第六話

翌朝——

約束の時刻に家の門前へと向かうと、リサはすでに待っていた。

銀髪が朝日を受けて柔らかく輝き、彼女は気だるげな態度ながら、どこか軽やかに立っている。

その顔には、昨日と変わらぬ自信と余裕が滲んでいたが、不思議と頼もしさも感じられた。


「遅れるなよ、ミズキ様」


いつもの調子で軽口を叩く。からかうような笑みは、むしろ妙な安心感すらある。


「約束の時間通りだ。お前が早く来すぎたんだろ。準備はいいか?」


「当然」


リサはそう言って、靴音も軽やかに、ゆっくりと歩き始める。


「待て、歩いていくわけないだろ」


——街までは、ギルドを超えた先だ。歩けば優に一時間はかかる距離。

朝からそんなに歩かされるのは、さすがにご免だ。

俺は騎馬できる、というか貴族は全員出来る。


「ミズキ様、お待たせいたしました」


軍馬を二頭、手綱を取って現れた。

前もって頼んでおいたのだ。準備は万端だ。


「助かる」


手綱を受け取りながら、俺はふっと息をついた。

軍馬はよく馴らされていて、蹄の音も落ち着いている。これなら扱いに困ることはないだろう。


リサは小さく目を細めると、俺の馬に視線をやり、ふっと口元を緩める。


「さすが貴族様だね。馬の尻に揺られてるのが似合ってる」


からかうような声に、俺は肩をすくめる。


「なんだ?乗れんのか?」


「冗談だ。馬に乗れないわけじゃない」


リサは笑いながら、軽やかにもう一頭の馬に跨がった。

動きは自然で、手慣れた様子だ。冒険者は身軽じゃなきゃ務まらないのだろう。


「良かったな、乗れなかったら走らせていたぞ」


俺が肩越しにそう言うと、リサは吹き出しそうになりながら、くくっと喉を鳴らして笑った。


「危うく低い報酬なうえに、重労働じゃないか」


言葉の端に、どこか楽しげな響きが混じっている。

朝の空気はまだ涼しく、馬の足音が心地よく響く中、俺たちは軽く手綱を引いて街道へと進み出した。


「街までの道のりはわかるのか?俺はわからんぞ」


何度も言っているが、俺はほとんど外出したことがない。

細かい道なんてさっぱりだ。

都道府県は知ってるが、実際の道路は知らん——そんな感じだ。

知っているのは、ついこの間まで通っていた王都の学園への通学路くらいなものだ。


「はあ……意気揚々と飛び出しといて道も知らないとはな。世間知らずだな、

ミズキ様は」


リサは呆れたように言いながらも、どこか愉快そうだった。

まるでからかい半分、面倒見半分といった声音だ。


「道は知っているようだな。後ろからついてく、速度は上げすぎるなよ」


俺がそう返すと、リサは肩をすくめ、笑いを含んだ声で答えた。


「まったくよ、指示の仕方だけは一丁前だな。……まあ、馬ならすぐだ。ゆっくり行くさ」


彼女は軽く手綱を引き、馬を進ませる。

俺も続いて歩みを進めると、朝の澄んだ空気が肌を撫でていく。

少しだけ風もあり、蒸し暑さも和らいでいた。


領地を詳しく見たことはなかったが、案外栄えている。

舗装された街道、行き交う人々の顔は明るく、店も多い。

スラム街のような荒れた場所は目につかない。


……正直、俺はもう少し荒れているのかと勝手に想像していた。

だが、親——ネフェリウス家の領地経営は、どうやらうまくいっているらしい。

住人たちが飢えず、笑顔を見せている。

それは、当たり前のようでいて、この世界ではそうでもない。


それだけじゃない——きれいな川が見える。川辺には小さな花が咲き、澄んだ水面が朝の光を受けてきらきらと揺れていた。

街道沿いの木々は生い茂り、鳥の声も聞こえる。自然も豊かだ。


「おいリサ、この川で釣りをしたら何が釣れるか知っているか?」


ふと気まぐれに声をかけると、リサはちらりと視線を寄越して答えた。


「さすがに範囲外だ。」


少し肩をすくめる仕草には、呆れと、どこか楽しげな響きが混ざっていた。


「お、街が見えてきたぞ、身分証は出しとけよ。貴族用の入り口から入る」


大きな街は基本的に身分証が必要だ。

まだ発行されていない小さな村はあったりするが、その場合は街に入る前に身体検査されたのち、その場で身分証の発行がされる。


「ああ、もう取り出した」


馬の速度を落とし、街の入り口に立っている門番の前で止まる。


俺は手を伸ばし、腰の側面に差してある身分証をすっと取り出して見せた。

門番は一瞬目を凝らし、次に顔を少し上げて俺の顔を見た。


「ネフェリウス家……、ですね。どうぞお入りくださいませ。」


この街の入り口は厳格だが、貴族にとっては顔パスのようなものらしい。


リサも同じように身分証を提示し、俺の護衛ということでスムーズに通過できた。


