第四話「世界の裏側」その1
時刻は深夜零時。会議室で、甲斐は鷹杜とテーブルを挟んで向かい合っている。二人は長時間にわたって沈黙し、空気はまるで凝固するかのようだ。翡翠とカナリアは話し合いに立ち会っているだけだがそれでも窒息の錯覚を覚えていた。
「我々と冥王軍はこのシナリオに基づいて戦争をしている」
日本語としての意味は判るが理性も感情も到底それを受け入れられないでいる。それでも何とか、石を食うような思いをしてその言葉を咀嚼し、三斗の酢よりも飲みにくいそれを飲み込み――当然のこととして、底知れない怒りがわき上がってきた。
「その……まさかとは思いますが、冥王軍となれ合って、茶番の戦争を」
「そんなわけはない」
甲斐の怒りに負けないくらいに、絶対的な否定を示す鷹杜。甲斐の怒りは急速に小さくなっていった。だがなくなったわけではないし、疑問は募る一方だ。
「どういうことですか」
「順を追って説明する。君は不確定性原理を知っているか?」
「俺、小卒未満ですよ?」
冥王軍の侵攻によって東京を追われたのは五年前、甲斐が小学校六年生のときとなる。鷹杜は一瞬だけ苦笑した。
「まあ大人でも興味がなければ全く知らないような話だし、それ以上に理解しがたい、感覚的に受け入れがたい話だ。だから充分に理解ができなくてもひとまずは『そういうものだ』と思ってほしい。これが全ての前提となっているのだから」
「判りました」
鷹杜はプロジェクターを使ってスクリーンに資料を投影した。そこに映っているのは電子銃と、二つの隙間が作られた衝立である。
「二重スリット実験、というものがある。光は粒子でもあり、波でもある。物理的に両方の性質を持っているのが光だ」
つまりは使徒のようなもの……というカナリアの呟きを鷹杜は無視した。
「ここで言う波とは『存在する確率』と言い換えることもできる。光は、光に限らずあらゆる量子は、通常は波として、『ここからここまでの範囲の、どこかにはある』という曖昧な形で存在していて、観測したときにそれが粒子という形となって、その場所が確定する。これを『波動関数の収縮』と呼んでいる。『観測』という行為が量子のあり方を決めているんだ。……ここまでは判るかね?」
「判ったことにしておきます」
「判らなければ何度でも訊いてくれればいい。――さて。『観測』という行為が波動関数を収縮させ、量子のあり方を決める。観測されるまでそれは『確率』という雲のような形をした、曖昧な存在でしかない……量子力学という、ごくミクロの世界の話であれば『そういうこともある』と考えることもできるだろう。だが全ての物質は、我々自身のこの身体も含め、それを構成しているのは量子だ。電子や陽子や中性子によって原子が作られ、原子が結合して分子が作られ、分子が集まって我々が作られている。不確定性原理はどこまで通用するものなのか――フラーレンという、炭素原子が六〇個も集まった巨大な分子を使って二重スリット実験をし、光と同じ実験結果を得られている。相当な、マクロのレベルでも不確定性原理が通用することが判ったのだ」
甲斐は「はあ」と相槌を打つが今の話がどこまで理解できたかは心許なかった。
「全ての物質は、世界は『確率』という曖昧な雲の中にあり、『観測』によって初めてその形を得ている。我々は常に世界を観測しているがゆえに『確率』の状態の世界を知ることができない」
「……人が見ていない世界がどうなっているのか、実際には誰にも判らない?」
まさしく、と鷹杜が強く頷いた。
「逆に言うなら、世界の形を決めているのは『観測』という人間の行為なんだ」
「観測」が世界の形を決めるという――その原理を受け入れた上で、甲斐は思考を進めた。この「観測」という言葉を「信仰」に置き換えることができるのではないか? 今のこの世界では「信仰」の強さが勇者の強さに直結している。世界の形を作っていると言っていいのではないか?
