毒を喰らうお嬢様
獅堂平 SHIDOU TAIRA
プロローグ
プロローグ 目撃
ぶううううううん。
妙な音がしたので、私は手を止めた。辺りを見渡すが、蚊や蠅の類いはいない。虫の羽音ではないようだ。神経質になっているので、幻聴だろうか。
作業を始める前に、調理実習室の窓はすべてカーテンを閉じる。廊下や中庭から誰かの目撃を避けるためである。慎重に行動しなければいけない。
次に実習机の下にある棚から、粉寒天が入った箱を取る。鍋をガスコンロにセットして、水と共に寒天を放り込んだ。
中火で混ぜながら寒天を溶かしていると、男二人の声が聞こえた。そのまま、この調理実習室を通り過ぎるかと思ったが、あにはからんや、立ち止まった。
すぐさま、鍵を差し込む音がした。この場面を見られるのは好ましくない。私は慌ててガスコンロの火を止めて、机の下に隠れた。
ほどなく入室してきた二人組を見て、私は見慣れない組み合わせに驚いた。彼らは、何用でここに来たのだろうか。
扉を施錠して、おもむろに服を脱ぎ始める。
「これに着替えなさい」
長身の男が、まだ幼さが残る少年に衣装を渡した。少年は、つい先日転校してきた草間だ。
二人が着替えた衣装は煌びやかなものだった。長身の男は、コサージュの付いた白衣装で、ラインストーンが綺麗だ。草間はカトリック司祭のような格好だが、いくつか金色の刺繍がある。両者とも、演劇部から拝借してきたものだろう。
演技練習でもするのかと思い、息を潜めて眺めていると、更に予想外な展開が始まった。
長身の男がゆらりと草間に近づき、唇を奪った。少年は嫌がるそぶりを見せず、両手を男の後ろに回す。くっついたまま離れず、舌が絡み合う音が聞こえる。
その時、私は二人が恋仲であると悟った。意図せず、逢瀬の目撃者となっていた。
ひとしきり絡み合って楽しんだ後、衣装を脱ぎながら、決然とした様子で男が言う。
「なあ。彼らに関わるのはやめないか?」
「どうして、そんな事を言うの?」
緊張感が走った。
「あいつらに関わるのはよくない」
男は理由を述べない。ただ、どこかのグループと距離を置くように言っているだけだ。
「嫌だよ。僕にも居場所が欲しいんだ。転校した理由はあなたが一番よくわかっているでしょう?」
転校理由は家庭の都合と聞いていたが、真実は違うようだ。やむに止まれない事情があるのだろう。
「だけど、あんな奴らと……」
「うるさい!」
草間はいきりたった。脱いだばかりの衣装を乱暴に男へ投げつけた。楽しかったコスチュームプレイの場所は、すっかり痴話喧嘩の場所に変貌していた。
ふたつの衣装を持ちながら、男は言う。
「考え直してくれ。君には私がいるじゃないか。居場所なら、もっとよいところがあるはずだ」
「うるさい、うるさい、うるさい!」
もう草間は聞く耳を持たないようだ。
男は嘆息すると、悲しげな表情で調理実習室を出て行った。
暫くして、草間も退室した。
扉がしっかりと閉まったのを確認して、隠れた場所から這い出た。とても息苦しい時間だった。
ゆっくりと深呼吸をする。気を取り直して、ガスコンロに近寄った時、床に落ちていた何かを蹴っていた。
何だろうと、私はそれを手に取る。『UMA研究部』と書かれているボールペンだ。喧嘩の最中に、さきほどの草間が落としていったのだろうか。
ボールペンを胸ポケットに仕舞い、私は鍋を見やる。寒天は固まっていたので、作り直しだ。再び寒天を溶かそうとガスコンロに火をつける。
その刹那、扉の開く音がして、私は驚いて振り向いた。
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