門番に馬を預け、石畳の道へと足を踏み出す。

朝の街はすでに活気づいていて、人々の声や商人たちの呼び声があちこちから聞こえてくる。

鼻孔をくすぐるパンの香ばしい匂い、焼いた肉の匂い、どこかの露店から漂う甘い菓子の香り——すべてが目新しく、歩くだけで気分が浮き立つ。


「随分賑わってるな」


思わず口からこぼれる。


「ここは市場も大きいし、職人通りもあるからな。商業の街だよ」


リサは周囲の喧騒をものともせず、慣れた足取りで石畳の道を進む。

俺の一歩前を軽やかに行くその姿は、まるでこの街の案内人のようだった。


目に映るのは、色とりどりの布を広げる露店や、金属音を響かせながら作業を続ける鍛冶職人、果物や香辛料の香りを漂わせる食料品の店。

旅人、商人、地元の住人——誰もが忙しなく動きながらも、どこか生き生きしていて、街全体が活気に満ちている。



「それで、何するんだ? “散策”って言ってたが、三日も通うんだ。どうせ何か、大きな用事があるんだろ?」


リサがふと振り返り、少しだけ探るような視線を向けてくる。

どうやら、何か勘違いしているらしい。いや、そう思うのも無理はない。

貴族が三日続けて、同じ街に“散策”目的で通うなんて、確かに怪しくも思えるだろう。


「……なんだお前、俺とリーネの会話を聞いなかったのか?」


苦笑混じりに問いかけると、リサは肩をすくめる。


「あんなうるさい場で全部聞こえるわけないだろ。少し離れただけで雑音に消えるさ」


それもそうか。

どこを向いても喧騒が飛び交っていて、まともに会話を聞き取るには近くで耳を澄ませるしかない。

あの状況で話の内容まで拾えるはずがなかった。


「今日ここに来たのは、騎士たちの褒美を選ぶためだ」


一瞬、何を言われたのか理解できていないようで、目をしばたたかせる。

その様子は彼女からは想像できないほど素直で――どこか拍子抜けするほど、無防備だった。


「……いやいや、そんなわけないだろ。そんなもんに三日もかけるのか? それに、騎士への褒美のために貴族が街を練り歩くなんて、聞いたことないぞ?」


リサは目を瞬かせ、呆れと困惑が入り混じった表情で俺をじっと見つめてくる。

ほんのわずかに、期待していたものとは違ったらしい戸惑いの色が滲んでいた。


「本当だ」


俺がそう言うと、リサは唖然としたまま、しばし動きを止めていた。

どうやら本気で、俺が何か面白いことでも企んでいるとでも思っていたらしい。

なんだか、ちょっと悪いことをした気分になる。

その様子が妙に可笑しくて、思わず口元が緩む。


「まあ、そう落胆するな。ネフェリウス家との縁を得たと思えば――悪くはないだろう」


そのまま一つ、ため息をついてリサは歩き出す。わずかに眉間に皺を寄せたままで、さっきまでの軽口とはうってかわって、どこか気の抜けたような足取りだった。


「なんかやる気なくしたわ」


ぽつりと漏れたその一言には、思っていた以上に真剣な色が混じっていた。

俺は苦笑しながら肩をすくめる。


「おい金の分は働けよ」


軽く返したつもりだった。だが、返ってきた反応は、想定よりも重かった。


リサはぴたりと足を止め、ゆっくりと振り返る。そして――無言のまま、じとりとした目でこちらを睨んでくる。

その視線には怒気はなかったが妙に生ぬるく、湿り気を帯びていて、妙に気味が悪い。


「……なんだ、その目は」


自然と眉がひそむ。だがリサは何も言わず、ただこちらをじっと見つめていた。

その視線が余計に言葉を詰まらせる。


「おい、何とか言え」


リサはただ一つ、わずかに深いため息を吐き、視線を逸らす。

それきり何も言わず、場にはどこか釈然としない空気だけが静かに広がっていた。


「……まあいい。少し早いが、飯にするぞ」


「……はいよ」


リサは気のない返事を返し、黙って俺の隣へ並ぶ。


移動を始めると、ぴたりとついてきた。やけに距離が近い。肩が触れるほどの間合いだ。

歩きづらくなり、わずかに歩幅を広げる。

だが、リサもまた当然のように追い、間合いを詰め直してくる。

何なのだこれ、歩きずらいだろ。


思考を切り捨て、足を止めることなく歩を進める。

昼下がりの喧騒を抜け、俺たちは街外れの静かな通りに佇む、小ぢんまりとした高級そうな食堂を見つける。


外観は落ち着いた石造りで、店の前に飾られた鉢植えの花が上品な趣を醸し出している。


「ここでいいか」


俺が声をかけると、リサは生気を失った目を向け、返事はなかった。今のところ、彼女から意見が返ってくることは期待できそうにない。

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