いまへの応援コメント
ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる三人の兄弟のなぞなぞを思い出しますね。
> 三人の兄弟がひとつの家に住んでいます。
> ほんとうは姿、形がちがうのに、三人を見分けようとすると、それぞれが互いにうりふたつです。
>
> 一番上は今いませんが、これから現れます。
> 二番目もいませんが、もう出かけた後です。
> 三番目のチビさんだけが、ここにいます。
>
> それというのも、このチビさんがいないと、あとの二人が消えて無くなってしまうからです。
>
> でも、三番目のチビさんがここに居られるのは、一番目が二番目の兄弟に変身してくれるからです。
> また、あなたが三番目をよく眺めようとしても、見えるのは他の兄弟のうちの1人だけです。
>
> そして、この三人は一緒に大きな "くに" を治めています。
> さて、それぞれの兄弟とは一体何でしょうか?
作者からの返信
Ashさん。コメントありがとうございます。
なるほど『モモ』のエピソード、ユーモアがあって面白いですね。
どうせ考えても仕方のないことなら、自分なりに楽しい答えを見つけたいと思います。それが屁理屈であっても、自分が納得すれば最強ですから。
いまへの応援コメント
本当に「いま」という感覚を受け止めるのって難しいですね。
「過去」になれば日記とかにして把握できるけど、一番身近にあるはずの「いま」ってすごくとらえどころがない。
もっとその時間をゆっくり味わいたいけど、どんどん流れてしまうというのがやっぱり妙なもどかしさとかありますね。
作者からの返信
黒澤さん。コメントありがとうございます。
過去はすでに決まっていて(評価にはさまざまな幅がありますが)、未来は夢を語ればよい(それなりの責任は伴いますが)。
しかし「現在」をどう捉えるかは判断がむずかしいですね。
ある意味、その人の捉え方がその人の生き方に関わるような気がしています。
いまへの応援コメント
今は目に見えなくても過去として累積してしまう、その重みを意識しながら刹那を生きられたらと思います。
作者からの返信
柊圭介さん。お読みいただきありがとうございます。
自分の行いが、それなりの結果を引き起こす。「いま」が目に見えないだけに、気に留めておきたいですね。