第32話 沌蘭寺のあれ①
「なあ、センセ。ダベりに来てる俺が言うのも何だけど……この店って客来なさすぎじゃない?」
スマートフォンを眺めるのに飽きた様子の橘人が唐突にそんなことを言う。確かに今日の深村堂も開店休業状態だ。
「魔美には言うなよ。絶対に怒るから」
日中の店番要員である僕も接客はまだしたことがない。客が来なくてもWebカタログの登録作業や通販対応という仕事があるから、コミュ力に自信のない僕としては助かっているわけだが。
「でも外出ると街が観光客で溢れてるのに、こっちまで来ないってのは流石にな」
「しかもまだゴールデンウィーク前だな」
「人を遠ざける結界でも張られてるんじゃねえの?」
橘人は冗談めかして言う。
「ここは一見さんには厳しいんだろうな。御所の近くなのに勿体ない」
ただ、御所に用事のある人間はむしろ丸太町通を渡ってまでこの辺まで来ない気もする。
「いっそこの店の部分を古民家カフェに改装してしまった方が商売にはなるでしょ。居酒屋とかでもいいけど」
「悪くないアイデアだ。そうしたら僕は厨房に回してくれ」
「じゃあ、店番の時間で調理師免許の勉強しないと」
僕らは笑い合う。神がこの時間を切り取って、消し去ってしまっても世界には何の影響もない会話。でも僕は無意味な会話があってもいいということを最近知った。
昔は会話に意味を求めすぎていた。だから学校でも誰かと会話が発生しそうな時に気の利いたことを言おうとして何も出てこなかった。
あの時に気負わず、軽く何か言えてたら何か違ったのかもしれない。
突然、店のガラス戸が開く音がした。
初めての来客に身構えていると、入って来たのは傘を被った僧だった。
「ごめんください」
僧はそう言って傘を取る。30前後の、垂れ目が特徴的な男だった。それなりにハンサムだと思うが、それよりも頭の形の良さに目が行く。造形に関しては素人だが、禿頭にも曲線美があると知った。
「いらっしゃいませ。何かお探しのものはありますか?」
一応は練習していた口上だが、きっとぎこちない発声になっていたのだろうな。
「いえ、買い物ではなく……あれが出ました」
「あれ?」
僕がそう言うと、男は大袈裟にかぶりを振ってみせる。
「シュウさんが居た頃は『あれが出た』とだけ言えば伝わったんですが……申し送りもないようですね」
知らない名前だ。少なくとも魔美の口から聞いたことはない。
「シュウさんというのは?」
男は「信じられない」という表情で僕を見る。
「魔美さんのお兄さんですよ。そんなことも知らないで働いているとは……」
僕は魔美に根掘り葉掘り聞かず、自分から話してくれるのを待つことにしている。一応、あれでも家族と切り離されて傷ついた17歳の女の子なのだから。
それよりも橘人が人を殺しそうな目で男を見ていることに気づいて、僕は慌てて男の気を逸らしにかかる。
「あの……僕は最近働き出した者でして。失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「
橘人が少し驚いた様子で目を見開く。僕が首を傾げていると、橘人は僕の耳元でこう囁いた。
「西区の寺で、歴史があって大きいところだよ。あと結構儲かってる筈」
なるほど。地元民だけあってよく知ってる。
「どう説明されたのか気になりますが……そちらのお嬢さんの方が店番に向いているようですな」
墨恩の言葉で気づいた。今日の橘人は魔美のお下がりの中学生みたいな私服ではなく、古着屋で買ったというちょっと派手なワンピースだ。発声さえしなければ女子で通せるので、墨恩に正体を隠すつもりでいるのだろう。
「ええと、その沌蘭寺の方が何の用でしょう?」
「ですから仕事ですよ。解りやすく言えば怪異絡みのね」
それだけで解るだろうと言わんばかりの態度だが、僕はさっぱり解らない。
「もう少し具体的にお願いできませんか?」
「では単刀直入に言いましょう。今すぐにでも当寺に来ていただきたいのです。その場合、前金として報酬の半分をこの場でお渡しします」
墨恩はそう言って、厚い封筒を取り出して見せる。これで半分ならトータルの報酬は相当なものだろう。
だが僕は落ち着いてこう答える。
「生憎、僕は雇われ店主ですらないただのバイトでして。しばらくしたら店主が帰ってくるので、相談してから結論を出すということでも構いませんか?」
「いい歳して、自分のなりふりも決められないのですか?」
