第12話 カーテンと赤ちゃん

「それじゃ、アイゼル様の隠し子を育てるって言うんですか!」


 自分の部屋に戻り入れ違いになっていた侍女のミアに事情を説明した。


「酷いじゃないですか! 愛人がいる事をこの城砦の使用人はみんな知っていたって言うじゃ無いですか! クレア様がいるのにみんなずっと隠してたんですよ!」

 ミアは城砦のみんなから話を聞いて憤慨していた。


「いいのよ。私は」

 ニッコリと私が答えるとミアは呆れた。


「クレア様がアイゼル様と一緒に居られて嬉しいのは分かります。けど、私は悔しいです……」

 何だか泣きだしそうな声がした。


「でも、グレア様が嬉しいなら、よがった〜」

 泣いてしまった。


「ミア、ありがとう……!」

 ミアが認めてくれたのが嬉しくて、私も泣きそうになる。


 でも、嘘をついているのが心苦しい。


 赤ちゃんが皇帝陛下の子供だと言うのは隠さなくてはならない。


 都合よく城砦のものたちはアイゼルに愛人が居ると思っているので、それを利用するのが都合が良かった。

 ミアには話してもいいと思ったけれど、今はまだ言わずにおこうと思った。


「詳しい事情はまた後で話せると思うから、今は赤ちゃんの所にいきましょう」

 ミアを連れ出す。


「詳しい話は本当にまだ聞いていないんだ」

 アイゼルがそう言った。


 赤ちゃんを連れて来た女性と従者の男性は、雨の中よほど急いで来たらしく殆ど眠らずに疲労が見て取れたらしい。

 温かいお湯と食事と休息が必要と判断されて、客間で眠っている、


「少し気になることもある。夜に話を聞こうと思う。クレア、君も一緒に来てくれて」

 言われなくともそうするつもりだったけど、夜までの時間は赤ちゃんの側で過ごそうと思った。


 赤ちゃんを私たち夫婦の子として育てる事になり、赤ちゃんは専用の部屋が用意された。

 アイゼルの部屋よりも私の部屋に近く、侍女たちに都合のいい場所でもあった。


 赤ちゃんの移された部屋に着く。

 ミアは仕事を残していて、片付けたらすぐに来ると言っていた。


 部屋には侍女たちがいると思っていたけれど、赤ちゃんが一人残されているだけだった。

 多分、アイゼルの部屋からの引っ越しでたまたまそんな時間が生まれたのだろう。


 赤ちゃんと二人で部屋にいるとゾッと冷気に包まれた気分になった。

 赤ちゃんは可愛いし癒されるけど、二人っきりになるのはとても怖かった。


 ベビーベッドには赤ちゃんが眠っている。


 部屋の移動でも起きなかったんだろうか?

