シン悪役令嬢 ―正義がある限り、悪役令嬢は進化するのよ―
五平
第1話:転校生、そして「絶対の規範」の始まり
カラン、と乾いた音が耳の奥で響いた。
それはまるで、私の心臓が凍りつくような、
残酷な審判の開始を告げる鐘の音だ。
脳裏にフラッシュバックしたのは、
あの日の光景。
雨がアスファルトを叩きつける音、
人々が発する罵声の濁流が、
耳朶を劈(つんざ)く。
そして、私に投げつけられた生卵の、
ねっとりとした不快な感触が、
肌にこびりつく。
その悪臭が、今も鼻腔に蘇るかのようだ。
私はただ、正しかっただけなのに。
規則を守り、不正を訴えただけなのに。
なぜ、あの時、私だけが「異物」として
排除され、全てを失わなければ
ならなかったのだろう。
前世で、私は誰もが正しいと
信じて疑わないルールを遵守した。
不誠実な者に正義を訴えたにも
関わらず、結局は裏切られた。
理不尽な状況で社会から排除され、
全てを失った。
その記憶の核心にあるのは、
私を糾弾する群衆の顔、
その中に唯一浮かぶ、
冷たく嘲るような“裏切り者の笑顔”だった。
その瞳の奥には、
私を奈落へ突き落とす喜びが満ちていた。
その深いトラウマが、私の新しい
人生の始まりを、冷たい決意で
染め上げていた。
二度と、二度と、理不尽に屈したりしない。
この世界で破滅を回避する唯一の道は、
いかなる歪みも許さない完璧な秩序と、
全ての規則の絶対的な厳守。
それだけだ。
私は“正しさ”という宗教の
信者なのよ。
この信念こそが、私の全てであり、
私を動かす唯一の原動力なのだ。
「アイリーン・フォン・ローゼンブルクですわ。
本日より、皆様と共に学園生活を
送らせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします」
聖リリアーナ女学院。
きらびやかなステンドグラスが
陽光を浴びて虹色の光を放つ礼拝堂。
その神聖な空間に、私の声が響き渡る。
私は完璧な立ち姿で挨拶を述べた。
ステンドグラスの虹色が礼拝堂を染める中、
私は唯一、光に溶け込まない影のように
そこに立っていた。
私の存在そのものが、
この学園に問いを突きつけるかのようだ。
制服は寸分の乱れもなく、
襟の角度からスカートの丈、
ソックスの皺一本に至るまで、
全てが学園の規定通りだ。
プラチナブロンドの髪は絹糸のように
背中に流れ、吸い込まれるような
ロイヤルブルーの瞳は、壇上から静かに、
しかし冷徹に、私を見つめる全ての
生徒たちを視線だけで値踏みしていた。
その視線は、まるでレントゲン光線のように、
彼女たちの心の奥底に潜む「無秩序」を
暴き出そうとする。
その無秩序の匂いが、私にははっきりと感じられた。
甘く、しかし腐敗したような匂いだ。
(この学園の秩序は、いかに脆いのかしら?
見せかけの平和の裏に、どれほどの歪みが
潜んでいるのか?)
入学式の最中、私の脳内ではすでに、
周囲の生徒たちの小さな逸脱が
厳しく採点されていた。
一人の生徒は背筋がわずかに丸まり、
別の生徒は制服のリボンが規定より
ほんの数ミリ緩んでいる。
隣の生徒の足元からは、パンプスのかかとが
不自然に擦れる“キュッ”という微かな音がした。
それは、まるで小さな砂が、
滑らかな歯車に挟まる音のようだった。
どれもごく些細なことだ。
しかし、私の前世の経験が警鐘を鳴らす。
些細な緩みが、やがて全体を蝕むのだと。
それらの小さな乱れが、私の脳内で
不快な不協和音を奏で、視界の端が
歪んで見えるような錯覚を覚える。
世界が、正しさを失ってひび割れていく
音がした。
そのひび割れの向こうには、
混沌の闇が広がっている。
私は無意識に眉をひそめ、
その歪みを正すかのように、
さらに背筋を伸ばした。
私の存在自体が、
この世界の歪みに対する、
静かな抗議なのだ。
午後の学食は、まさに「無秩序の縮図」だった。
喧騒、列の乱れ、生徒たちの笑い声は
規律を無視した高音域で響き渡る。
その耳障りな音が、私の鼓膜を叩く。
私は無言で配膳の列に並んだが、
数人の生徒が当然のように列の途中に
割り込もうとするのを見て、思わず息をのんだ。
彼らの顔には、悪びれる様子など微塵もない。
当然の権利であるかのような傲慢さが滲んでいた。
「あの、失礼ですが」
私の声は、場にそぐわぬほど澄み切っていた。
割り込みをしようとした生徒が振り返る。
その瞳には、私への不満と、
わずかな敵意が宿っている。
「列は、この線から並ぶのが規則ですわ。
皆様が規律を守らなければ、秩序は保たれません。
貴女の行動は、他の方の時間を侵害しています」
私の言葉に、生徒たちは一瞬ぎょっとしたが、
すぐに「何よ、この人」という不満そうな視線を
向けてくる。だが、私は一切怯まない。
彼らの顔に映る甘えや軽視こそが、
私が正すべき「悪」なのだと直感したからだ。
結局、生徒たちはしぶしぶ列の最後尾に
戻っていった。
周囲からは「怖い人」「完璧すぎてもう…」
「まるで人間じゃないみたい」といった囁きが聞こえる。
それは、私の心を冷たく撫でる。
しかし、私の心には小さな達成感があった。
秩序が、再びその場所に根を下ろしたのだ。
だが、その達成感の裏側で、
なぜか胸の奥に微かな虚しさがよぎった。
この「正しさ」は、本当に私を救うのだろうか?
