オレの担当編集者が属性過多すぎる
茅
第1話 そんな作品書いたことない!
「書きたいことが尽きたら、作家辞めそう」
そう言ったのは、五年前に別れた元カノだった。
彼女の言うとおり、ひとしきり書き切ったオレは、まるで生を全うした虫のようにひっそりと活動を止めた。
かつては精力的に執筆し、本業の傍ら時間さえあればパソコンに向かっていたというのに、燃え尽きた後の蝋燭は溶けた蝋が歪に固まるのみで、僅かな熱も残らなかった。
人を惹きつける輝きも、心を温める熱も与えない残骸は、まるで存在しないかのように人々に忘れ去られた。
新作を出す度に応援してくれた読者も、SNSで親しくしていた作家仲間ももはや「
オレはヒット作を持つ売れっ子でもなければ、コンスタントに本を出せるほど出版社に評価されている作家でもなかった。
デビューから世話になっていた担当編集者が退職し、後は編集長が受け持つと言われた時に潮時だと感じた。
編集長が後任と聞けば、まるで重用されているように錯覚するかもしれない。
もし累計○○万部とか、メディアミックスで映像化までいっている作家だったらその可能性はある。
だが残念ながらオレはどちらでもなかった。
十年間、年に1冊のペースで上梓したが、一度も重版したことがないので、毎回数千部しか売れていない。
何年も前にコミカライズの話が出たことがあるが、作画者探しの段階で自然消滅した。
今後は編集長が担当というのは、オレにはもう担当編集者をつけないという遠回しな通達だ。
事務的なやり取りをする窓口を編集長が担うので、次作の相談どころか必要最低限のやり取りしかしませんよという意思表示。
もっとわかりやすく言えば「当社とあなたの取引は終了しました」ということだ。
しがみついてでも書きたい話があったわけでもないので、昔彼女と別れたときのように、すとんと関係の終わりを受けいれた。
新作を書く意欲もないのに、なんとなく執筆の時間が確保できるようにセーブして働いていたのを止め、副業する暇も無いフルタイムの職に転職した。
既に年単位で書いていなかったので「書かない」から「書けない」環境にシフトしたところで、日々の生活に変化はなかった。
こうして小説家として過ごした日々は、思い出として風化していくのだろうと思われた時に、あの女は現れた。
「あの女」とは些か乱暴な呼称だが、オレに降りかかった災難を考えれば、破格の温厚さだと思う。
あの女――
集合ポストの側でしゃがみ込むスーツ姿の若い女。
パーマもカラーもしていない髪は、若々しく艶がある。飾り気の無い黒ゴムで、うなじ辺りでシンプルにひとくくりに。
安そうなスーツ、ローヒールのローファー、就活生がよく持っている鞄。
髪型同様メイクもシンプルだが、元が良いからか野暮ったさよりも透明感が際立つ。
時期的に就活生ではなく、新卒だろう。
鍵をなくしたか。彼氏と同居していて追い出されたか。
いずれにせよ都会のアパート暮らしで、ご近所付き合いとは無縁だったオレは彼女の顔に見覚えは無い。関わり合いになる気も無い。
破錠なら業者に連絡すればいい。携帯の充電が切れたというなら、すぐ側にコンビニがある。
同居人とのトラブルなら、見ず知らずの人間が首を突っ込んだところで、解決どころか新たな火種を生みかねない。逆恨みはごめんだ。
社交辞令で迂闊に声をかけたら、最後まで付き合う羽目になりそうなので、オレは見て見ぬふりをして自分の部屋番号が書かれたポストをチェックして去ろうとした。
「! あのっ、山吹先生ですか?」
いきなりペンネームで呼ばれて、身体が硬直した。
「えっと、お疲れさま――じゃなくて、いつもお世話になっております! 私、○○出版の鹿山亜金奈と申します。この度、先生の担当になりました。今年入社の若輩者ですが、やる気は誰にも負けない自信があります。是非先生と――「ストップ。こんな場所でベラベラ話すのは止めてくれ」」
ご近所付き合い皆無なアパートだが、誰が聞いているかわからない場所で作家だと吹聴されるのは――しかもペンネームを公言されるのは嫌だ。
慣れない仕草で名刺を突き出してきた鹿山を制すると、オレは一瞬迷った後に彼女を部屋に上げた。
邪な考えは全くない。
この辺りは住宅街なので、コンビニの他には21時までやっているドラッグストアぐらいしか店が無い。
最寄りの飲食店は徒歩二十分のファミレスのみ。
仕事終わりで往復四十分歩くのが嫌だっただけだ。
担当作家とはいえ、初対面の男の部屋に招かれてたじろぐかと思いきや、鹿山は嬉しそうについてきた。
警戒心を持てと言いたくなったが、今時の若者にとっては、この程度は意識する方がどうかしているのかもしれない。
「――御社の編集部は、編集長が担当していただけると聞いていましたが」
他の編集者が手を上げなかったから、後任不在なんじゃないのか。
「えっと、そうだったんですが。以前から山吹先生のファンだったので、フリーだと聞いて立候補しました!」
「……それはどうも。突然訪ねてこられて驚きました」
というか、本物の編集者か現在進行形で疑っている。
手元の名刺をチラリと確認する。十年の間にデザインが変わったのか前担当のものとは少し違う。
ロゴはあの出版社のもので間違いない。
わざわざ名刺を作ってする詐欺なんて、自費出版の類いだろうか。
消えた作家をターゲットに、レーベルとして刊行することはできないけど、系列を紹介します的な。
「それは、えっとすみません。メールしたんですがお返事が無くて、突然お電話するのは気がひけて、来ちゃいました」
「普通は訪問する方が気がひけると思うんですが」
アポなし凸なんて友達でもハードルが高い。
躊躇無く実行できるのは、陽キャかクソトメだけだ。
「そっ、そうなんですね。実家が山の中で電波が入りにくい場所なので、スマホで連絡よりも、用があれば直接行くことが多かったもので……」
「大学進学を機にこっちに出てきた感じですか」
「そんな所です」
出版社に就職したことと、外見年齢より大卒だと推察した。
都会に出てきてまだ4年。田舎育ちで世慣れていない、と言われれば納得できなくもない。
「オレのファンとか珍しいですね」
まあ、お世辞だろうな。
担当する作家の機嫌を損ねないように、とりあえず持ち上げたに違いない。
「人生で初めてだったんです。文章を読んで声を出して笑ったことも、スカッとしたことも」
「……それ、人違いでは?」
名前が似ている別の作家と混同しているのではないか。
「先生の作品で間違いないです!」
「いや、絶対違う」
オレは世話焼きではないが、人並みの良心は残っている。
思い違いで若者が貴重な時間を無駄にするのを見過ごすのは心苦しいので否定した。
「私は先生と、人生を変えるような作品を作りたくて編集者になったんです!」
「いやいや、ありえないって」
「謙遜しないでください。先生の作品はそれだけの力があります!」
「オレ、ホラー作家だからッッ!!!!」
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