「……今日ハルベリンと戦ったとき、マントが光って敵の攻撃を弾いていた」
甲斐が話の流れとは無関係なことを言い出したように鷹杜達には感じられたが、それをさえぎったりはしなかった。
「裏地に書かれた真言は梨乃がマジックで書いたものだ。でも世間様は鷹杜隊長が霊力を込めて書いたものだって信じている」
そして今日、マントはその信仰そのままの力を発揮。その防御力がなければ甲斐は死んでいても不思議はなかっただろう。
「『観測』が世界の形を決めている……『信仰』が世界の形を決めている? 同じように」
鷹杜は驚きに目を見張りつつ「まさしく」と頷いた。一同の注視を受けつつ、甲斐はそれに全く気付かないまま思考を進め、
「え……ちょっと待て」
と上げた顔を鷹杜へと向けた。
「……もしかして、信仰さえ集まるなら実際は関係ない? どうでもいい?」
避難民の、普通の女の子がマジックで手書きした真言が四天王の攻撃をはね返した。一月前まで「丁」のハンターだった馬の骨が、今や「聖剣の勇者」さま。以前と今で何か違うか? 大衆の信仰があるかないか、それだけの差だ。
よく判ったな、その通りだ――鷹杜の顔がそう言っている。小卒未満の甲斐がわずかなヒントだけでその真実を自ら発見したことに、鷹杜だけでなくカナリアも翡翠も驚き、また彼のことを見直している。甲斐は頭を抱えつつもそのトンデモな真実からさらに推論を進め――愕然とした顔を鷹杜へと向けた。
「まさかとは思うけど……まさか冥王軍まで俺と同じような、信仰を集めただけのハリボテだなんてこと」
いや、と鷹杜が即座に否定。甲斐は一瞬安心し、だが本当に安心していいことなのかどうか、今はそれすらも判断がつかなかった。
「理解が早くて助かるが、かつての世界はこうではなかった。どれだけ『信仰』を集めようと真言が光ったりはしないし、結界が迫撃砲をはね返したりもしない。かつてと今では世界そのものが変わってしまっているんだ。では、何が世界をこんな風に世界を変えてしまったのか?」
「……次元転換炉?」
その答えに鷹杜が「その通り」と頷く。
「次元転換炉によって別次元と接続したことでこの世界は根本から変わってしまった。今はその次元の物理法則がこの世界にも適用されているが故に『信仰』を集めることによって我々は超常の力を振るえるようになっている」
「それなら次元転換炉を全部なくしてしまえばもしかしたら冥王も力を失うんじゃ」
「そうなる可能性は高いと考えられている」
それなら、と身を乗り出す甲斐に鷹杜は首を横に振った。
「海外からのエネルギー供給を一切断たれても今、この国が存続できているのは次元転換炉が無尽蔵の電力を生み出してくれるからだ。ガソリンや軽油すら、電気を使って水と空気から作り出している。次元転換炉を閉鎖してしまえば電力供給の九九パーセントが止まってしまい、植物工場での食糧生産もできなくなり、一年以内に千万単位の餓死者が出ることになるだろう。それに日本だけ停めても海外で動いていれば意味がないし、次元転換炉が生命線となっているのは他の国でも同じことだ。仮に一六億の人類のうち半分を餓死させる覚悟で全世界の次元転換炉を停めたとしても、世界最大の次元転換炉があるのはロシア、冥王のお膝元だ。結局、別次元とのつながりを全て断つには冥王を倒さなければならないんだ」
意味ないじゃん、と甲斐はため息をつく。
「話を戻そう。『観測』という行為が波動関数を収縮させ、世界の形を決めている。『信仰』には波動関数を収縮させる力はない……だが、『観測』と『信仰』にどれだけの差があるのだろうか? 『信仰』とは、『実際には見てもいないものを「それがある」と確信すること』と言い換えてもいい。たとえばそうだな。戦前のアメリカには『聖書にそう書いてあるから』という理由で『地球が平面である』と確信している人が大勢いたという。甲斐君はそれをどう思う?」
「どう、って言われても」
と戸惑いつつも、
「地球が球体って常識でしょう? 太陽系の形とかは小学校で教わったことだし、衛星から撮った地球の写真もあるし」
