4.領民登録試験


 キメラの領民登録に必要なテストというのは、大雑把に知能、倫理、社会性、安全性の四要素に分けられる。

 基本的にはいずれも人間相応の物があると判断されればいいので、試験の難易度自体は低いものだった。唯一、クリスが文字を読めないという弱点こそ判明したものの、それ以外は順調に進んで最後の安全性試験に移った時のことだ。


「裸になっていただく必要があるので男子禁制でございます」

「そっかー」


 連れてきた張本人として試験は見守っておこうと思ったのだが、メイド長にたしなめられてしまった。

 キメラの安全性とはつまり、獣化しても理性を保っていられるか、が正しく機能するかという点を指す。一度獣化してもらう必要があり、そうすると服が破れてしまうので裸の状態でやってもらわないといけないという問題を考慮すると、男性である俺と父上は追い出されても仕方ないのだった。

 獣化を制御してるのは一度目にしているので問題は無いんだが、客観的な評価とリンデの方の制御具合が分からないので、結局のところこの試験も必須だ。


 キメラがヒトの姿と魔獣の姿を行き来できるのは、全身の各所に施されたタトゥー状の魔術刻印によるものだ。これに魔力を通すことで、封印の状態が切り替わる。

 クリスが人間の姿になった時に全身を抑え込んだ黒い魔力の帯がその発露だ。本人の意思でこれを調節できるか、そうでなくともいざという時には外部からこれを起動して封印を施せるか、というのが試験内容となる。


「ふーむ……」


 出会ったばかりとはいえ、しばらく一蓮托生だったから気にかかるというのも人の情だ。多分大丈夫だろうという前提のもと、俺は母屋おもやの厨房で祝いの料理を作っていた。

 消化器は強靭だろうが、しばらくは消化に良いものを選ぶ。まずはチーズリゾットとカブのポタージュだ。滋味深い味わい……と表現すると良い風だが、要は味が薄めでもある。まあ、半ば病人食なので仕方ないが……それでは彼女らにとってもあまり良い経験にはならない。

 なので、ここに味濃いめの白身魚のムニエルと芋のソテーを追加する。バターとレモンで仕上げることで塩気を抑えつつ味わいを濃くする算段だ。

 一品味の濃いものがあれば、他の味薄めのものと比較して味わうということができる。あとは、スパイスで適度に整えて完成だ。


「どうだい? タレス」

「あまり我々シェフのお株を奪わないでほしいものですな」


 と、味見をしてくれたウチの料理長が、苦笑いをして言葉を返す。

 ……お前の立場上どうしても忖度は入るぞという父上の言葉が浮かんできたが、気にしない。とりあえず今そこ気にしてもしょうがないし……。


「合格と捉えさせてもらうけどいいよな?」

「坊っちゃんがいると仕事ができんで困りますよ」

「手間賃は給料に上乗せするよう頼んでおくよ」


 ともかく、とりあえずのお墨付きをもらえたので、いつでも提供できるように用意してもらう――と、そこで不意に外から轟音が響いた。

 思わず窓越しにそちらに目をやれば、離れの天井を突き破って屹立する10メートル近い巨体のドラゴンの姿があった。

 いや、よく見ればドラゴンではなくドラゴンを基礎に据えたキメラだ。頭部にはバイザー状の保護殻があり、太い前腕とは別に、尾の側部などに細長い虫のような関節肢がうかがえる。ドラゴンにエビか何かと、あとはムカデやクモ系の魔獣でも混ぜたのだろうか。


