第33話 沌蘭寺のあれ②

「ではくれぐれもよろしくお願いしますよ」

 そう言い残して、墨恩はプレハブ小屋から出て行った。

 橘人と二人きりになったところで、改めて僕は室内を観察する。


 殺風景なハコではあったが、水も食料も豊富に用意してある。おまけにWi-Fiもある。トイレも来る途中に見かけたから、最低限の人間らしい生活は送れそうだ。


「目を合わせてはいけない白い何か……くねくねじゃね?」

 くねくね。言わずと知れたネット怪談。バリエーションはあるが、「くねくねした白い何かで、その正体を直視したら狂う」という点は共通している。


「僕は某電気店の監視カメラの話を思い出したかな……」

 いつだったかどこかのまとめサイトで読んだ記憶がある。完全に監視カメラの存在を認識しており、こちらを見てくるタイプの怪異。これもこれで厭な挙動だ。


「あの坊主は目を合わせたらマズいって言ってたけど、向こうがこちらを認識してたらどうしようもなくない?」

「流石にそんな無理ゲーじゃないことを祈るしかないな」


 何気なく時計を見たら19時前だった。限界まで長引くと24時間かかるらしいが、あまり想像したくはない。

「あっ、そうだ」

 橘人はスマートフォンを取り出し、忙しく文字を打ち込む。何やら検索している様子だ。


「あったあった」

 そう言いながら橘人が見せてくれたのは怪談投稿サイト、滓滓縷縷ししるるの会員用ページだった。見れば『R寺の監視カメラチェック』とある。


「『寺』と『監視カメラ』で検索したら引っかかったんだよね。何かの参考になるかもしれない」

「滓滓縷縷のいい使い方を見つけたかもしれないな!」


「とりあえず読もうぜ」

 僕らは頭をくっつけるようにして、本文を読み始めた。


――――――――――――――


『R寺の監視カメラチェック』


 これは俺が体験したマジで割のいい仕事の話だ。


 バイト先が潰れて金に困ってた時、街で坊さんから声をかけられたんだ。

「つかれてませんね。お願いしたい仕事があるのですが」

 疲れてるわけないだろ。バイトなくなって暇なんだから。俺は二つ返事でOKしたね。


 そのまま坊さんについていったらR寺ってまあまあ有名なところに連れて行かれた。頼まれた仕事はR寺の駐車場の録画映像を24時間分チェックするだけ。なんと日給は30万!


 離れに通されて、更に説明を受けた。

「目的は『白い何か』が映った時刻の特定です。時刻をメモしていただけたらもう結構。ただし画面に映る『白い何か』と、絶対に目を合わせてはいけません」


 俺は内心「オカルトかよ」って笑った。どう考えたって幽霊よりも借金取りの方が怖い。


 仕事はすぐに始まった。17時過ぎだったと思う。内容は監視カメラの録画映像を眺めているだけ。退屈だった。画面上の変化といえば、たまに来る車だけ。「白い何か」なんて出てきたらすぐに解るだろうと思ってた。


 朝方の4時過ぎだったかな。画面の隅に、明らかに異質なノイズが走った。

 画面の隅、駐車場の白線のあたりが、ジラジラと揺れたかと思うと次の瞬間、それがゆっくりと「形」になった。


 白い、人の形をした何か。

 そいつは明らかに録画されてるって解っているみたいに、ゆっくりとカメラの方に顔を向けた。


 俺は坊さんの注意を思い出した。

「絶対に目を合わせてはいけません」

 でも好奇心が勝った。こんなもん、ただの映像データだろ?