墨恩は嘲笑った。まるでガキの使いだと言いたいのだろう。でも僕はキレることなく、本心を告げる。
「こんなバイトでも、いなくなったら店主が困るんですよ。24時間かかる仕事なら明日以降のシフトだって相談しないといけないですし」
「……なるほど。それは一理ありますね」
そう言うと墨恩は傘を被った。
「ではまた後ほど。お待ちしてますよ」
墨恩はそう言い残して、店を出て行った。
「……あの坊主、なんか感じ悪かったね」
橘人はずっと黙ってたのが苦しかったのか、開口一番そんなことを言った。
「むしろ僕は別のことが引っかかったな。魔美を通さず即決させようという誘導を感じたというか」
「確かになんかハメようとしてる気配は感じたけど……でもセンセ、あの坊主に恨まれる理由でもあるの?」
僕は首を横に振る。世代も世界も違う以上、接点なんてない筈だが……。
いくら考えても答えは出なかった。
⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩
「墨恩さんって、ちょっとシュッとしたお坊さんやろ?」
帰宅して店に現れた魔美に墨恩のことを訊ねたところ、そんな質問が返ってきた。
「言われてみると、垂れ目がちょっとセクシーだったかもしれない……」
「なら間違いないわ。アニキのお得意様や」
「そういえば『申し送りもしてないのか』って嫌味を言われたな」
「しゃあないやろ。ウチはオカルト系に関しては全然目が利かんからな」
ちなみに橘人は売り物のマッサージチェアで寝ている。寝るのは構わないが足はもう少し閉じた方がいいぞ。
「墨恩さんは随分とお兄さんのことを信頼してたみたいだったけど、どんな仕事ぶりだったの?」
僕の質問に魔美は少し考えてからこう答えた。
「アニキがオトンの後を継いでも古道具屋としての深村堂は蘇らんかったって話は前したな?」
「百歩の家で聞いた」
「それでも月々の生活費は必要やから、アニキは仕事の仲介業をしてたわけや」
「今のお前と同じだな」
「でもアニキがウチと違うんは、たまに自分でも仕事をこなしてたことやな。特にギャラのいい、幽霊だの呪いだのって仕事を好んどった」
まあギャラの額に幅はあるにせよ、僕みたいに紹介料を沢山取られていないのなら、数回もやれば兄妹で一年暮らせるぐらいの金額になるだろう。
「ただアニキが出て行ってからガチっぽい仕事はめっきり減った。ウチに振っても紹介先がないってんで、その手の依頼はとんと来なくなった」
「まあ、そもそも混ざってても解らないんだろうけどね」
僕はきしもじ講のことを思い出してしまって、ぞわっとする。
「でもアニキは『沌蘭寺はガチ』って言ってたな」
行けばまた怪異に遭遇する可能性が高いのか。
そんな気持ちが顔に出てたのか、魔美が心配そうにこう言う。
「……祟、不安やったら行かんでええからな」
「あれ、心配してくれるの?」
言い終えるなり、肩を押された。思わずよろめくほどの強さだ。
「……アホか。折角のバイトがおらんようになったら困るやろ」
まあ、そうだろうな。こいつはそういう奴だ。
「で、行くん?」
「正直なところ、全然行きたくはないんだけど……一方でお兄さんは沌蘭寺の仕事を受けて無事に帰ってきてるわけで。コツさえ知ってれば簡単な仕事なのかもしれないって思ってさ」
「んなもん知らんって。いや、ちょっと待った……」
魔美はそう言って、考え込んでしまった。何かを思い出しそうな顔をしているので、促さずにひたすら答えを待つ。
「一つだけ思い出した……アニキはこうも言ってたわ」
やっと思い出したようだ。
「もしも素人が沌蘭寺の仕事するなら最低二人で行け……ってな」
次の瞬間、僕と魔美の視線はマッサージチェアでだらしなく寝ている橘人に注がれた。
⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩⛩
「あの坊主とはあれっきりだと思ったから黙ってたんだけど、どう誤魔化すかなあ……」
沌蘭寺へ向かうタクシーの中で、橘人はしきりにそんなことをぼやいていた。
「裏声で女の子の名前を名乗るのはどう?」
「一応、練習はしたけど、あんまり長く話せないのがネックだな」
練習したんだ。
「じゃあ、今日のお前は人見知りのシャイガールを演じるといい。僕が誤魔化すから」
「あの坊主に媚び売るみたいで気が進まないけど、頑張ってみるよ」
やがてタクシーは沌蘭寺に到着する。寺の門の前には既に墨恩が待ち構えていた。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
