追放された聖鉱技師でしたが、なぜか楽器を作ることになりました。

秋良知佐

第1話 憂鬱な目覚め

世界の原初

ただ在るのは 闇と混沌のみ


そこに 光と共に降り立つは 双子の女神

知恵と愛を司る者 名をリ・レティス

力と勇気を司る者 名をラ・レティス


世界に溢れし混沌を包むように 海が生まれ

二人の降り立った場所から 大地が生まれ

二人の吐息が 風となり空気となった


リ・レティスが生みし生命は やがて人となり

ラ・レティスは人が生きるための水と炎を与えた


女神は一つの大陸を空高く浮かべ

己の住まう天の楽園を作り上げた


そして人の身に姿を窶し

今も尚 天空より 全ての人々を見守り続けている


唸る大地に

吹きすさぶ風に

流れる水に

舞い上がる炎に


耳を澄ませてみれば きっと聞こえるだろう


女神達の歌声が


我が子達の哀と苦を鎮めるための 優しい子守唄が



***



 果てなく続く、青い空。

 どこまでも広がる、色鮮やかな花の庭園。

 降り注ぐ、暖かな太陽の光。

 そう、ここはまさに天上の楽園。

 鳴り響くのは、聖なる鉱物を打ち付ける槌の音。

 産み出されるのは、聖騎士達の美しき武具。

 これこそが私の仕事。私の誇り高き使命。

 だが――

 今、自分が居るこの場所は、物々しい雰囲気に包まれている。

 渇いた喉。流れる汗。

 この場から逃げ去ることができたなら、どんなに楽だろうか。

 法廷で見せしめのように壇上に立たされた己に注がれるのは、人々の冷たい視線。

 ゆっくりと立ち上がり、こちらを指差したのは、見覚えのある顔だった。

 かつては己の師であり、上司であったその男は、声高に叫んだ。


『そなたは、《神殺し》の聖鉱技師だ!』



「うわあああああっ!」


 ふかふかの布団を蹴り飛ばしながら、勢いよくベッドから飛び起きたのは、寝間着姿の小柄な少女だ。

 まだ十代半ばのあどけなさを残した風貌の少女は、長い赤銅色の髪を振り乱しながら、真紅の瞳で周囲をぐるりと見渡した。

 そこは狭く古惚けてはいるが、幼い頃から慣れ親しんでいる自室だ。


「……なんだ。夢か……」


 嫌な夢だった。けれど、夢で良かった。

 安堵の溜め息を漏らして、少女――ティエリス・ハディードは、額に流れる汗をぬぐった。

 はだけた寝間着から覗く胸元には、緋色の紋様が刻まれている。

 ティエリスはそれにそっと手を当て、静かな声で呟いた。


「聖鉱技師の証……まるで血の痕のようだ」


 聖鉱技師ホーリーマイスター――そう呼ばれる者達がいる。

 それは、世界の創造主たる女神レティスに仕える騎士達の、矛となり盾となる『聖武具』を作る、選ばれし鍛冶師達の総称だ。

 十年に一度しか現れないと言われる逸材である聖鉱技師達は、その存在を貴重とされ、延命処置を施される。それが、ティエリスの胸元に刻まれた紋様だ。


「私にとっては、もはや忌々しい刻印でしかない。まさに……罪の証だな」


 これにより、ティエリスは十六歳で時が止まったわけだが、人より成長の遅かった体は女性らしい凹凸がなく、まるで十代前半の少女のままだ。


(せめてあと数年遅ければ、この体も年相応に成熟したかもしれないというのに……)


 既に百年余りの長い時を生きているというのに、どうにも子供っぽく見えてしまい、大人扱いしてもらえないというのは、まったく不便なものだ。


(天宮では女神に選ばれし誉れともいわれていたが、まるで呪いだ)


 だが――と、ティエリスは顔を上げた。


「全てが、もう終わったことだ。ここは天宮じゃない……地上だ」


 彼女が若くして聖鉱技師となり、幾年にも渡って尊敬の念を集めていたのは、もはや過去のことだ。

 十五年前に地上に降りたその時から、ティエリスという少女……いや、少女の姿を留めたままのこの女性は、もはや一介の鍛冶師に過ぎないのだ。


「今更、過去の夢ごときに安眠を妨害されてなるものか!」


 吐き捨てるようにそう言うと、がばっと布団を被り、もう一度寝る態勢に入る。

 だが、すでに彼女の目は、二度寝に入る気持ちになれないほどに冴えてしまっていた。

 そんな遺憾極まりない複雑な想いを胸に、不貞腐れた表情のまま、ティエリスは窓の外に目を遣った。

 外の景色は、いまだ闇に包まれている。

 だが、どこからともなく小鳥達の囀る声や、近所の住民が道路の掃き掃除をしている音が聞こえてくる。

 その音と重なるように、階下から美しい音色が響いてきた。

 儚くも優しげなこのメロディーの正体は、毎朝の恒例となっている、同居人の弾くヴァイオリンだ。


「……ふむ。もう朝だったのか」


 ティエリスはむくりと起き上がった。


「それにしても今日のこの音楽、何とかならないのか! 朝の目覚まし代わりにしては、ゆったりとしたテンポ過ぎるぞ……!」


 不満げに頬を膨らませながらも、ティエリスはしぶしぶ寝台から降りるのだった。

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