「そう教わっただけで自分の目で見たわけではないだろう?」
確かにそうだけどとそう言われても、と甲斐の顔が物語っている。
「自分の目で確認したわけでもないのに『地球は球体だ』と確信するのは、『地球は平面だ』と確信すると本質的には何も変わらない『信仰』と言ってもいい。科学技術が今よりも進んだ百年後二百年後なら『実は世界は平面でした』が世の中の一般常識になっているかもしれない。実際『ホログラフィック宇宙論』という、宇宙は三次元ではなく実は二次元ではないかという仮説も提唱されているんだよ」
「はあ」
困惑しきった甲斐に鷹杜は「少し話がずれたかな」と軌道修正を図った。
「ともかく、『観測』と『信仰』には実はそれほど大きな差がないと仮定しよう。この世界では『信仰』に波動関数を収縮させる力はないが、別の世界、別の宇宙、別の次元であれば波動関数を収縮させるのではないかと考えられている。その別の次元というのが……」
鷹杜が数拍開けて答えを促し、
「次元転換炉で穴を開けた向こう側?」
その通り、と返ってきた答えに満足する。
「世界の壁に穴を開けてこの次元と別次元をつなぎ、別次元からエネルギーを取り出すのが次元転換炉だ。穴を開けたその先、その別次元を今は『
それらの事例に関して甲斐はほとんど全く知らなかったが、いちいち問い返したりはしなかった。
「次元転換炉開発の国際競争が激化し、一国が傾くほどの国家予算が投入される中で、開発に携わった科学者達にはたいへんなプレッシャーがかかっていたことだろう。裏面世界に何もないなんてことがあってはならない。何かあってほしい、何かあるはずだ、何かあるに違いない――その確信、その『信仰』が裏面世界の波動関数を収縮させ、高エネルギーに満ちた状態を作り出した」
その説明を腑に落とした甲斐は自ら推論を進め、
「……それじゃ、その裏面世界から冥王が出てきたのも誰かがそれを『信仰』したから……?」
「そのように考えられている」
鷹杜がそれを肯定した。
「誰が、どうしてそんなことを」
「当時の状況を知っていればそこまで不思議とも思えないのだがね」
と鷹杜は苦笑未満の顔をする。
「冥王が出現したのはロシアという国だ。あの国の技術力に対しては『絶対に何か事故を起こすに違いない』という、逆の意味での信頼と信仰があった。それにあの国は近隣国に侵略戦争を仕掛けて膨大な死傷者を出し、周辺諸国全てに不安と恐怖を与えていた。何か事故が起きてほしい、何か起きるべきだ、起きるに違いない――そんな『信仰』があったことは想像に難くない。日本を含む近隣諸国、それに自国民も含めて、『こんな国、大きな事故が起きて滅茶苦茶になってしまえばいい』と……」
「そんな、自国民までそんな風に」
「考えていたとしても何の不思議もない。あの国の三割は非ロシア系の少数民族で不当な扱いを受けていたし、ロシア系も徴兵されて粗末な武器だけ渡されて最前線に放り込まれ、何万という死者を出していた。自国への深い憎悪と絶望……それが冥王を生み出す背景になったと考えられている」
背景、と甲斐がその言葉をくり返す。
「そう。憎悪と絶望があり、それが事故への期待へとつながり、期待はやがて信仰となり、確信となった。その信仰と確信が裏面世界の波動関数を収縮させた……次元転換炉が別次元から『何かよくないものを呼び寄せるのではないか』という懸念は理論提唱のときからずっと、十年以上言われ続けていたんだ。その『何かよくないもの』は当時人気だったアニメに因んで『カズム』と呼ばれていた。『カズム』とは元々ヘシオドスの『神統記』に
「大衆がそれを『冥王カズム』と間違って受け止めた……?」
