第二十三話
彼女はすでに、模擬戦を終えた者として、静かに列から外れて立っていた。
勝者の誇りや傲慢など一切なく、ただ、剣を携えた騎士の一人として。
「おい、リーネ」
声をかけると、リーネはすぐにこちらを振り返った。
汗に濡れた額の下、その瞳は涼やかに澄んでいた。
「ミズキ様。……ご覧になってくださいましたか?」
俺は一瞬、返す言葉を探した。
だが結局、心から思ったままを口にする。
「俺の目では全ては捉えきれなかった」
「たが、お前の技は心に響いたぞ」
その言葉に、リーネはふと、控えめな笑みを浮かべる。
だがすぐに凛とした表情へと戻し、姿勢を正すようにして小さく頭を垂れた。
「ありがとうございます。それは、私にとって何よりの誉れです」
その言葉には、歓喜の色よりも、深い安堵の気配があった。
まるで、自分の剣が認められたことに、ほっと胸を撫で下ろしているかのように。
周囲からもちらほらと、視線が注がれている。
リーネに対する称賛と、俺との関係性に向けられた興味。
「お前の剣、輝いていたが、あれは魔力か?」
どうにも気になって、問いをぶつける。
俺の目には閃光のようにしか映らなかったが、それが何かを知りたかった
「はい……恥ずかしながら」
リーネの答えは意外なものだった。
まるで失敗を打ち明けるように、声にわずかな陰が差す。
「どういうことだ?」
意味が分からず、眉をひそめて聞き返す。
「私が使用している技は纏と呼ばれ、魔力を自らの剣に纏わせ、力を増幅させる技術です」
リーネの声は落ち着いていたが、その奥にわずかな悔しさが滲んでいた。
「本来、熟練者が用いれば、魔力の気配は極めて薄く、光など漏れることはありません。……ですが、私はまだ未熟で、制御が甘いために、あのように剣が光ってしまうのです」
魔力の制御――
俺には理解ができない次元の話だな。
魔力なんて生まれてこの方、感じたことないし。
「そうか。俺は輝いている方が、好みだがな」
そう言った瞬間、リーネのまなざしがわずかに揺れた。
驚き、というよりは――予想外の言葉だったのだろう。
「輝いていたから、お前の剣技が舞のように綺麗に見えた」
そう続けると、リーネはほんの少しだけ目を見開き――それから静かに、まぶしそうにまばたきをした。
「……舞、ですか」
ぽつりと漏れたその声には、どこかくすぐったそうな照れが混じっていた。
戦いの最中に綺麗だの舞だのと言われるとは、きっと思っていなかったのだろう。
「俺はそう見えただけだ」
俺の言葉に、リーネはそっと視線を落とし、わずかに口元をほころばせる。
「ミズキ様に、そう言っていただけたなら。きっと、今日は光らせてよかったのだと思えます」
控えめながらも確かな、喜びの滲んだ声。
「そうか」
「引き止めて悪かったな。次も期待してるぞ」
そう告げて、俺は背を向ける。
模擬戦がすべて終わったらゆっくり話すとしよう。
足元に視線を落としながら、ゆっくりと歩き出した。
「……ありがとうございます」
リーネの礼の声が、背後から静かに届く。
彼女らしい、柔らかな余韻だった。
周りに騎士がいなくなるまで進んだところで。
「ミズキさまーっ! 少し、よろしいでしょうか!」
今度はやや甲高い、若々しい声が背後から飛んでくる。
振り返れば、三人の少女騎士が並んでいた。十五歳ほどだろう。
やや緊張を浮かべつつも、どこかはしゃいだ空気がある。
「どうした」
そう問いかけると、三人は視線を交わし――途端にひそひそと小声で話し出した。
本当に聞いていいのか、お前が聞けとか。
あからさまに押し付け合っているのが、こちらまで聞こえてくる。
それでも表情には敵意も遠慮もない。
年若い娘たち特有の、好奇心と親しみの入り混じった表情だった。
「気にせず話せ。怒らん」
なるべく柔らかい声でそう告げると、三人はピタリと囁きをやめ、一瞬顔を見合わせる。
そしてようやく、中央の少女が意を決したように一歩前に出た。
緊張で手を胸元に当てながら、口を開く。
「……あの、リーネさんとはどの様な関係なんですか?」
少女十五歳。
男女の関係、いわゆる色恋沙汰が気になるお年頃。
リーネと話したとき、この少女らは近くにいたのだろう。
そして、先ほどのやり取りや距離感が、彼女たちの好奇心に火をつけた。
そう思うと、肩の力が抜けた。
