緑白のタブラ・ラサ

スズムラ

第1話 大学図書

 古びた本を開く。年季の入った背表紙がパキと音を立て、紙の重量が手に伝わった。

 齢16の私にはおよそ似つかわしくないであろう遺伝学の文献。見知らぬ語句が視界を覆う中、私は何かを探すかのようにページを捲る手を早める。

 「君、学校は?」

 ふと隣から声をかけられる。振り向くと、1人の男性が立っていた。平日の昼間に高校くらいの女子が1人大学図書館で文献を探しているなんて、好奇の目で見られないはずがないのである。

 私は動揺を隠しつつ「病院の帰りで」と答える。真っ赤な嘘だ。だがしかし、彼はそれ以上理由を追求することはなく、私と同じく遺伝学のコーナーで、書物を探し始めるのだった。

 一通り流し読みが終わると、この文献には私の求めていた記述がないことがわかった。本を元の位置に戻し、再び棚に視線を戻す。先程の文献とは別にもう1つ目をつけていたものがあったのだが、その書物があった場所には空きができていた。ちらと左を見やると、先程の男性がその本を手に取っている。

 「探しているのはこれか?」

 私の視線に気がついたように、その男性は私に訊ねる。

 「……どうして?」

 「人体の遺伝子操作の学術書を探しているんだろうが、ここにはそんな物騒な本はないぞ」

 男が本を差し出す。私の目的は確かに言い当てられていた。しかし彼の揶揄するような言い草に、私は咄嗟に反発してしまう。

 「後で借りますから。結構です」

 「からかってるんじゃない。俺は両手で数える程読んだ」

 ほら、と催促され、私は渋々彼の手から本を受け取った。しかし、改めて考えると彼の発言には違和感があった。

 なぜ、私の求めている書物がわかったのだろうか。読んでいた本数冊から推察したのだろうが、私が彼の存在に気がついたのは最後の1冊を読んでいる最中に話しかけられた時だ。

 「あの、なんで私がこの本を読みたいってわかったんですか?」

 「なんとなく、君が必死な形相でさっきの本を読んでいたから。あれを読んだら次はこっちだろう、そういう導線だ」

 なにかもどかしい回答だった。授業が始まるからと、彼はそそくさと図書館を出ていった。

 私は彼が手渡した文献を読んだが、やはり彼の言う通り、私の求めていた答えはなかった。


 高校が終わるまで、帰路に着くにはまだしばらく時間があった。人目の少ない通りをぶらつきながら、頭の片隅では図書館での彼とのやり取りを反芻していた。初対面の彼の一言が引っかかっていたのだ。

 なぜか、それは私が最後に読んでいたのは人体の遺伝子操作の本ではなく、分子遺伝学の本だったからだ。タイトルにもそう記載されているため、私が『物騒な本を探す少女』と妙な言われをすること自体、有り得ないことだった。

 もし、彼が最後の1冊だけでそう連想することができた、あるいは――かつて彼が私と同じ文献を探し、同じ軌跡を辿ったのだとすれば――


彼は私と同じ、化け物なのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る