「事故が最初どのように始まってどのように拡大したのか、今ではよく判らない。事故の一番最初からその『何かよくないもの』は『冥王カズム』の姿をしていた可能性もある。だがいずれにしても『カズム』の呼び方がその姿を『冥王カズム』へと確定させたことを、疑う必要はないだろう。大衆がそれを『冥王カズム』だと確信し、信仰する。その信仰が波動関数を収縮させてそれを『冥王カズム』と確定させる――最初は曖昧だったその姿は時間を経るごとにどんどんゲームやアニメの冥王軍に近くなっていき、それが人々の確信と信仰をより強固にし……今ではもう、ゲームやアニメの冥王軍そのもの、それ以外の何物でもなくなっている」
「いや、待ってください」
ある疑問を抱いた甲斐が鷹杜にそれを問う。
「世界で一番最初に『あれはゲームやアニメの冥王軍そのものなんだ』って言い出したのは鷹杜隊長だったでしょう」
「私が最初に言い出したわけではなく、冥王軍侵攻が始まったときからずっと言われていたことだ。だが全ての人が信じていたわけではないそれを、『それが事実なんだ、あれはゲームやアニメの冥王軍そのものなんだ』と大衆に喧伝し、説得し、納得させて確信させたのは私だ……という言い方はできる」
その訂正内容は、甲斐にとって問題の本質ではなかった。問題は、
「どうして……! どうしてそんなことを」
我知らずのうちに立ち上がった甲斐が怒りに満ちた眼差しで鷹杜を射抜いた。
「冥王軍がどれだけの人を殺してきたか、今殺しているか……」
その糾弾を受けた鷹杜は目を瞑り天を仰いだが、やがてその瞳を甲斐へと向ける。
「……私の選択が本当に正しかったのかどうか、確信があるわけではない。もっといい方法があったのではないかと、今もずっと思い続けている――だが、限られた情報の中で私が選んだのは最善だったのだ。仮に五年前に戻れるとしても、私は同じ選択肢を選ぶことしかできないだろう」
甲斐は胸にこみあげる怒りを一旦呑み込んだ。それは腹の底で煮えたぎっているが、耐えられないほどではない。疑問はある。だがそれ以上の、鷹杜への信頼が甲斐にはあった。彼がいなければ甲斐も梨乃も東京を脱出できなかったし、仮に脱出できてもその後どこかで死んでいる。冥王軍との戦いに彼が身命を捧げているのは、世界レベルでの周知の事実なのだから。
「……どうしてそんなことを」
甲斐が改めてそれを問う。
「最大の理由は『対抗手段が明確だったから』だ。モンスターを倒すには意志の力、神秘の力、信仰の力を以てするしかない。意志の力を込められないから銃器は玩具ほどの役にも立たないが、一兵卒でも強い意志を刀剣に込めて攻撃するならモンスターに痛手を負わせることもできる――とは『トリニティ・ファンタジア』の設定だが、この世界に出現した冥王軍にも銃火器が全く通用しなかった。最初からそうだったのか、それとも『冥王軍』と呼ばれることによってその設定が生えてきたのかは判らない。だが逆に言えば意志の力、神秘の力、信仰の力を以てすれば冥王軍と戦うことも可能なんだ」
その答えは甲斐を納得させるものではなく、それを見て取った鷹杜が、
「では訊こう。甲斐君はどうすればよかったと考えている?」
その逆質問に甲斐は目を見開いた。彼は短くない時間沈思黙考し、
「……事実を全部公表して、冥王カズムなんていないんだって、ただの幻なんだって、信仰を集めただけのただのハリボテなんだって」
「そうすべきだという意見もあるにはあるが、少数派だ。仮に事実を全て公表したとして、あれは冥王でも何でもないと大衆が確信したとして――何が起きる?」
「何がって、冥王が弱体化……」
「そうなるかもしれないし、ならないかもしれない」
鷹杜が首を横に振った。
「冥王の事実を公表するということは、我々勇者に関する事実も全て明らかにすることだ。信仰が霧散してしまえば君は『聖剣の勇者』ではなくただの『丁』のハンターに逆戻り。カナリア君も翡翠君も、私だって同じことだ」
「わたしはただの売れない歌手になっちゃうね」
とカナリア。
「『宝珠の聖女』だからこそカナリア君の聖歌はレイスやゾンビ兵を一掃できる。信仰を剥がされたカナリア君はただの売れない歌手に戻り、その聖歌も力を失い、レイスに対して何もできなくなり」
「いや待ってください。そのときはレイスやゾンビ兵だって」