そう言って墨恩は僕らを敷地内へ招き入れる。口調こそ丁寧だったが、もう帰さないという圧力も感じた。
僕らは黙って墨恩に着いていく。橘人は不本意そうに内股気味に歩いていた。
「まさかあの時のお嬢さんと一緒とは。しかし報酬は変わりませんよ」
相変わらずとげのある言い回しをする男だ。
てっきり本堂かどこかに案内されるものだと思い込んでいたのだが、墨恩が立ち止まったのは敷地の隅に設置されたプレハブ小屋の前だった。
「今回はここで仕事をしてもらいます」
促されてプレハブ小屋に入ると、中は大きめのモニタの置かれた簡素な机と、古そうなパイプ椅子が並んでいるだけだった。金回りのいい寺にしては随分と殺風景だ。
「とりあえずかけて、楽にして下さい」
墨恩がパイプ椅子に腰を下ろしたので、僕らも真似して座ることにした。
「さて……我が沌蘭寺では時折、異変が起きます」
「具体的にはどんな異変なんですか?」
「ご想像にお任せしますよ。ただ大抵の異変は不愉快なものとだけ言っておきましょう。異変に関しては毎度何が起きるか解りませんが、その原因だけは決まっています……あれが現れたせいです」
「あれ……というのは?」
そうストレートに訊ねた僕を墨恩はじろりと睨めつける。
「あれはあれです。他に呼び名などありません」
久々のイケズだ。僕は苦笑する他なかった。
「誤解なさらぬよう。別に意地悪で言っているわけではなく、そもそもあれ以外の呼び方がないのですよ」
「どういうことでしょうか?」
墨恩は一瞬面倒そうな顔をしたが、すぐに口の端を持ち上げた。
「いわゆる幽霊や妖怪などの怪異は、不可解な現象に名をつけたことで発生するという考え方は解りますね?」
僕は肯く。
例えば痛みもなく皮膚が裂ける現象を、昔の人は不思議がってカマイタチの仕業とした……これは極めて解りやすい例だが、他の怪異も多かれ少なかれそういう風に誕生している筈だ。
「当時の住職はあれに名前を与えるべきではないと考えました。
「だからあれとしか呼ばないのですね」
「なので、あれがどんな理由で生まれたものかは一切伝わってません。厳密にはこの来歴すら余計なのですが、これぐらいの申し送り事項がないといつ寺が滅んでもおかしくありませんからね」
改めてそう説明されると、僕らの手に負える話ではない気がしてきた。
「でも僕らは素人ですよ? 起源も実態も不明な怪異をどうにかできるわけないじゃないですか」
「ところが対処法ならあるのです」
そう言って墨恩はモニタの電源を入れ、リモコンの再生ボタンを押す。映し出されたのは数台の車の静止映像だった。
「これは我が寺の駐車場の監視カメラのものです。ただしリアルタイムの映像ではなく、録画データですね」
映像の右下には録画時刻が秒刻みで記録されていた。目を凝らして見れば、確かに昨日の日付だ。
「我が寺ではあれが現れるのは駐車場と決まってましてね。そしてあれが現れると24時間以内に必ず異変が起きる……様々な犠牲の末に得た知識です」
「ですが、あれが何時に現れたのかさえ特定できれば、あとは儀式で異変をなかったことにできるのですよ」
「儀式って……何をするんですか?」
「知ったところで何の役にも立ちませんよ」
にべもない。だが、ようやく話が少し見えてきた。
「つまりこの録画データは24時間分あるんですね?」
墨恩は肯く。
「あなた方にはあれが何時何分に現れたのかを確認していただきたいのです。作業自体はそう難しくありません。この24時間の映像に必ず映っている筈なので、その出現時刻を割り出すだけです」
「それだけですか?」
「ええ。根気よく眺めさえすれば、必ずあれが映っている映像に辿り着く筈です」
なるほど、マックス24時間の仕事。集中してモニタを見続けるのはキツいだろうが、体力と根性があれば誰にでもできる。
いや、待てよ。誰にでもできる仕事をどうして深村堂に頼みに来た? それに魔美のお兄さんは『素人なら二人で行け』とも言っていたそうではないか。
「でも他に注意事項ありますよね?」
念のための質問に対して、墨恩は事もなげにこう言い放った。
「ただし映像データとはいえ、あれと目が合った者は例外なく精神に異常をきたしました。くれぐれも注意して作業にあたって下さい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます