画面の中の奥の君

資山 将花

第1話

 モバイルバッテリーに繋がれたスマホの画面が、充電百%の表示を示した。僕はケーブルを取り外し、ズボンの右ポケットにスマホを入れた。


「Vtuber、ですか?」


 次の授業の用意を始めようとしていた僕に、二年先輩の数学教師が声をかけた。なんでも、Vtuberにはまっているらしく、僕にもぜひ見てもらいたい、ということだった。


「そうそう。杉並すぎなみ先生、最近お疲れのようですし、息抜きがてら見て下さいよ。きっとはまりますよ」


 屈託のない笑顔が余裕の表れにも見えて、逆に不愉快さを覚えた。高校教師となって二年目、様々な気苦労が絶えない日々は、身体的にも精神的にも自身を疲弊させていた。新米教師の時は、ありがちで夢見がち、生徒との信頼や熱いスクールドラマなんかを期待していたのだが、蓋を開いてみれば一目瞭然、そんなものは、妖精は存在している、と声高にさけんでいるのと同レベルにまぬけである。


 教壇に立って授業をしても、大半の生徒は聞く耳持たない感じであるし、女子生徒、だけでなく同性である男子生徒にすら、触れることは御法度だ。触れたいわけではないが、よくやった、とテストの点数が高ければ肩でも叩きながらそう言ってやりたい。なんとなく、そんな様が格好良く思うのである。

 

 しかしながら、そんなことをしようものなら、たちまちセクハラ案件だ。嫌悪感を抱かれていなければまだ救いの余地はあるのだが、少しでも陥れてやろう、という気持ちが生徒にあれば、たちまち教師側が奈落の底に突き落とされる。教師人生と共に、社会に生きる僕自身も終了する。


 生徒との関係性だけではない。

 教師同士の軋轢にも気を遣うし、会社員の如く、上司には胡麻をすりすり低姿勢のイエスマン、でいなければならない。


 加えて、保護者の対応も必須だ。出かけている間子供を預かってくれだの、やれテストの問題を簡単にしてやれだのと、言い放題の我儘を放り投げてくる始末。基本的に意向に沿った対応が出来ないことがほとんどなので、一言で言ってしまうと、面倒、という他ない。


 さらにさらに、まだある。


 仕事量の多さが、尋常ではない。授業中はもちろんのこと、休憩中や帰宅してからもやることは山積みだ。僕は幸い、まだ部活動を受け持ってはいないのでそちらの方面での仕事はないが、それでも、休憩中には次の授業の準備、終わっていない採点や提出物の確認、帰宅してからは、明日の授業内容の復習と、勤務中に終わらなかった仕事の内、持ち帰ってやれるものは進めていく。


 要領が悪い、仕事が遅い。そう言われてしまうとぐうの音を出すことも出来ないけれど、現実は現実として受け止めていただかなければ、僕は更に深く沈み込むはめになってしまう。出来の悪い人間は、出来が悪いのだと諦めて、それ以上を期待しないで欲しい。


 次の授業の準備をしながら、横目で数学教師の彼を見た。周囲に笑顔を振りまく彼の余裕ある雰囲気は、疎ましく思う。いや、違うな。これは多分、嫉妬だ。単純に、彼のような人間を羨望しているのだ。彼のような人間になりたいと、憧れているのだ。


 何が彼を彼として生かしているのだろう。仕事の効率の良さや速さが凄まじいというのであれば、到底、僕には手の届かない位置なわけだが、見ている限り、至って普通のようでしかない。職員室で泣きそうな顔になって山積みの仕事をこなしている姿をよく見かけるし、授業の内容を忘れて生徒たちに馬鹿にされている場面も見かける。


 だがそれでも彼は、ある程度の山を越えたら今のように笑顔でおどけて、周囲をなごませる余裕を手に入れ始めるのだ。


 責任感のない道楽者。そんな見方も出来るかもしれないが、彼のお気楽な一面は大事な何かを起こしたことは一度もないわけで、となると、責任感がない、というのもまたずれる。


 つまりこれは、気の持ちよう、ということか?


 嫌なことや辛いことがあっても、すぐに回復して前を向き笑っていられるメンタル。彼は、それを持っているに違いない。


 産まれ持っての性格か? それとも、何か環境が起因しているのか?


 聞いてみるのが早いのだろうが、会話をするのは億劫なので、僕は彼を観察し分析した。


 結果、分からない。思えば、僕は彼と親しくもないし、先輩として面倒を見てもらったこともない。顔を知っているだけの知人を情報なしに理解しようなど、公式を知らずに計算式を解くようなものだ。何度も回り道をして時間をかければ解けるかもしれないが、先程の通り、僕の自由な時間は僅かなわけで、至福な一時をそこに費やすのはいかがなものかと……。


 そうして、思い至る。


 Vtuber?


 僕はスマホでネットを開き検索した。今一番、人気のあるVtuberは誰なのか。検索し終わった画面に、登録者ランキングなるものが現れた。僕はすぐさまタップし、一番上にある名前だけをしっかりと脳内に叩きこんだ。


菜乃葉なのは


 スマホの画面を閉じて、ズボンの右ポケットに入れる。

 僕の至福の一時はいつも睡眠に使われていたのだけれど、今夜は彼女のために使うとしよう。

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