第4話 怪しき仲介屋


 車で移動した二人はビュッフェ形式の外食チェーン店を訪れ、腹ごしらえをしていた。格安の店だったので、選べる料理はどれも粗末なものだったが、若い男など胃袋が膨れればそれで満足するものなので、特に文句を言うことも無く、しなびた肉や野菜を平らげていった。


 空腹が解消されたことで二人には少しの精神的余裕ができた。コウスケのみならずツカサもその冷涼な顔立ちを緩ませ、男子らしく口に食べ物を運んでは豪快に頬張っていく。涼しげな青年が垣間見せる人間味に、コウスケも咀嚼を重ねながら表情をほころばせた。


「なあ、腹ごしらえもできたことだし、これからどうすんの?」


 食べながら、口内で下品に音を立ててコウスケは尋ねた。ツカサも食事の手を止めずに応対する。しかし彼の場合音は立たなかった。


「俺に仕事を斡旋してくれる仲介屋がいるんだ。とりあえずそいつに顔を見せる。ヤクザに命を狙われてる以上、いつ死ぬかわからん。そうなる前に、いろいろ話を通しておかなきゃならない」

「仲介屋ねぇ……」


 どんな男だろうか、とコウスケは想像する。強面、優男、筋肉質、痩せ型、様々な人物像が浮かんでは消える。なんにせよ、ツカサが頼りにするくらいだから、ただ者ではないのだろう。


「まあまずは飽きるまで食うか!」


 考えるのをやめてコウスケは次の料理を取りに席を立った。浮かれる後ろ姿を見て、ツカサも、それはそうだな、と思い、難しい思案は後にして食事を優先することにした。たまにはこんな動物的衝動に身を任せるのもいいだろう。彼も席を立って、コウスケの後に続いた。無性に肉が食べたい気分だった。



 満腹になった二人は仲介屋の下へ向かった。ツカサが道案内しコウスケが車を走らせる。小気味よい乗り心地でポインターは街の西側へと進んでいった。次第に周囲の景色が寂れていき、古びた家屋が増えていった。すれ違う通行人たちもどこか覇気が無い。街路樹や庭木すらも葉の青さに翳りが見える。死に絶えた空気感の中、精力溢れる若者二人と輝く銀色の車は場違い極まる存在だった。


 案内の果てに、車はあるマンションにたどり着いた。それは大きさだけは立派であるが、外壁は色褪せひび割れもいくつか見られるほどの、時代の中に打ち捨てられたような建築だった。コウスケは顔をしかめた。


「ここだ」


 気にせずツカサは断言する。コウスケのしかめっ面がさらに険しくなる。


「マジかよ。こんなマンション俺金貰ったって住みたくないぜ」

「そう言うな。雨風凌げるだけ、この界隈じゃマシだ。いくぞ」


 ツカサは車を降り、敷地内に入る。コウスケも渋々後に続いた。


 入り口のガラス戸を開け、中に入ると、まず目に映るのは薄汚れた床や天井だった。風で吹き込んだ落ち葉や紙くずが転がり、壁際には埃が積もる。虫の死骸さえ放置されていた。とても管理が行き届いているようには見えず、コウスケの言うとおりまともな人間なら到底お断りの物件だった。


「仲介屋はここの管理人だ」


 ツカサがにべもなく言い放つ。


「管理人って、嘘だろ……」


 こんなマンションを管理しているのだから、相当ろくでもない人物なのではないか……。コウスケの中に不安がよぎる。


「一階の奥が管理人室になっている。奴はそこにいる」


 ツカサは奥へと進み出した。彼の靴底で虫が潰れた。


 一階奥、ゼロの番号が振られた玄関扉は、その周りを囲む外壁の汚さから隔絶するように、綺麗に手入れされ美しさを保っていた。ツカサはインターホンも鳴らさずに扉を拳で叩いた。荒っぽいノックに黒塗りの面が音を立てる。


「岸田! 俺だ!」


 相手の名を呼び、また扉を叩くと、インターホンから声が響いた。


「開いてるわよ。入りたければ入ってきて」


 女の声だった。しかも若い。コウスケは面食らった。


 躊躇なく扉を開け、ツカサはずかずかと管理人室へ入っていった。コウスケも慌てて後を追う。たかがマンションの一室の廊下が、彼にはやけに長い距離に感じられた。


 廊下の突き当たりのリビングで、仲介屋にして管理人の女、岸田が待ち受けていた。長髪を背中に流し、ドレスを着込んで、クロスを敷いた洋風の丸テーブルに木製の四足椅子で腰掛けている。テーブルの上には陶器製のティーポットが置かれ、小さな注ぎ口から淹れたての紅茶の芳醇な香りを漂わせていた。