この屋敷において、俺にそんな無邪気な問いを向けられる者など、ほんの一握りしかいない。
しかしなんて答えようか。
真面目に答えてもいい。
けれど今、目を輝かせてこちらを見上げている少女たちを前にすると、少々のリップサービスも悪くない気がしてくる。
それに――
リーネの律儀で冷静な性格を思い出す。
ああいうタイプは、揶揄いがいがいもある。
感情を滅多に表に出さないぶん、わずかな動揺や表情の綻びが、妙にくすぐったい。
リーネなら許してくれるだろ。
「……来い、誰にも言うなよ」
俺はそう囁きながら、少女たちを引き寄せるように手招きし、輪を作らせる。
好奇心に突き動かされた彼女たちは、興奮を押し殺しながらも近寄ってくる。
そして――
「体の関係だ。前、リーネに襲われた」
一瞬、沈黙。
その場の空気が、凍りついたように静まり返る。
「……えっ……え……?」
「そ、そんな……リーネさんが……?」
「ま、まさか、ミズキさまって……」
口々に呟きながら、顔を真っ赤に染めて硬直する三人の少女たち。
少し過激すぎただろうか。
「広めるなよ」
その声に、少女たちはびくりと肩を揺らす。
そして一斉にこくこくとうなずいた。
俺は本気にしている様子がどうにも可愛らしく、可笑しく見えてしまう。
ただ、このままだと本当に広めない様子もある。
リーネの耳に届かないと面白くない。
「少しなら広めていいぞ」
俺がそう言い直した瞬間、少女たちの目がまた見開かれた。
「え……本当に……?」
「……言っても、よいのですか?」
「リーネさんに……知られても?」
「問題ない。お前たちも、話の種には困らないだろ」
そう応じると、三人は顔を見合わせ、やがて一人がそっと口を開いた。
「あ……ありがとうございます」
「気にするな」
肩の力を抜くようにそう言って、俺は軽く手を振った。
彼女たちは頬を染めたまま、どこか誇らしげな様子でぺこりと頭を下げると、連れ立ってその場を離れていった。
彼女たちが去った後も、微かに残る余韻に、口元が緩むのを抑えられなかった。
リーネの耳に入るのが楽しみだ。
だが、いつまでも気を抜いてはいられない。
そろそろ切り替えが必要だ。
セリスの試合が、間もなく始まる。
俺は静かに木陰へ戻り、腰を下ろした。
涼やかな影の中、視線を訓練場の中央へと向ける。
セリスは、どんな戦い方を見せるのか。
試合は、八人による乱戦。
正面からの一対一ではない。背後を取られればそれまで、味方もいなければ油断も許されない。
勝てば上位。
負ければ、下位か中庸――それが現実だ。
そして、セリスに約束した褒美の行方も、この一戦に懸かっている。
それを、俺はこの場所から見届ける。
徐々に集まってくる八人の騎士たち。
中央に歩を進めるその姿に、訓練場の空気が静かに緊張を帯びはじめた。
だが、その中にあって、セリスの表情には緊張の色は見えない。
静謐――むしろ、凪のような落ち着きすら漂わせている。
騎士たちが所定の位置に散り、場が完全に静まり返る。
次の瞬間、甲高い笛の音が訓練場に響き渡った。
合図とともに複数の剣士が動き出す。
拮抗した視線と視線が交差し、砂を蹴り、金属音が乱れ咲く。
激しい攻防が四方で入り乱れる中、セリスはただ一人――ほとんどその場から動いていなかった。
迫る刃を、受け、弾き、いなす。
その動きには、華やかさも派手さもない。
だが、確実で、洗練されていた。
攻め込まれながらも、セリスは乱されない。
そして、隙を見出した一瞬に、鋭く足を払って相手の体勢を崩す。
その崩れに重ねるように、腰のひねりを活かした短く鋭い斬撃が、鋼鉄を叩く音を響かせた。
打たれた騎士が大きく後退する。
同時に、場の空気が一段階引き締まった。
彼女の戦いは、防御を起点にした静の連なりの中に、突如として爆ぜる動の一閃が宿っている。
俺の目では、剣を弾く瞬間や反撃の鋭さまでは捉えきれない。
だが、それ以外の流れ――足の運び、軸の動き、間合いの測り方。
それらの繋がりは、確かに見て取れる。
騎士の剣が轟音を伴い襲いかかる。
しかし、セリスは微動だにせず、その刃を確実に受け止めている。
鋼の刃が彼女の剣と激突し、火花が散る。
その刹那、彼女の瞳に鋭い光が宿ったかのように見える。
僅かな隙を見逃さず、セリスは力強く敵の剣を弾き飛ばす。