 近づいて覗き込めば、幸せになれる寝顔が見れるだろう。

 日の光が差して揺れるカーテンの中にたゆたう赤ちゃんの乗ったベビーベッド。


 近づいて行く。

 揺れるカーテンの波とベビーベッドがダンスしているような、明るく温かい場所。


 記憶の奥底の恐怖を呼び覚ましす。


 私はこの光景を見たことがあった。


 あれはちょうど妹が生まれてすぐの頃だろうか。

 母を亡くして新しく母になってくれた人はとても優しかった。


「妹に優しくしてあげてね。クレアお姉ちゃん」

 そう言って生まれたばかりの妹を抱かせてくれた。


 ぬいぐるみとは違う重さに驚いて妹が出来た実感が湧いた。

 人肌の温かさを含んだミルクの香りが赤ちゃんの呼吸と一緒に顔にかかった。

 幼い私は母に笑いかける。

 幸せの匂いだった。


 生まれたばかりの妹がいて父がいて、母がいて、私の四人家族が肖像画のように収まっている記憶。


 けれど、ある時、私がベビーベッドに近づこうとすると母に怒られた。

 私と妹が眠るベビーベッドの間に立った母から、絶対に近付けさせたくない、そう意志のこもった目でキツく睨まれた。


 その日から私は家族の肖像画から締め出された。


 光が溢れカーテンが風に揺れる部屋で、父と母がベビーベットの横にいる姿を遠くから見つめている私。

 家族三人の肖像画が私の思い出になった。


 父は忙しい人で、お母様も父の前では取り繕っていたから、私がお母様に嫌われていることに気づかなかった。


 妹が生まれる前のお母様は本当に優しくて、実の娘以上に可愛がってくれていたし、私も本当の母だと思って接していた。


 だから、急に二人の関係が変わった事に父は気付かなかった。

 私自身も、あの出来事からお母様が変わってしまった事にしばらく気づかずにいた。


 ただ、あの優しかったお母様の豹変ぶりとあの目は忘れる事が出来なかった。


 私は何をしてしまったの?


 私は家の中で怯えていた。

 もうあの優しいお母様はいないと理解するにつれて、活発だった私は徐々に大人しい子供になっていた。


 妹は歩き出すと私の跡をついてきたり、私によく懐いていた。

 お母様は妹には優しくて、妹がいるところでは私を無視するような事もなく、表面的には仲のいい家族だった。


 けれど、私はあの家族の肖像画の中にはいなかった。


 成長するにつれて妹もその事に気付いた。

 お母様と妹の二人で出かける時には、「お姉様も!」と誘ってくれるようになった。


 でも、かえってお母様と一緒な事が息苦しくて、一人でも出掛けられる年齢になるとやっと解放された気分になった。

 ただ、妹とは二人で出かけたり、屋敷の中でもとても仲が良かった。


 それでも、あの家の中で光の中の家族は母と父と妹だけ。

 私はいない——。


「どうしたんだ?」

 アイゼルの声に我に返る。

 アイゼルは怪訝な瞳で私を見つめていた。


 その時、侍女たちが一斉に戻ってくる。

「申し訳ございません!」

 赤ちゃんを一人きりにした事を侍女の一人が詫びる。


 オギャーと騒がしさに赤ちゃんが起きて来て、アイゼルは「気を付けるように」と言い残して出ていった。


 たぶん、私と赤ちゃんが2人きりだったのは、ほんの一瞬だったんだと思う。


 でも、思い出した記憶が私の中で長い記憶の分断を作った。


 侍女たちの喧騒が遠く聞こえる。


 ミアがやって来て、「可愛い〜!」と赤ちゃんにミルクを飲ませるのを手伝っていた。


 私はその様子を見つめながらさっきの出来事をぼんやり思い出していた。


 「どうしたんだ?」とアイゼルが私を見つめる顔が青ざめていた。

 よほど私が思い詰めた顔をしていたのだろう。

継母との記憶が私の体を硬らさせた。


 大好きだった優しいお母様が、妹が生まれてから冷たい継母に変わってしまった。

 その事が今だに私の中でわだかまりとして残っている。

 赤ちゃんに接するのを怖いと思っている。


 赤ちゃんは可愛いいし、アイゼルと親子三人で幸せになりたいけれど、何処かで不安があった。

 想像の中の親子三人の幸せな時間を、私は何処か遠くで見つめているような気がする。


 私はその絵の中に入れないんじゃないか?

 そんな不安がある。


 その不安をアイゼルは見透かしたのかも知れない。

 あの青ざめた顔がそれを物語っているような気がする。


 アイゼルとは、まだ私に活発さが残っていた頃に出会った。


 アイゼルは覚えていないみたいだけど。

 あの頃の私だったらアイゼルも不安を感じないで一緒に赤ちゃんを育てられたのかな。


 その前に、冷たくされる事もなかったのかもしれない。


『クレアちゃん、お嫁さんってクレアちゃんだったんだね』

 そんなふうに結婚式の日に気づいて笑うアイゼルがいたのかもしれない。


 だから、覚えていない方が良いのかもしれない。


 あの頃の私が、アイゼルの初恋の女の子とし綺麗な思い出の中にいるなら、今の私には気づかない方がいい。

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