「力を失うのならそれでいいが、そうならないかもしれない。レイスは何十億という人間を殺してきたモンスターで、冥王軍は今この瞬間も人間を殺し続けている。ネタばらしがあったとしてもその脅威が現実で、その恐怖が現在進行形な今、奴等が力を失うとはなかなか考えにくい。勇者側、人類側だけが戦う力を失い、冥王軍の脅威はそのまま――そうなってしまう可能性の方がずっと高いのではないか?」
そんなことはない、と甲斐に言えるはずがなかった。
「あれを『トリニティ・ファンタジア』の冥王軍ではなく、もっと他の、何か対抗しやすい敵だと言い広めればよかったのだ――そう言われたこともあるが、後知恵もいいところだな。冥王カズムの名は最初から広く浸透していたのだし、それを覆すには結局世界のからくりを全部ネタばらしすることになるだろう。仮に『あれは冥王カズムでも冥王軍でもない』と大衆が理解したとして、ではあれは何だという話になる。冥王よりも倒しやすい、都合のいい敵と思ってくれればいいが、そうならないかもしれない。あるいはクトゥルフ神話みたいな何かとんでもない、どうしようもない存在だという信仰が広まるかもしれない」
「結局、冥王カズムと思ってもらうのが一番都合よかったと……?」
「あの時点での最善を尽くしたと、私は今でもそう確信している」
その断言に、甲斐は百パーセント納得したわけではない。お前のやったことは間違いだ、もっと被害を少なくする方法が何かあったはずだ――そう彼を糾弾し、土下座させてやりたい気持ちが確かにある。だがその方法を何一つ思い浮かばない今、甲斐にできることは何もない。甲斐は深々と大きなため息をつき、このわだかまりに一旦区切りをつけた。
「……冥王カズムも冥王軍も人々の信仰によって生まれた存在。『あれはゲームやアニメの冥王軍と同じものだ』っていう。だからゲームやアニメと同じ行動を取っている?」
「その通りだ。モンスターの種類、その戦闘力、その対抗手段、全てゲームと同じだ。対抗手段については、この世界には太陽神ラーも海洋神ルゥもいないからこの世界の宗教に合わせて色々とアレンジをしているが」
なお太陽神ラー・海洋神ルゥ・大地神レイは「トリニティ・ファンタジア」作中の三大主神である。
「冥王軍の行動もまたゲームのシナリオに従っている。冥王カズムは絶望を糧としているが、絶望を通り過ぎて生きることを諦めてしまうと糧としての価値が弱くなる。味が悪くなる。より強い希望がより深い絶望へと堕ちる、その落差がより大きいほど糧としての価値が高くなり、また美味となる。だから奴等は勇者がある程度は成長し、人々の希望を集めることを見過ごしている。その上で勇者を倒し、人々をより深い絶望へと突き落とすために――」
「メタ的に言うなら、旅立って間もない、まだレベルアップしてない主人公に四天王が総出で襲いかかってきたら絶対に勝てないじゃない? そんなのクソゲーかネタゲーにしかならないでしょ? だから主人公をレベルアップさせるために弱い敵から始まって、レベルアップに応じて敵の強さも上がっていく。何故敵がそんなことをするのか、プレイヤーが納得するよううまく理屈をつけた設定だったわけ」
「それが現実の敵の行動を縛っている……」
は、と甲斐は半笑いとなってしまう。笑うに笑えない、それがこの世界の今の現実であり、裏側の真実だった。
「そうだ。そのシナリオ上の制約こそが人類にとってのわずかな勝機だ」
別に大声を出したわけではない。だがその声に込められた鷹杜の熱量に、甲斐の背筋は自然と伸びた。
「冥王軍に勝つには最終的には冥王カズムを倒す必要がある。冥王を倒すには勇者を揃える必要がある。最低でも『神鏡の巫女』『宝珠の聖女』『聖剣の勇者』の三人は絶対に必要だ。このうち『宝珠の聖女』は、それに相応しい人間は早々に見つかったし、『神鏡の巫女』についても早くから翡翠君の名が最有力候補として挙がっていた」
唇を噛み締める翡翠が小さく肩を震わせたが、鷹杜はそれをきっぱりと無視した。
