ブラック魔王軍からホワイト(?)日本へ〜ゴズとメズの愚痴り倒し転生ライフ〜

火之元 ノヒト

プロローグ

 202X年、7月下旬、東京。


 うだるような熱気がアスファルトを揺らし、けたたましく鳴り響くセミの声が思考を鈍らせる。ここが魔王軍の灼熱地獄でないことだけが、唯一の救いだった。


​「……この湿気、魔王が吐き出す溜息よりたちが悪いな」


 ​築年数不明の木造アパートの一室。男――牛頭 剛ごとう つよしは、汗の滲む額を腕で拭い、冷蔵庫から取り出した缶ビールを一気に煽った。物流センターでの過酷な肉体労働を終えた体に、金色の液体が染み渡る。至福、のはずだった。


​「魔王軍の砂漠行軍に比べれば、いつでも水分補給ができるだけマシか……。だが、この『クールネック』とかいう文明の利器をもってしても、この国の夏は異常だ」


 ​首に巻かれた最新の冷却グッズも、剛の巨体から発せられる熱気の前では気休めにしかならない。身長190センチを超える筋骨隆々の肉体と、顔に刻まれた無数の傷跡。それはかつて魔王軍第弐師団長ゴズラ・ド=ウルグとして、数多の戦場を駆け抜けた証。


 だが今、その強面は、近所の子供に「力持ちのお兄ちゃん」と慕われ、大家のおばあちゃんに「真面目ないい子」と可愛がられる原因となっていた。


 ​魔王の気まぐれな命令一つで死地に送られ、ろくな物資も与えられず、それでも成果を出すしかなかったあの地獄の日々に比べれば、ここは天国だ。定時で仕事は終わり、働けば働いただけの対価が支払われ、命の危険もない。


 ​それなのに、愚痴は止まらない。


​「ゴズ、あんた、まだそんな原始人みたいな愚痴こぼしてんの? タイパ悪いんだけど」


 ​襖一枚隔てた隣室から、少女の声が飛んでくる。声の主は、目白 芽めじろ めぐみ。元魔王軍参謀、メゼリア・エル=ヴルム。黒髪のツインテールを揺らし、ゲーミングチェアに座ったまま、スマホの画面から視線も上げずに言った。


​「見てよこれ。今日のライブ配信、アンチコメントが魔王軍の報告書よりしつこいんだけど。まじありえない。私の完璧な論破芸に嫉妬してんじゃないの?」


「知るか。それより、貴様の部屋から漏れてくるその機械音、どうにかならんのか。攻城兵器よりうるさいぞ」


「は? これが私の生活音なんだけど? あんたのいびきの方がよっぽど騒音公害よ。魔物の雄叫びかと思ったわ」


 ​芽の部屋は、最新のPCやモニター、配信機材が所狭しと並び、壁には推しアイドルのポスターが貼られている。かつてその天才的な頭脳で魔王の無茶な命令を形にしてきた彼女は、今やその知略をSNSと動画配信に注ぎ込み、カリスマインフルエンサーとして君臨していた。


​「だいたい、あんたがもっと稼いでくれば、こんな壁の薄いアパートじゃなくて、防音設備の整ったタワマンにでも住んであげたのに」


「……誰のせいで俺が日雇い労働に明け暮れていると思っている」


「あら、私の才能に投資してるんでしょ? 魔王への上納金よりは、よっぽど有意義な使い方だと思うけど?」


 ​ふん、と鼻を鳴らす芽に、剛は深いため息をつく。


 そうだ、何もかもが違う。主従関係も、同僚という意識も、とうの昔にこの安アパートで溶けてなくなった。残ったのは、家族とも違う、奇妙な共生関係。



 ​かつての側近たちは、今日も今日とて、平和な日本で愚痴をこぼす。


 魔王軍という究極のブラック企業に比べれば、ここは天国。


 定時、有給休暇、健康診断、コンビニのチキン南蛮弁当、そして深夜アニメ。


 失った故郷を思うことはもうない。だが、染みついた過去は、現代日本の「当たり前」にいちいち反応し、愚痴という名の火種を燻らせる。


​「……まあ、いい。明日の現場は、今日の地獄よりはマシだろう」


 ​剛はもう一口ビールを飲み干し、テレビのスイッチを入れた。映し出されたのは、来る江戸川区花火大会のニュース。


​「こんな大規模な熱源、魔王軍なら兵器転用だな……」


 ​隣室から、芽の呆れたような声が聞こえる。


「それ、去年も言ってたわよ、ゴズ」


 ​これは、そんな二人の物語。


 ブラック魔王軍からホワイト(?)日本へ転生した、元側近コンビが繰り広げる、ゆるくて、くだらなくて、そしてどこか愛おしい、愚痴り倒しの日常である。

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