詠瑠奈さん、そして雪成くんペアです!』


目の前の、ステージへと続く扉が開かれていく。

その先には、無数のスポットライトと、俺たちを待ち受ける、何千という観客の姿――。

俺たちの、たった一度きりのステージが、今、始まろうとしていた。

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