 俺は画面に顔を近づけて、そいつをじっと見つめてやった。

 目が合ったと思った瞬間、そいつは笑ったように見えた。

 そしてスーッと消えた。


 拍子抜けした。こんなもんかよ、と。

 録画映像の右下に表示されていた時刻だけメモして、俺は残りの映像を早送りでチェックした後、坊さんに報告した。


 坊さんは俺の顔を穴が開くほど見つめて、「つかれてますね」と言ってきたけど、「全然余裕っすよ」って答えてやった。このまま木屋町の早朝営業の風俗に行くつもりだったから元気だったし(笑)。


 こうやって俺は30万円をゲットした。家賃も払えたし、借金も返せた。おまけに気持ちいい思いもできた。マジで美味いバイトだった。


 なんでこんなに美味しい話をシェアするのかって? またやりたいんだけど、坊さんと連絡がつかないんだ。肝心の寺に行っても文字通り門前払いされるし。


 でもお前たちもR寺の仕事はやれたらやった方がいいぞ。白いやつとか全然大したことないし。


――――――――――――――


「R寺になってるけど、ここの話だよな?」

 一足先に読み終えた橘人はそんなことを言った。

「T寺だとそのまま過ぎるから、沌蘭寺の蘭から取ったのかもね」


「これ、どの程度信用していいのかな?」

「解らない。けど、『白い何か』が現れる際は何か兆候があるってのが本当なら、それに気をつければどうにかなるかも」


「じゃあ、こうしようよセンセ。一時間交代で録画を眺める。その間、眺めてない方は休みつつ、画面眺めてる奴がおかしくなってないか確認する」

「名案だ」


 実際、一人で24時間分の録画を見るのは現実的ではない。行く前に魔美の口から聞かされた「もしも素人が沌蘭寺の仕事するなら最低二人で行け」というのもそういう意味なのかもしれない。


「じゃあ、俺からやるよ。センセはソシャゲでもやってて」

「いいのか?」

 橘人は肯く。デイリーミッションがまだ終わってないからとても助かる。


「じゃあ、始めるよ。気が向いたら雑談してもいいよね?」

「いいと思うよ。画面に異変があったら解るだろうしね」

 橘人はリモコンを持ち、確認作業を開始する。


 僕はスマートフォンを取り出し、ソシャゲのデイリーミッションの消化を始める。こういうのは心理的な負債なので、さっさとやってしまうに限る。

「ところでセンセ。アクアカの六章がクリアできないんだけど」


「お前、アクアカなんかやってたのか?」

 橘人の口から思わぬ単語が出てきて驚いてしまった。『アークアカデミー』は学園もののソシャゲで……いや、そこはどうでもいいか。


「だって暇だし。全然知らなかったけど、センセもやってるから丁度いいかなって」

 泣きそうになった。僕なんかと話を合わせるためにソシャゲをしてくれるなんて……橘人ぐらいの世代なら普通なのかもしれないけど、僕にとっては初めてのことだ。


「昔の六章は本当に難しくて、三ヶ月足踏みしたプレイヤーも少なくなかったんだよな。でも今はかなり緩和されてるからそんな難しくないよ」

「ええー、全然クリアできる気しないんだけど」


「そういや箱庭作るミニゲームなかった?」

「あったけど、よく解らないから放置してたわ」

「あれやると全キャラにバフかかるようになってるから、適当にセットしたらいいよ」


「はえ~、センセはソシャゲも先生なんだな」

 橘人は心から感心した様子だ。僕もこんなことで先生と呼ばれる日が来るなんて思っていなかったが。


「じゃあ、バトルアリーナの編成も後で教えてよ」

「あー、それはごめんかも。僕、宗教上の理由でソシャゲのバトルは深入りしないようにしてるんだよね」

 いや、宗教上の理由は大袈裟か。単なるオタク用語だ。寺で口にする言葉でもない。


「まあ、後で見るだけ見てよ」

「解った」

 僕はソシャゲのデイリーミッションを粛々とこなしていった。


⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩


 意識が飛んでいた。

 気づけば、パイプ椅子にだらんと体重を預けるようにして寝ていた。どうもデイリーミッションの途中で寝落ちしたらしい。


 沌蘭寺に来た時、特に眠いとも思わなかったのに意識のスイッチが切れるように突然眠ってしまった。超常現象なのか生理現象なのか判断がつかないが、決して不快な目覚めではなかった。だからこそ少し怖いのだが。


