連理の刑事 ~殉職した警部補が新人巡査に憑依したら…~

百田沙耶

プロローグ




 



 暗く冷たい会議室の片隅、鷲屋蒼佑は息を殺していた。かつては重要な決断が下されていたであろうこの空間は、新庁舎が立つと出入りが徐々に減っていき、今や埃と忘却に支配されていた。


 窓からわずかに漏れる街灯の光が、長い影を床に落としている。


 彼の手元には、警察内部から犯罪組織への情報漏洩を示す証拠の断片があった。データの中には、捜査データと、それに呼応するように発生した一連の事件の痕跡が残されていた。


 単独捜査を決断したのは、もはや上層部にも疑いの目を向けざるを得なかったからだ。特に二階堂仁課長あの人がこの事件に関わっている可能性は捨てきれなかった。二階堂の周囲で起きる不可解な人事異動、依願退職。そして何より、捜査中の殉職者が4人も出ている事。


 蒼佑は会議室の古びたテーブルに広げた資料に目を走らせた。十五年のキャリアで培った直感が、彼に真実の輪郭を感じさせていた。あと少し、あと少しで全貌が見えるはずだった。


 廊下からの足音に神経が逆立つ。


 深夜の廃庁舎、この時間に人がいるはずはない。蒼佑は反射的に証拠書類を折り畳み、内ポケットに滑り込ませた。息を潜め、武器になるものが無いか首を振り、床に落ちていたボールペンを拾って構えた。


 足音は会議室の前で止まり、ドアノブがゆっくりと回る。


「誰だ?」


 振り返った瞬間、蒼佑は見知った顔を認めかけた。ほんの一瞬、安堵の表情が彼の顔をよぎった。だが、その認識が完全に形になる前に、消音器サイレンサー付きの銃から放たれた弾丸が、静寂を微かな破裂音で破った。


「許せ、鷲屋...これも仕事だ」


 こめかみに走る激痛。床に倒れる自分。テーブルの脚に肩をぶつけ、天板に積まれていた古い書類が雪崩のように崩れ落ちる。血の匂いが鼻をつく。視界が暗くなる中、蒼佑の頭に浮かんだのは、これまで守ってきた正義と、まだ明かせていない真実への怒り。


(まだ...終わらせるわけには...)


 言葉を紡ぎ出せたのかどうかも分からないまま、床に広がる血だまりに自分の歪んだ顔が映る。その向こうに、ゆっくりと近づいてくる2つの靴音。


「心配するな、あんたの捜査は無駄にはならない。オレが責任を持って、"解決"するから。」


 冷たい微笑を浮かべる顔。あと一歩で真相にたどり着けたのに。蒼佑の意識が闇に沈んでいく。最後の力を振り絞り、彼は内ポケットの証拠に手を伸ばした。指先は紙の端に触れたのに、それ以上の動きはできなかった。


「さようなら、鷲屋警部。アンタの変わりは沢山いるから安心して眠りな。」


皮肉めいた言葉が耳に届く。蒼佑の視界が完全に暗転した。

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