いつか、それが、殺人となる。
瑳帆
第1話 箱の中身 ※娘視点
私の両親は近所でも評判の仲睦ましい夫婦だった。
父が四十五歳で母が四十九歳。出会いは大学生の頃、ロッククライミングのサークルの先輩後輩で母が父の世話をやくうち恋人同士になったそうだ。
父は当時会社社長の父親……私にとっての祖父のもと裕福な暮らしをしていた。人の良い祖父は友人の連帯保証人になり、その友人の裏切りで多額の借金を背負わされた。返済の為無理をした祖父が過労死し、借金取りの催促で精神を病んでいた祖母は祖父の後を追って首を吊った。会社の権利を売ったお金と両親の保険金とで借金は返せたものの残されたのは父独り。
そんな父を精神的にも経済的にも支えたのが母だった。
既に卒業をして働き始めていた母は会社には内緒で夜のバイトをしながら、祖父母みたいに理不尽な借金を背負わされた人を援ける為に弁護士になりたいと言う父の援助をしたのだ。
父は見事現役で国家試験に合格し弁護士の資格を取った。
「今度は俺が支える番」卒業と同時にプロポーズして母は専業主婦になった。
子供は私ひとり。難産で大量出血した母は命の危険に晒され子どもの産めない身体になった。
「ひとりっ子でごめんね」と口癖のように言っていた。二人共溺愛に近い愛情を注いでくれたから少しも淋しいと言う不満は無かったのだけれど。
父はクライアントの都合以外は基本土日が休みで、三人で買い物や食事に出掛けたりしていた。日頃仕事で夜遅くに帰って来たり泊りがあったりして構ってあげられないからと言う父に、休日はゆっくりして欲しいのにと呆れながらも嬉しそうにする母。
二人の共通の趣味のロッククライミングに年に数回出掛けては「次はこの山」「こっちの崖が良いんじゃない?」と楽しそうに話す二人を見るのが私の幸せな時間だった。
誰もが羨む幸せを絵に描いた家族。
――母が事故で亡くなるまでは。
何時ものように二人でロッククライミングに出掛け、帰って来たのは満身創痍の父と包帯だらけの物言わぬ母。
よく登っていた崖だった。慣れが油断を産んだのかもしれない。年齢の所為もあったかもしれない。
もう直ぐ崖の頂上という所で足を滑らせた母が宙吊り状態になったそうだ。おまけに落下の衝撃でロープが腕に絡み肩を脱臼していたという。二人はロープで繋がっていて片手で岩を片手でロープを必死に掴んでいた父。このままでは二人共落ちるという時、母は自分のハーネスからロープを外し独りで落ちていったそうだ。
愛する夫を道連れにしない為、そして私を独りにしない為。
母は自ら落ちる直前に父に言葉を残した。
『愛しているわ』
母らしい最期の言葉だと思った。
二週間が過ぎ父も私も日常に戻る事にした。仕事が溜まっていると思われる父だったけれど、初日以外は早く帰ってきてくれた。
その気遣いに感謝して母には到底及ばないけれど夕食を作る事にした。
失敗の少ないカレーで良いかとルーを探していたらストッカーの奥にガムテープでぐるぐる巻きにされた正方形の箱が出てきた。
「ママったら、へそくりでもしていたの?」
くすりと笑いガムテープを剥がし蓋を開けてポカンとしてしまう。
最初に目に入ったのは保存用の袋に入った何かの検査キッドだった。赤い線がくっきりと浮かび上がっていた。
「何これ……?」
他にも口紅やらピアスが袋に入っている。母の思い出の品物だろうかとガサゴソと中身を出しているとソレが出てきた。
「キャッ!」
ソレは使用済みの避妊具だった。
「何でこんな物隠しているの?」
母がこんな気持ち悪い物を隠しているとは思えず更に中身を確認するとボイスレコーダーが出てきた。
多少不気味さを感じたけれど確かめずにはいられなかった。
遠くの声を拾っているのか聞き取りにくい男女の声。やがて声が近付きギシッという音の後チュッチュッと言うリップ音が聞こえてきた。
『可愛いな』
その声は父だった。
「まっずい!」
まさか両親の夜の営みを録音していたボイスレコーダーとは思わず聴いてしまったことに冷や汗をかく。慌てて停止ボタンを押そうとしたら、その声が聞こえてきた。
『アン……くすぐったいわ、亮さん』
明らかに母とは違う若い声。
『ここか? リホ……』
『ダメ……ん……』
『もうこんなになって……いやらしくて可愛い』
鳴り響く水音に眩暈がした。吐き気を催し停止ボタンを押す。
信じられなかった……いいえ、信じたくなかった。
何時も家族を優先していた自慢の父親。
土日の休みは家族で出掛けて買い物や遊園地に連れて行ってくれていた。
誕生日やクリスマスは必ずプレゼントを用意していて予約したレストランで外食をした。
入学式や卒業式はもちろん、運動会も参観日も二人揃って来てくれていた。
それなのに……優しく微笑み手を振る父の姿が、若い女と戯れる父の姿に塗り替えられる。
――父の裏切りが詰められた箱。
母が誰にも見付からないように隠していた浮気の証拠。何故母はこれを隠していたのだろう?