 器用にもスマートフォンは握ったままだった。時間を見ると、寝ていたのはほんの30分ぐらいか。というか、そろそろ交代の時間だ。

「悪い、橘人……」


 隣の橘人の顔を見て、僕は驚愕した。

 橘人は一心不乱に録画を眺めていた。だがその顔はしおれた花のように、疲れ切っていた。老けたとまでは言わないが、憔悴した感じがしてる。


「おい、橘人!」

 僕は慌てて橘人の肩を揺する。

「あ、センセ……あれ、もう時間?」


 橘人は寝起きのような声を出す。疲れている自覚もないのかもしれない。僕は橘人の手からリモコンを取り上げると、一時停止を押す。

「ちょっと早いけど、一回休憩だ。ほら、水飲め」


 500mlのペットボトルを差し出す。橘人は受け取りこそしたが、上手くキャップを開けられず、僕がキャップを開けてやった。

 どうにか水を口に含んでしばらくして橘人はこう言った。


「センセ、目薬さして……上手くさせる気がしない」

「解った」

 僕が目薬をさしてやると、橘人はようやく回復したようだった。


「お前、凄い顔してたぞ。ほっといたらミイラになりそうだった」

「みたいだな。でも全然自覚なかったんだよ。画面から目を離して、どっと疲れたというか」


「僕の責任だ。監視役が寝ててごめん」

「いや、交代のアラームはかけてたし、最初ぐらい寝かせてあげようかなと思っただけなんだけど……これ、やっぱり異常だよな?」


 僕は肯く。録画に映った怪異を待つ作業は神経を削る。とはいえ、ここまで消耗するのはおかしい。

「くそ、やっぱりガチの仕事だったか……」


「橘人、さっきの『R寺の監視カメラチェック』、もう一度読ませて」

「いいよ」

 僕は再読する。そして手がかりを発見した。


「あのさ、坊さんが言ってた『つかれてませんね』『つかれてますね』って……『疲れる』じゃなくて『憑かれる』じゃないか?」

「あー、そういう意味か!」


「だとすればこの話、憑かれている語り手が犠牲者を増やすために呼びかけてる……という構図だな」

「無駄に手の込んだ怪談書きやがって! それに全然余裕みたいに書かれてたから騙されるところだった」


 この話を投稿した人間のことを考えて、少し寒気がした。

「このままだとマズいぞ、橘人」

「何か解ったの?」


「いや、これは一般論なんだけど……人間の我慢には期限が必要なんだ。例えばダイエット、曖昧に痩せようと思って食事制限と運動をしたって続かない。『この日に一度終える』と決めないと、どこかでプツッといく」


