第8話 スライム


 田中くんと上田くん、それに焔姉さんのサインをもらって大喜びしていた男子は、最後まで笑顔だった。

 姉さんがサインすることは滅多にないことらしく、俺の一言「サインしてあげたら?」は相当大きかったようで、二人は終始俺に感謝していた。

 最初に嫉妬の視線を向けられたときはどうなるかと思ったが、結果的に仲良くなれて良かった。

 姉さんには感謝しかない。――同じ討伐者といざこざなんてごめんだからね。


 三人と笑顔で別れたあと、俺は再び自分のスマホを取り出し、ステータスアプリを開く。

 現在のステータスは――

 筋力:1(+1)、体力:1(+1)、反応:1(+1)、神力:1、魔力:1(+4)、闘力:1(+1)、器用:1(+403)。

 スキルは《刀術Lv1》《魔力操作Lv1》《魔力付与Lv1》《魔力定着Lv1》《魔力感知Lv1》。


 ここまでずっと魔力感知を使っていたからか、いつの間にかスキル欄に《魔力感知》が追加されていた。

 ステータスを取得する前から、ある程度魔力を感じ取ることができていたのが原因かもしれない。


 セットするのは《基礎魔法Lv0》と《触媒魔法Lv0》。

 魔法系統でもっとも習得ハードルが低い基礎魔法と、少ない魔力量を補える触媒魔法だ。

 基礎魔法は魔力をそのまま使う、文字通り魔法の基礎中の基礎。

 触媒魔法は触媒を核にして魔法を発動し、少ない魔力でも高い効果を発揮できるスキルだ。

 ――俺の低い魔力でも、これなら実用レベルで使えるはずだ。


「準備は良い?」

「うん、大丈夫。」

 俺はダンジョンの入口――普通の空き家にしか見えない建物の扉を開けた。


 中に入った瞬間、違和感が全身を包む。

 一見、普通の住宅のように見える廊下や壁。

 だが、空気は重く湿り、かすかに生臭い匂いが鼻をつく。

 足元はじっとりとした感触で、薄い透明の膜のようなぬめりが靴底にまとわりついてくる。

 壁や天井の角には水滴が溜まり、時折ポタリと音を立てて落ちてくる。


 玄関の窓から外が見えるはずなのに、窓を開けてもその先は別の部屋に繋がっているだけだ。

 まるで景色がループしているような、閉ざされた空間だ。


 横を見ると、焔姉さんが何か言いたげな表情をしていた。

 俺は小さくうなずき、視線で「説明は任せる」と伝える。


「……スライムが多いダンジョン特有の“侵食”だな」

「侵食?」

「ダンジョンコアの影響で、外界の物理構造が“スライムに適した環境”に書き換えられる現象よ。湿度、温度、床の質感、全部スライムの繁殖に最適化されるの」


 なるほど……と心の中でうなずく。

 こんな環境を、たかが小さな魔物に合わせて作り替えてしまうのがダンジョンというわけか。


 ぬめった床を進んでいくと、廊下の奥の影が揺れた。

 ぬるり、と音を立てて現れたのは半透明の塊――Fランクスライムだ。

 ぷるぷると不規則に震え、こちらに向かってじわじわとにじり寄ってくる。


「物理攻撃はほぼ効かない。鈍いけど、絡め取られると厄介よ」

「じゃあ、試してみるか」


 俺は触媒魔法で即席の魔力弾を生成し、無属性魔法で加速させて撃ち出す。

 魔力弾がスライムの体を貫通し、ぶくぶくと泡が立ったかと思うと、やがて動きを止めて溶け崩れた。


「……おお」

 初めてにしては悪くない手応え。

 魔力の流れや発動の感覚も、さっきよりずっと掴めてきている。


 その後も数体を倒しながら進むうち、魔法操作の精度が確実に上がっているのを実感した。

 最初の角を曲がったところで、ぬるりとした影が床を這ってきた。

 スライムだ。


 俺は固蔵から受け取ったパチンコ玉に魔力を定着させ、それを核に基礎魔法で魔弾を生成。

 無属性の魔力を込めたそれを射出すると、魔弾はスライムの体を貫通し、ぶくぶくと泡が立ったかと思うと、やがて動きを止めて溶け崩れた。

 床には、威力を失ってめり込んだパチンコ玉が残っている。


 レベル1の基礎魔法にしては高威力だったらしく、焔姉さんがわずかに目を見開く。

 おそらく、自分の魔力で作った触媒だからこそ相性が良く、威力が底上げされたのだろう。




 ある部屋に入った瞬間、机の上に置かれたコップの水がぶるぶる震え、形を変えてスライムになった。

 どうやら、このダンジョンでは水のある場所からスライムが発生するらしい。


 その瞬間、俺の頭の中でひとつの戦術が閃く。

 部屋の隅にある蛇口をひねり、水を流しながら距離を取る。

 同時に十発の魔弾を生成し、そのうち五発を自分の周囲に回転させ防御陣に、残りの五発を、大きな円を描くように生成されたスライムの横からぶつける。

 弾丸が水を裂き、泡立つ音とともにスライムが崩れ落ちていく。

 蛇口からスライムが出てくるたびに、俺は同じことを繰り返した。


 「……あんた、何やってんの?」

 あきれたような声で焔姉さんが問いかけてくる。


 「魔弾五つは防御用、残り五つは攻撃用にしてるんだ。さっきは直線でスライムにぶつけたから床にパチンコ玉がめり込んで回収できなかった。でもこうやって側面から抜けるようにすれば床に刺さらないし、回収も楽だろ? この方法なら大量にスライムを倒せるし、鍛錬にも丁度いい」


 「……私が聞きたいのはそういうことじゃないのよ」

 基礎魔法とはいえ、魔弾を十も同時に、しかも複雑な軌道で操っていることを指摘されるが、俺としてはこれがお手軽な方法でやったらできただけなので、答えようがない。


 さらに別の部屋から新たなスライムが出てきた瞬間、魔力感知でその存在を捉え、魔弾で迎撃すると、焔姉さんは何も言わなくなった。


 気づけばスキルレベルが1になり、魔石も大量に手に入っていた。

 俺たちは今日はここまでにして、ダンジョンを後にすることにした。

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