この先に、本当に私が求める秩序があるのか?
私の「正義」は、ただ孤独を深めるだけなのか?
その疑問が、冷たい風のように心を吹き抜けた。
昼食後、学食のテーブルには、
無造作に置かれた教科書、水筒、
さらには食べ残しのパンまでが散見された。
誰も片付けようとしない。
その光景は、私にとっての「混沌」の象徴だ。
(規則第33条“使用後の備品及び空間は、
速やかに原状に復すべし”。
何とだらしないこと!)
私は無言で、それらの私物を集め、
近くの「遺失物箱」に丁寧に収めた。
まるで、世界の歪みを、
一つ一つ正していく儀式のように。
そして、テーブルを布巾で拭き、
元の完璧な状態に戻す。
布巾がテーブルを擦る音が、
私の心に静かな満足をもたらす。
私が机を拭く時、世界の乱れが
正される気がした。
周囲の生徒たちは、私の行動をまるで
奇妙な見世物のように眺めている。
中には、「完璧すぎて無理」
「そこまでやる必要ある?」といった、
呆れとも畏怖ともつかない声が漏れる。
しかし、彼らの目に映る「冷酷」や「異常」
といった印象こそが、私の求める「悪役」なのだ。
そう、「私は誤解されたくて、
こうしているの。
好かれたいなら、悪役などやらないわ」。
前世で「正しい」と信じて排除された経験が
あるからこそ、この世界では「嫌われる」ことで、
逆に「正しい」道を突き進むことができると知っていた。
放課後、学園トップの“令嬢グループ”の
一員である高慢な取り巻きたちが、
慣例としてアイリーンをティーパーティーに
誘いに来た。
彼女たちの顔には、
表面的な笑顔と、
裏にある私への軽蔑が混じり合っていた。
「ローゼンブルク様、本日はお疲れ様でした。
よろしければ、わたくし共のティーパーティーへ」
代表の令嬢は、一見丁寧だが、その瞳には
私を品定めするような傲慢さが宿っている。
「うふふ、ローゼンブルク様の厳格さ、
ほんとうに頼もしいですわ
(ふん、まるで監獄官よね)」
彼女の口元は笑みを形作っているが、
その瞳の奥には明確な嘲りが宿っていた。
その声のトーンには、
私を格下に見る軽薄な響きが隠されている。
私は彼女たちの軽薄な会話や、
紅茶の淹れ方のわずかな不作法、
お茶菓子の取り方の不規則性にも
厳格な目を向ける。
ティーカップの持ち方、
サンドイッチの切り方一つに至るまで、
私の脳内では厳格なルールブックが展開されていた。
彼女たちの何気ない「このくらいなら大丈夫」という
甘えが、アイリーンにとっては
「秩序の崩壊の始まり」として映る。
それは、前世の悪夢を再び呼び起こす。
「お招き、光栄ですわ。
しかし、貴女方のお茶の作法には、
まだ改善の余地があるようですわね」
私の言葉に、令嬢たちは一瞬にして顔色を変える。
彼女たちの顔から、
仮面の笑顔が消え失せた。
「わたくし、私のルールは誰も守れない?
なら、世界の方を是正しましょう。
この学園のマナーも、皆様の意識も、全てですわ」
私の表情は完璧な無表情を保ったまま、
しかしその声には、一切の妥協を許さない
鋼のような響きがあった。
令嬢たちは恐怖におののきながら、
私を「冷酷な悪役」と見なし始める。
彼らの心に、私が求める「正しさ」の楔が、
確実に打ち込まれたのだ。
私の目的は、嫌われること。
そして、その嫌われる覚悟が、
私を真の正義へと導く。
この学園で、私という異物が、
世界の正しさを再定義する物語が始まった。
愛されなくていい。理解されなくていい。
ただ、世界が震えるほど“正しさ”を刻みたい。
破滅も、賞賛も、不要。
必要なのは、ただ“正しさ”だけ……
けれど、心のどこかが、まだ誰かを探していた。
それは、私が最も深く押し殺した、
人間としての“飢え”の残滓だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます