第3.5話 エイミー手記 ――灰色の世界と少女の物語

ねぇ、エイミー。

あなたは、本当に“勇者”を信じているの?


 


……あの村のこと、覚えてるでしょう?

山の奥にぽつんとあった、小さな村。

風と雪と静けさに包まれて、誰の声も届かないような場所。


 


お母様は、とても美しい人だったね。

漆黒の髪が、夜のように静かに揺れていた。

けれど、あの人の横顔は、いつも遠くを見ていた。

私は、その視線の先に立ちたかったのかもしれない。


 


……いいの、恨んでいるわけじゃないの。

ただ少し、寂しかっただけ。

私が笑っても泣いても、あの人の目には届かない気がして。

それでも私は、ただ――触れてほしかったんだ。


 


お父様のことは、何も知らない。

名前も、顔も、声も。

貴族だったのか、大商人だったのか、それすらわからない。

けれど、お母様が死ぬ前に、ひとつだけ渡してくれたの。


 


銀の細い鎖に、透き通った青い石のついたペンダント。

「これはね、お父様が私にくれたものよ」

それが、母がくれた最初で最後の贈り物だった。


 


私は、その石の中に“物語”を見たの。

出会えなかった父と母の、たった一度の交差の記憶。

触れられなかった温もりの残り香。

あの石を握るたび、微かに指先が温もりを思い出す。

誰のものかもわからない――でも、確かにそこにあった何か。


 


そして、母が死んだのは――

私が教会に預けられて、すぐのことだった。

一度も、面会はなかった。

でも、母の死は静かに、私の中に何かを終わらせた。

……けれど、どこかで何かが始まった気もしていた。

小さく、息を潜めるような願いが。


 


それでも私は、神殿の図書室で本を読み続けた。

何冊も、何冊も。

それは逃避だったかもしれない。

でも、あの時の私には、それしかなかった。


 


ページの向こうに、私は勇者を見た。

剣を掲げ、闇を祓い、誰かを救う者。

そんな誰かが、いつか私を見つけてくれると、信じたかった。


 


ねぇ、どうして教会に行こうと思ったんだっけ?


 


――そう、八歳のときだった。

自分から希望して。

理由は、本があるから。それだけだったはず。


 


けれど、今ならわかる。

本がほしかったんじゃない。

本の中の世界に、私が居場所を求めていたんだって。


 


だんだん、分からなくなっていった。

祈りの時間と、本を読む時間。

どちらが“本当の私”だったのか。


 


でも、それでも――確かに、ひとつだけは願っていたの。

私は、勇者に会いたい。

本の中じゃない。

現実のこの手で、あの人を掴みたい。


 


本当に欲しかったものは、手に入らないと知っていた。

だからせめて、物語の勇者だけでも、私のもとに来てほしいと――。


 


そして、あの日。


 


あの声が、空から降ってきた。

「王都で汝を救う男が、勇者である」


 


あの言葉が空から響いたとき、世界がきらりと裏返った気がした。

まるで、神様が私のために書いた物語のようだった。

最初は、夢だと思った。

でも、それが神託と認められて、私は“選ばれた”ことになった。


 


……本当に、あの瞬間から、私は主役になれたのかな?


 


王都の港で、あの方を見かけたとき。

金の光を纏ったような立ち姿。

物語でしか見たことがなかった“勇者”が、そこにいた。


 


その瞬間、私の世界は色づいた。

灰色だった日々に、光が差した。

薄い、淡い、それでも確かな光。


 


ねぇ、エイミー。

それでも、まだ信じていいのかな。


 


この出会いが、奇跡だということ。

この旅が、私を導くのだということ。

そして、私自身が、誰かを選ぶ“力”を持っているということ。


 


……大丈夫。

私は、信じてみたい。


 


たとえそれが、間違いでも。

たとえ誰にも褒められなくても。

私は私の物語を、選びたいの。


 


そうだよね、エイミー。

私たちの物語は、きっとここから始まるんだよね。


 


――そして、あの人が勇者であることを、私は見定めるの。

私はこの目で、あの人を見定める。

この手で、物語の続きを掴みに行く。


信じるのでも、祈るのでもなく、私自身の目で。


 


私がこの世界に残された理由は、きっと――そのため

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