たかが浮気と許していたのだろうか……?
いいえ。許すならこんな物とっておかないわ。
ふと、最初に目に入った検査キッドに目がいった。同じ袋に封筒が入っているのに気付く。
袋を開け封筒を取り出すと母宛の手紙だった。
中身はクシャクシャになった一枚の便箋。
最初に目に飛び込んだのは赤い線。
「えっ!?」
赤い線だと思っていたものは文字だった。歪な字で「死ね」と書かれている。
「何なのこれ? いったい誰がママにこんな物送りつけたのよ!」
私はクシャクシャになって読みづらくなった文字を拾い始めた。
『突然こんな手紙を送り付けたことをお詫びします。私は十年間、亮さんのお世話になっている者です。多分、気付いていますよね?
今、亮さんはとても苦しんでいます。
それは私のお腹に亮さんの子供がいるからです。彼は産めと言ってくれました。嬉しかった。
でも亮さんは奥様に恩を感じていて離婚する事が出来ずにいるのです。
もう良いんじゃないのですか? いい加減彼を解放してください。お願いです彼の子供の為に別れて下さい』
「何なの、この女! 信じられない!」
まるで脅迫状のような手紙。送りつけて来たのは間違いなくボイスレコーダーの声の女だろう。
ふと思い出す。葬儀で隣人が言っていた母が悩んでいたようだと言う言葉。心当たりがなく気の所為じゃないかと思っていた。
――母は父の浮気に苦しんでいたんだ。
母が亡くなって以来憔悴しきった父。毎日、毎日、母の遺影に語り掛けてはポロポロと涙を流し「すまない」と謝っていた。
まるで許しを乞うようなその姿に「援けられなくてすまない」「独り逝かせてすまない」と言っているのだと思っていた。
『裏切ってすまない』
父は母に懺悔しているのだ。
浮気の証拠を送り付けてくるような女だ。碌な女じゃない。
父はそんな女に唆されたのだ。
父はきっと後悔している。
でもその一縷の望みは箱の底に貼りつけられている母の手紙に打ち消されてしまった。
《唯、私怖いの。私はパパに殺されるかもしれない》
そんな言葉で始まった私宛の手紙だった。
《一年くらい前から泊まりの仕事や出張から帰ってくる度、パパの洗濯物に紛れて女性用の私物が入っていたの。パパに限って浮気は無いと思っていたけれど、流石にボイスレコーダーの声を聞いた時は認めざるを得なかったわ。
それでも今までも私たち家族の絆を信じて責め立てる事はしなかった。ただ魔が差しただけだろうって気付かないふりをしたの。
でもね、パパの子を身籠ったと言う手紙に「死ね」と書かれているのを見て身の危険を感じた。それに手紙が届いてからパパの様子もおかしかったから。
急にロッククライミングに誘ったり、保険金を上げたり。
でも私はパパを信じたい。そんな事をする筈がないって。
だからこの箱は保険。
でももし唯がこれを読む時、私に何かあってたいら……》
《パパを疑って》
――ママは事故で死んだんじゃなかったの!?
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