第5話『身投げしたはずが、森の宴会で合流ってどういうこと!?』

月が静かに夜空をわたるころ。

鏡のような泉に、その銀の姿がゆらめいていた。

しんとした森にただ、さざ波が小さく音を立て──


 


──ドボンッ!!


 


「ぶはっ!? つ、つめっ……な、なにごと!?」

水面を割って飛び出したのは、ずぶ濡れの女。

王都で“氷の花”と讃えられる美貌の公爵令嬢──マルグリット・ド・シルフィードその人だった。


裾まで浸かったドレスは水を吸って重く、髪は顔に貼りつき、寒さで肩が震えている。


「ここ……泉? 焚き火……の匂い……?」


濡れたまま立ちすくんだ彼女の鼻先に、どこか懐かしく優しい香りが届く。

焼きたてのパン。炙った肉。香草の混じるスープの湯気──

そして、笑い声。


 



木立を抜けた先に、ほんのり光る焚き火の輪があった。

誰もいないと思っていた森の奥に、誰かがいた。


「アデル、このイノシシ肉、火の入りちょうどいいわ。ワインが進んじゃう~!」


「街の裏路地で買ったやつだ。怪しかったが、案外当たりだったな」


焚き火を囲んでいたのは、元・神殿の聖女マロンと、元・神殿魔法使いのアデルだった。

串焼き、シチュー、こんがり焼けたパン──

月明かりに照らされ、森の宴はあまりに楽しそうで、現実味がなかった。


マルグリットは目を瞬かせ、唖然とする。


「え……えっ? ど、どういう……え、宴?」


 


マロンがワインのグラスをくるりと掲げる。


「あら、身投げさん? ようこそ、森の湯あがり宴会へ」


「……は?」


アデルも視線を上げ、目を細めた。


「おや……王都の……マルグリット嬢?」


「え、えええ!? フィーネ様!? アデル様!? な、なぜ森に!?」


 


マロンがふっと笑い、ワインをひとくち。


「王子から逃げてきたの。もう定住してます♪」


アデルは肉をくるくる回しながら呟く。


「塔がクソだったので」


 


マルグリットは、ばしゃっと水音を立ててその場にへたり込んだ。

濡れたドレスの裾が、冷たくて、やけに重たい。


「……さすがに、王妃候補、身バレしましたわ……」


 



焚き火のそば。

マルグリットはアデルの魔法で服を乾かされ、マロンにタオルとふかふかのローブを渡されていた。


ローブに包まりながら、ようやく落ち着いた彼女は、小さな声でぽつぽつと話し始める。


「……王子に言われたんです。“お飾りでいい、愛は求めるな”って……

“子ども産むまでは抱いてやる”って……“その後は育てとけ”って……」


ぱちん、と焚き火が弾ける音がした。

その音とともに、マロンの表情が静かに変わる。


「──ああ、やっぱ最低だわ、王子」


アデルは無言で肉の串を持ち上げ、一言だけ、


「……肉以下だな、あれは」


マルグリットの肩が、小さく揺れた。

息を呑むようにして、彼女は絞り出す。


「……もう、死のうと、泉に……飛び込んで……」


その言葉に、アデルが無言でスプーンを差し出す。


「ほら、まずは温かいもんを食え。星、見ながらが一番うまい」


 


マロンが笑って言った。


「あとさ、あんたには“幸せな反撃”の方が似合うと思うのよ」


マルグリットは驚いたように、マロンを見た。


「フィーネ様……」


「今はマロン。改名済みだから」


「……マロン様……」


 


「だからどう? 一緒に森で生きるっていう選択肢」


「……え……?」


「風呂もあるし、料理もうまいし、神さまの結界で追っ手も来ないし」


アデルが肉を掲げながら付け加える。


「泉から飛び込んだ人しか来れない。神さまチョイスだ。ある意味、運命」


マルグリットの瞳に、かすかな光が宿る。


「……人生、やり直せますか?」


マロンは満面の笑みで答える。


「いくらでも。ここ、“人生リスタートキャンプ”だから!」


 



その夜──


マルグリットは焚き火のそばで、マロンが淹れたスープの湯気をすする。

その隣でアデルが、黙って薪をくべる。


パチ、パチと火が爆ぜて、炎がまた明るく燃え上がった。


「……あったかい……」


「でしょ? 王家の玉座より、森の焚き火の方が温かいのよ」


マロンが微笑む。


マルグリットはそっと空を見上げる。

そこには、穏やかにほほえむ月がいた。


 


──この森は、すべてを拒んだ者たちが、“生き直す”場所。


そして今日、新たに一人。

“日焼けしたら王妃失格”な令嬢が、“焚き火の仲間”として加わったのだった。

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