「だが年齢的に無理があったせいで翡翠君が勇者として活動を始めたのはようやく去年からだ。そして言うまでもなく、『聖剣の勇者』が見つかったのはつい先日だ」
「あの……ぶっちゃけ『聖剣の勇者』なんて誰でもよかったんでしょう? なのにどうしてわざわざ俺なんかを」
「そうだな、誰でもよかったというのはその通りだ――大衆の信仰を集められる者なら。ハンターの自活自弁のため、後方の大衆の戦意高揚のため、大衆に希望を与え勝利への信仰を集めるため。色々と理由付けはされているが、それらは別に嘘ではないが、ハンターに動画配信をさせていた最大の目的は『聖剣の勇者』たり得る、大衆の人気と信仰を集められるハンターを見つけることだったと言っていい」
自分がその「大衆の信仰を集められる者」に該当するとは思えず、甲斐は首をひねっている。
「紅蓮剣を発動できた者が、『聖剣の勇者』候補が今までいなかったわけではない。だが期待されたほど大衆の人気を得られなかったり、戦死したり、不祥事で候補から外されたりで、ずっと空席のままとなっていた。君が選ばれたのは、大衆の信仰を集められる見込みが高かったのがまず一つ。もう一つは君が紅蓮剣を発動できたことだ。いきなりで、何の信仰もなしであれだけの力を発揮できたのは……」
鷹杜がそこで説明を途切れさせ、
「隊長?」
「いや、まだ憶測の段階だ。事実関係が判明したなら説明しよう」
ちょっと不満に思う甲斐だがこの場の追及は控えることとした。
「正直に言えば、カナリア君くらいの大人ならまだともかく、君や翡翠君のような子供を冥王と戦わせたいとは決して思っていない」
子供呼ばわりされた甲斐の頬が膨らみそうになり、彼はそれを自制しようとした。
「大人としてふがいなさを感じているし、また同時に安定性の点でも不安を抱かざるを得ない。だが『信仰』の対象として大衆から選ばれてしまったのは君達だ……この国の大衆は『世界を救うために子供が戦う話』が大好きなんだよ」
鷹杜がそう言って嗤うが、その対象が自分なのか大衆なのかは甲斐には何とも言えなかった。
「ハリウッド映画じゃ世界を救うために戦うのは大人なのに、なんで日本のアニメやゲームじゃ子供が戦っているんだ? おかしいだろ、って話はくり返し出ていたね。アニメとかの海外反応のまとめサイトで」
「なんで子供が戦っているかと言えば『需要があるから』、日本人がそんな話を好きだからだ。これは近年のアニメやゲームだけの話ではない、昔からそうなんだ。たとえばヤマトタケルは東方遠征を命じられたとき父親に疎まれていると叔母に泣きつくが、その姿は未成熟な少年のものだ。桃太郎が鬼退治に旅立つのは元服前の前髪が残るとき。源義経も、武蔵坊弁慶と戦ったときは言うまでもなく、それ以降もずっと若武者の姿で描かれている。モンスターと戦うのが子供の役目なのは四魂説が影響しているという話を聞いたことがあるが、いまいち腑に落ちなかった……ともかく、『信仰』の対象として、勇者として選ばれてしまったのは君達だ。実際君は『聖剣の勇者』として充分な信仰を集めている」
鷹杜にそう評価されても甲斐は納得できず、いまだ首をひねっている。
「『トリニティ・ファンタジア』は日本で製作されたゲームだ。舞台こそRPGでありがちな中世ヨーロッパ風の『剣と魔法の世界』だが、その設定の根幹には日本神話が、日本の伝説が深く関わっている。『黄金鏡』『紺碧珠』『紅蓮剣』は言うまでもなく皇室に伝わる三種の神器をモチーフとしたもので、オリジナルがこの国にある。勇者を見つけ出し、三種の神器を与え、冥王を倒す――それはこの国にしかできないことなんだ。だからこそ、というべきか、この国では何年にもわたって冥王軍は積極的に動こうとはしなかった」
「でも、冥王軍は毎月のように攻めてきていて」
「奴等が本気でこの国を潰すつもりならやりようはいくらでもある。あんな温い攻め方など……我々が三人の勇者をそろえるよう、その手助けとなるように適度な規模の戦場を用意すること。それこそが冥王軍の目的だったと考えられる」