 あんまりにも衝撃的な光景すぎて驚くより先に頭の冷静な部分が働いてるのが分かる。

 クリスは狼だったから、多分あっちはリンデだな。体くねくねさせとる。

 衆目に晒されちゃう! みたいなこと言おうとしてるだろあの脳みそドピンクの小娘が。


「俺ちょっと大工に連絡してくるわ」

「……大変ですな」


 あと関係各所に連絡入れて、今のは魔獣の襲撃とかじゃないと説明して警備隊も出動させないよう頼んで……補修用の資材もすぐに要るな。周辺住民への説明も必要だ。

 ……徹夜せずになんとかなるよな? なってくれよ頼むから。


「父上、入ります!」


 戦々恐々としながら俺は変な悲鳴を上げている父上を訪ねて執務室へ再突入した。



―――



 結論だけ言うと徹夜にはなった。

 親子と夫婦と使用人総出で事務処理を済ませた後、俺と父上はよれよれになりながらもなんとかエントランスで二人と対面していた。


「だ……大丈夫ですか……?」

「問題ない」

「見くびらないでもらおう」


 と、言いつつ二人揃って今すぐベッドに飛び込みたい気持ちでいっぱいだった。

 俺はまだ若いからちょっとハイになるだけで済むが、父上はもう50過ぎで常々もうだいぶ辛いと嘆いていた。


「ご……ごめんなさい……」

「事故だ。気にすることではない」

「注意はしような」


 クリスはまあ常識の範囲の反応として、リンデは流石にあんなやらかしをしてしまったせいか、珍しくどっちも恐縮しながらの対面だ。

 どうもリンデはずっと獣化したことが無かったらしく、あれが初めてのことだったようだ。当然だが、あんなことになるとは思いもしなかっただろう。

 ……まあ、本物の侯爵相手なのだから、多少は緊張感持ってほしいし、これはこれでよしとしとこう。


「これで領民登録は完了した。配布する登録証は再発行にあたって手数料がかかるから、無くさぬように」

「はっ」

「わかっ……りました」


 父上から配布される登録証は、この珍事に際して新たに用意したものだ。というか普通の市民は領民登録証なんてもの持ってない。クリスたち限定の措置である。

 とはいえ、写真と資料を併せてうちに残しておくので、仮に無くしたとしても大きな問題はない。領の外に出る時など、身分証明が必要な場合もあるので大事にはしていてほしいが。

 ともかくこれが終わったら一回寝よう。物珍しそうにカード状の登録証を眺めるリンデを前にして、俺と父上の意見が無言で一致した時だった。


「閣下。僭越ながらひとつお願いがございます」

「む?」


 クリスが父上の前で綺麗な最敬礼を見せた。古い形式だが、相変わらず堂に入った姿だ。父上も少し驚いたのか、わあずかに片目が開いた。


「話を聞こう」

「ありがとうございます。不躾なお願いとは存じておりますが――どうか私をここで働かせていただけないでしょうか」

「――残念ながら、それは少し難しい」


 一瞬だけ悩んで、しかし父上はそう返した。

 この力の持ち主はメチャクチャ惜しいんだろうな。人材的にも。

 クリスは半ば無理な願いと承知してはいたのだろう落胆しつつも納得してはいるようだ。

 一方で、状況……というか事情をよく分かっていないリンデは不満が直に表情に出ている。


「うちの使用人や護衛は厳正な審査を経て雇ってる。急にやってきた人間を、審査もせずに雇うというんじゃ既に雇っている者たちに示しがつかないし不公平だ。だから、申し訳ないけど――ということですよね、父上」

「そうだな。それに、下手に例外を認めてしまうと、同じように自分も例外を認めて優遇せよ、という者が現れるだろう。適切な審査を経た上で、なら構わないが……」

「そうなんだ……」


 クリスは空気や、おそらくは爺様たちと話した経験からそれを読み取っていたようだが、どうもリンデにその辺を推測するだけの知識は無かったようだ。横から補足を入れればすんなりと飲み込んでくれたようだ。

 だが、とはいえこれは……本当にいいのだろうか?