「いらっしゃい。あなたは初めて見る子ね」


 予想外の光景に立ち尽くすコウスケに、岸田が微笑む。彼女は女というよりも少女というべき容貌の持ち主だった。声音にも二十を過ぎた人間からは失われる純粋性が感じられた。


「いや、はは……」


 頭を掻いて照れるコウスケを、横に立つツカサが肘で突いた。


「だまされるな。こいつはこれで四十を過ぎてるんだ」

「なんだって⁉」

「あら失礼ね。女性の歳をばらすなんてマナーがなってないわよ」


 秘密を明かされても岸田は笑みを崩さない。その表情はやはり少女のものだった。


「それにしても珍しいわね。ツカサちゃんが友達を連れてくるなんて」


 三つのティーカップに紅茶を注いで岸田は言う。ツカサは刺々しく返す。


「友達なんかじゃない。ただの道連れだ」

「そう」


 岸田はカップを二人によこし、自分は椅子に座って紅茶を飲み出した。部屋には椅子が一つしか無い。ツカサとコウスケは立ったまま紅茶を飲むはめになった。


 熱い茶を一気に飲み干し、ツカサはカップをテーブルにどんと叩きつけた。


「一服してる場合じゃない。俺はお前に別れを告げに来たんだ」

「どうしたの? ずいぶんいきなりじゃない」


 突然の告白にも岸田は落ち着き払っている。ツカサは続ける。


「田中組を敵に回した。もちろんわざとじゃないんだが。奴らは今俺を追っている。もうこの街にはいられないんだ」


 真剣な眼差しでツカサは詰め寄る。しかし岸田は気にせず紅茶を口にし続けた。


「お前、真面目に聞いてるのか?」

「あなたこそ、真面目に考えて発言しているのかしら」


 静かだが強い言葉。ツカサの威勢に待ったがかかる。脇で見ているコウスケにも、戦局の変化が感じとれた。


「あなたはこれまでずっと、私の下で働いて生きてきた。仕事を斡旋されてね。それなのにこの街を出て行って、私から離れて、自分の力で身を立てようだなんて。そう上手くいくかしらね」


 岸田はあくまで落ち着いて、滔々と語るが、その言葉の裏にはなにか支配的な力が流れていた。少女にしか見えない四十過ぎだという女は、若々しい顔立ちと声音の中に、初めて真実の年輪を覗かせて見せた。ツカサは涼しげな雰囲気を崩し、露骨にたじろいだ。主に叱りつけられる従僕のさながらの光景に、コウスケはこの二人の、単なる仕事相手にとどまらない、ただならぬ関係性を察するのだった。


 だが従僕はなお主に噛みついた。ツカサは食い下がった。


「命まで投げ出すほどあんたに依存しちゃいない」


 テーブルに手をつき、身を乗り出して凄むツカサに、岸田はまた表情を崩し、柔らかに笑みを浮かべた。洋風に飾り付けられた空間の中で、幻影のように女は微笑んでいた。


「いいでしょう。ただし、相応のけじめはつけてもらうわ」


 カップを置き、姿勢を正して、仕事人の風体になった岸田は、ツカサの目をまっすぐに見据える。


「なんだ一体」

「あなたと一緒に仕事を受けた、鈴木さんにも顔を見せて貰いたいの。二人そろって私に直接、仕事のキャンセルを申し出てくれれば、私はそれを受理します。あとはあなたの自由よ」

「鈴木? 鈴木って誰だよ?」


 初めて出る名前に、コウスケは突っ込む。ツカサは面倒くさそうに答える。


「俺と一緒に依頼を受けたおっさんだ。だが見るからに役に立たなそうなんで、なにもさせずに家に帰したんだ」


 そんな奴がいたのか、とコウスケは意外に思う。てっきりツカサは孤高のアウトローなのだと考えていた。どうやら彼以外にも、岸田に仕事を斡旋してもらう者は多いらしい。


 ツカサは面倒くさそうな態度を、そのまま岸田に向け直した。


「忘れるなよ。今の言葉」


 反抗的な眼差しを、椅子に座る女に送る。


「私は約束を守る女よ」


 嘘か誠か、女は返答する。


 ツカサは身を翻し、部屋を出て行った。コウスケも慌てて動いたが、まだ紅茶が残っていることに気づき、一気に飲み干してカップをテーブルに戻した。


「どうも」


 別れの挨拶を忘れずに、コウスケも去って行った。消えていく背中に、岸田は小さく手を振った。


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