その胸糞悪い事実に甲斐は食いしばる歯を軋ませた。
「彼等は待っていたのだ。三人目の勇者が選ばれ、人々の希望が集まるのを――ゲームの本編が始まるのを」
「俺達もシナリオに従って四天王を一人一人倒していく? 四天王はシナリオ通りに負けてくれる……わけはないよな」
甲斐は四天王ハルベリンと直に会い、言葉を交わしている。シナリオという制約に縛られながらもその中で全力を尽くすと、彼は明言している。そもそも「死霊都市攻略戦」でハルベリンは勇者パーティを倒すために悪逆非道を全速力で突っ走ったのだ。シナリオ通りに全力を尽くし、それで甲斐達に勝ってしまったなら、シナリオを変えたのは勇者側ということになるのだろう。
「でも甲斐君がいて翡翠ちゃんがいて、隊長も燕ちゃんもマユール君もいる。ハルベリンにだってきっと勝てるよ!」
「そうですね。ゲームと同じく敵が一人ずつしか出てこないなら好都合だ。一人ずつ倒していって」
「最後に冥王を道連れにして、死ぬんですよね――シナリオ通りに」
翡翠が嘲笑のように、呪詛のように言う。その場の空気は一瞬で凍り付いた。
「その通りだ。他の方法はない」
刹那の躊躇を呑み込み、鷹杜が断言。甲斐もまた脊髄反射の速さで「どうして!」と反発した。
「最終奥義でしか冥王を倒せないって、結局みんながそう思い込んでいるだけってことでしょう?! それなら他の方法を広めれば」
「そんな方法があるのなら私は喜んでそれを採用しよう。ただしそれはゲームやアニメの作中で語られていて、それらの設定と整合性がなければならない」
どうして、と甲斐がくり返す。
「たとえばの話だが……そうだな、『このロンギヌスの槍を使えば勇者の生命を捧げることなく冥王を倒せます』という設定を言い広めるとしよう。『トリニティ・ファンタジア』の作中にはそんなものは出てこないから誰も信じない。それでも信じさせたいなら、結局は勇者の正体についてネタばらしをすることになる。人類側だけが弱体化し、冥王軍はその力を保ったままで……」
鷹杜はため息をつき、肩をすくめた。
「ネタばらしがあってはならない。設定と矛盾があってはならない。人々に信じてもらえなければならない――我々もただ手をこまねいているわけではない。何人ものブレーンが『トリニティ・ファンタジア』を、旧作も含めて何百回もプレイし、アニメを隅から隅まで何百周もし、設定資料集を何百回も読み返し……『フェニックス』のスタッフがコミケに出展した同人誌すら情報部が八方探し回って手に入れて、ほぼ全部網羅していると言っていい。そこまでやって、それでもそんな都合のいい手段は見つかってはいないんだ」
「でもだからって、それで俺達に自爆特攻を……」
「私がこの五年間何人に『死ね』と命令してきたと思う」
静かな、だがその重い言葉に甲斐は何も言えないでいる。
「『丁』部隊は毎年何千という死者を出している。『乙』も『丙』も、これまで多大な犠牲を払ってきた。『冥王軍はゲーム通りの行動をする』、その仮説を立証するためだけの作戦を実行し、動員数の半分を溶かしたこともある。だがそれらは全て冥王軍に勝つため、世界を救うため。六千万の日本人と一六億の人類の未来のためだ。もちろん望んでそうするわけではないが、君達三人を死なせるだけで冥王を倒せるのなら私はそれを躊躇わない」
甲斐は何も言えない――それは一番最初に言われたことだ。「死ね」と命じられると最初から判っていて、それでも甲斐は「聖剣の勇者」となることを選んだのだ。他にも何か手段があると、漠然とした期待で自分の目を覆って。
甲斐は今になって、あるいは初めて現実を直視している。冥王を倒すためにその生命を捧げなければならない、自分の運命を。これまで何度も死ぬような思いをし、死に直面してきた。だが今、死がこんなに怖いものだと――彼は生まれて初めて実感していた。
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