「それはちょっと解るかも。受験勉強もそうだよね?」

 僕は肯く。あれこそ期限付きの我慢の最たるものだ。

「だから……いつ現れるか解らない"あれ"を待ち続けるのはこちらに不利だ」


 疲れて集中力が落ちたタイミングで、あれが出てきて……目が合ってしまうかもしれない。

「クソッ、どうすりゃいいんだ!?」

 橘人がスマートフォンを机に放り出す。それを見て、僕には閃くものがあった。


「待てよ……この手の話、他にもないかな? 例えば『寺』を外して、『監視カメラ』だけで滓滓縷縷内を探してみるとか」


「やってみるよ」

 橘人はスマートフォンを指でスクロールさせていく。検索結果が多いのかもしれない。

「……これかも」


 橘人が震えながらスマートフォンを差し出す。僕はおそるおそる覗き込んだ。


――――――――――――――


『監視カメラの白いやつ』


 マジでヤバいバイトだった。

 ここ見てるヤツで、京都住みの学生がいたら忠告しとく。

 T神社の「映像確認作業」ってバイト、高額でも絶対に応募するな。


 俺はダチのKと日給40万ってのに釣られてそのバイトに参加した。

 場所は観光地からちょっと外れた山の中にある、デカい神社。


 バイトの内容は、神社の離れみたいな部屋で、駐車場の監視カメラに録画された24時間分の映像をチェックして、「怪しい白い何か」が出現した時刻を報告するってだけ。

 ただ、神主からの説明が今思うと全部ヤバかった。


「見ていただくのはこの映像だけです。目的は、『白い何か』が映った時刻の特定。見れば必ず分かります」


「ただし、絶対に『それ』と目を合わせてはいけません。『目だ』と認識した時点で、戻れなくなります」


「だからこそ、このバイトは必ず二人一組でお願いしています。一人が画面を見ている間、もう一人は休憩するか、画面を見ている相方の様子を見てあげてください」


 その時はまだ俺とKは「まあ、オカルト的なおまじないだろ」くらいに軽く考えてた。

 作業は朝9時から始まった。24時間分の映像を倍速とか使わずに等速でチェックしろって言われた。


「さすがにダルいな」

「まあ時給換算なら美味いだろ」

 そんな感じで俺とKは一時間交代で画面を監視することにした。


 最初の数時間はマジで退屈だった。山の中の駐車場だからたまに参拝客の車が映るか、カラスが横切るだけ。「白い何か」なんて、出てくる気配もない。

 昼飯に支給された豪華な弁当を食いながら、俺たちはすっかり油断してた。


「これ、何も映らないまま24時間終わるパターンじゃね?w」

「楽勝だなw」


 異変が起きたのは夜も更けて、深夜1時を回った頃だった。


 もうバイトを始めてから16時間が経過してた。さすがに二人とも、疲労がピークに達してた。一時間交代で仮眠は取ってたけど、ずっと薄暗いモニターを見続けるのは精神的にキツい。


 その時はKが画面を見て、俺がソファでぼんやりしてる番だった。

 ふとKの方を見ると目がトロンとしてて、明らかに集中力が切れてる。見てるこっちが不安になるくらい、疲れた顔だった。


「おいK、大丈夫か?まだ時間じゃないけど、俺と交代する?」

 俺が声をかけると、Kは画面から目を離さずに、力なく首を振った。

「いや…大丈夫。あと10分で交代だし…それくらいは、頑張るよ…」


 それがフラグだった。Kがそう言った、次の瞬間だった。


「あ」


 Kが小さく声を漏らした。

 そしてそれまでダラっと椅子に寄りかかってたのに、急に背筋を伸ばして、画面に顔を近づけていったんだ。


「……あ、あはは、あは…」

 Kが肩を小さく揺らして笑い始めた。乾いた、引きつった笑い声だった。


 俺は直感で「ヤバい!」と思った。

 神主の「目を合わせるな」って言葉を思い出して、俺はモニターの方を絶対に見ないようにKから視線をそらした。


「K!画面から目を離せ!」

 そう叫んだけどKは笑い続けてる。


 俺は手探りでテーブルの上のリモコンを掴むと、再生停止ボタンをメチャクチャに連打した。画面が真っ暗になる。静かになった部屋に、Kの「あはは…あははは…」っていう笑い声だけが響いてた。


 俺は震えながら内線で神主を呼んだ。

「Kがおかしくなりました!」


 すぐに駆けつけてきた神主は、床にうずくまって笑い続けるKを一瞥すると、何の感情もない声で、こう言った。

「ああ…やはり。しかし、16時間も保ったのは大した方ですよ」


 神主は俺に分厚い封筒を渡した。

「彼はこちらで病院に搬送します。あなたは今日のことは一切忘れてください」

 俺はKを助けようとしたけど、屈強な神社の職員に取り押さえられて、そのまま追い出された。


 翌日、Kの親御さんから連絡があった。

 Kは、そのまま精神病院に措置入院になったらしい。

 一度だけ見舞いに行ったけど、あいつはもう俺のことも認識できず、ずっと天井の隅を見て笑ってるだけだった。


 あれからずっと考えてるんだ。

 あの「白い何か」は録画されていて、特定の時間に姿を見せるんじゃなくて……24時間ずっとカメラの向こう側からこっちを見てるんじゃないかなって。


 そして俺たち監視役の集中力が切れるのを……気力が弱るのをじっと待ってたんじゃないかなと思うんだ。


――――――――――――――


 僕らはほぼ同時に読み終えた。

「怖ッ!」

「これじゃないか!」


 T神社とはあるけれど、おそらくTはこの沌蘭寺から取られている気がする。

「これも投稿者の推測が混じってるけど……仮に24時間ずっと待ち構えているのであれば、弱った瞬間に憑かれるのかね?」


 もしそうならば、これは"白い何か"を見つける仕事ではない。とてつもなくリスキーな我慢比べではないか。


 やがて橘人が不安そうにこう言った。

「俺らのどっちかが頭おかしくならないと終わらないんじゃないか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る