その衝撃音は場内に轟き、敵の腕を無理やり押し退けた。
弾かれた敵の腕が宙を泳いだ瞬間、セリスの動きが一段階変わる。
一歩踏み込み、払われた右足が敵の膝裏を打つ。
崩れた体勢を見逃さず、放たれた剣撃は、雷鳴の如き衝撃を鎧に刻みつけた。
受けた騎士は、抵抗する間もなく宙を舞い、場外へと激しく叩きつけられる。
一瞬、場内の空気が凍り付くのを感じた。
複数の剣士が入り乱れる混戦の中、金属音が激しく響く。
視界のあちこちで刃が交錯し、鋭い気配が周囲を満たしていた。
周囲の騎士たちが次々と場外や戦闘不能に陥る中、セリスは場に留まったまま、迫る攻撃を受け、弾き、いなす。
そして、決め手の一撃――
その刃が相手の防御を打ち破ると同時に、騎士は無念の膝をついた。
開始の喧騒が一瞬にして消え去り、訓練場に審判の笛が鳴り響く。
セリスの勝利であった。
彼女は剣を静かに収め、深く一礼した。
誇示も傲慢もない。
勝者の余裕も過信も感じさせぬ、その姿勢はまさしく誇り高き騎士のそれであった。
驚いたな。
セリス、自分の実力は隊の中ほどだと言っていたんだがな。
どう見ても、あれは中庸どころの話ではない。
労いに行きたいところだが――まだ試合は残っている。
あいつに褒美のことを思い出させるのも、あまり得策ではない気がする。
……まあ、いいか。
試合のことになると、切り替えは早かったしな。
またしても少し長い距離を歩き声をかける。
「セリス」
「ミズキ様」
応える声は落ち着いていたが、わずかに息が残っている。
それが、つい先ほどまでの激戦を物語っていた。
「お前、実力は隊の中ほどと言っていただろ」
少しだけ皮肉や揶揄いを込めて言うと、セリスはわずかに肩を揺らした。
「う、嘘ではありません。普段の戦績は本当に、それくらいなんです」
思わず慌てたのだろう。声にかすかな焦りが混じる。
「責めているわけじゃない。それほどまでに――お前は強かったということだ」
それは事実に過ぎなかった。
目にしたものを言葉にしただけで、余計な感傷も、誇張もない。
だが、それでも俺の口から出たその一言に、セリスはわずかに肩を揺らす。
「……そう言っていただけると、嬉しいです」
その声音は控えめで、だが確かに、喜びを滲ませていた。
「お前の戦い方、目に焼き付いた」
観客としての感想とも、指揮官としての評価とも違う、もっと素直な感覚だった。
セリスがこちらを見る。
その目は少し見開かれていて、驚きと、戸惑いと、……それに、微かに期待のようなものが混じっていた。
「そうなのですか?」
「……私の戦い方は、花がないと思いますが……」
言葉を濁すように、少し俯いて言う。
「まあ、派手さはない」
俺はそう認めながら、言葉を続ける。
「だが、お前の戦いには無駄がそぎ落とされているように感じた」
「鋭く一撃で仕留める反撃は素晴らしいものだった」
選んだ言葉は飾り気のないものだったが、嘘はひとつも混ざっていない。
それは、見たものをそのままに言葉にしただけの、率直な感想だった。
セリスは一瞬だけ目を伏せ、それから、静かに微笑んだ。
表情の中に、ごく淡く、嬉しさの色が滲んでいる。
「セリス」
俺は周囲に人の気配があるのを一瞥し、声を潜めて手招きする。
彼女が不思議そうに一歩近づいてきたところで、その耳元へ、こっそりと言葉を落とした。
「上位おめでとう」
「褒美、考えとけよ」
彼女は目を瞬かせ、それからほんの一拍、言葉を失っていた。
その頬が、赤く染まりはじめる。
感情を隠しきれずにわずかに伏せられたまつ毛の向こうで、視線が揺れている。
それでも、セリスは何も言わなかった。
ただ、そっと口元を引き結び、小さく頷いた。
「お前はまだ試合が残ってるんだ」
「集中力は切らすなよ」
そう声をかけると、セリスはわずかに背筋を伸ばした。
一瞬前まで照れや恥じらい、期待の色を浮かべていた顔つきに、再び緊張の糸が戻っていく。
「はい、ミズキ様」
静かに応じた声には、すでに戦いへと意識を向け始めた気配が宿っていた。
俺はその横顔を一瞥し、少し離れる。
他の騎士たちも次の模擬戦へ向けて動き出し、訓練場にまた新たな熱が満ち始めていた。
目を細め、再び木陰へ身を引く。
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