 平等ではある。領主としてそれは大事だ。しかし何の指標も無く放り出すというのも――あ、そうだ。


「家で雇うのは無理だけど、俺個人に仕えるとかどうだろう?」

「えっ、それは……よろしいのですか?」

「待てレスター。お前は給金も出せぬ分際で何を言っておるのだ」

「ヴッ」


 それは……まあ……家を通さない俺の収入なんてほぼゼロだが……。

 勢い全部の発言だったせいか、即たしなめられてしまった。まずいな、糠喜びさせてしまっただろうか。


「愚息の発言は今は忘れていてもらいたい」

「承知致しました」


 う……鉄面皮のクリスの顔にすらちょっと笑みが浮かんでいる。

 まあ……場が和む分にはピエロになった甲斐があると言っていいか……恥ずかしいけど……。


「お前本当に外で女子おなごを引っ掛けておらんのだろうな?」

「だから何の話ですか父上」


 見ての通りの粗忽者にそんな器用さがあるわけ無いだろ。


「――他に何か望みはあるか?」

「では」


 クリスたちは裸一貫。金どころか私物のひとつも無い立場である。当家としては関わった以上多少なりともサポートするつもりではあるのだが、本人たちがどこまで求めているかは不透明だ。

 最低でも住居や食料くらいは要求してきてくれた方がいい……というか、多分そうしてくれた方が家としては都合がいい。一方的に与えて恩を売るよりも、相手の求めに応じて恩を方が首輪をかけやすいからだ。

 村跡に蔓延っていた高位魔獣を、単騎で一方的に屠るほどの戦闘力を持つ人材をむざむざ逃す手は無い。すぐに雇うわけにいかないというだけで、いずれ何らかの形で正式に雇いたいというのが本心だった。だから俺もあんなこと言ったわけだし。

 で、クリスの希望はというと――。


「私をサラク村跡地に住まわせていただきたいのです」

「んん!?」


 返答は、およそ想定される範疇から外れたものだった。

 思わず聞き返そうとするくらい父上が本気で動揺している。俺もちょっとビックリしてる。あそこに住むって正気か?

 確かに魔獣くらいひと山いくらで蹴散らせる力はあるだろうけど、生活していくには過酷だぞあそこ。それに住居も食料も無い状態でどう生活するんだ?


「……他の場所ではいけないようだな?」

「はい。私にとって戻る場所はあそこしかありません」

「戻る?」

「今のは忘れてください」

「あー……うむ……?」


 お忘れできねーよ。あの村の生き残り過去一人しかいないだろ。

 父上も同じ考えに至ったらしい。苦い顔をして死ぬほど頭回してる。そんな折に父上は、一瞬だけ俺を見た。

 ……まずい。なんか嫌な予感がする。話逸らすか。


「リンデは一緒についていくのか?」

「姉さまが行くならあたしも行くわ。一人じゃ危なっかしいし」


 フフン、と薄い胸を張るが、俺お前の方がよっぽど心配だよ。

 どう見ても世話される側リンデじゃん。心配になって……いや待て、話逸らしきれてねえ!


「――よし、ならばレスター。彼女たちに同行しなさい」

「どぇっ!?」


 いや、俺は……と言い返そうとしたところで、分かるな? と言わんばかりの視線が向けられた。

 俺も分かってるんだよ。そりゃそうなるっていうかそうするっていうか……サラク村跡地は監視の目もろくに行き届かない僻地だ。あの周辺の魔獣も数が少なくなってる。あの二人は変な企みをするような人間とは思ってないが、魔獣の減少にかこつけてタチの悪い野盗があの辺をねぐらにでもしたら面倒なことになる。少なくともアシュクロフト家の息がかかった何者かが駐留して監視しておくのが筋だろう。

 そうでなくとも、二人が再び魔獣の巣穴を通って地下帝国に渡ってしまったり、どこかに失踪したりしても問題だ。これほどの人材を失うのは損失が大きすぎる。


「サラク村に戻りたいと言ったが、それは『復興したい』という意味と取ってよいかね?」

「可能ならばそうですが、閣下やレスター様にご迷惑をかけるわけには……!」

「逆だ。むしろそういうことなら、レスターのような者に同行してもらわねばならん」

「治める人間が必要ですからね……」


 半ば諦め気味に補足する。

 要するに、村には村長という役職を持つ人間が必要なんだ。単に役割上の問題だけではなく、手続き的に。

 村長は領主と村とを繋ぐ窓口だ。領主が認可し、税を収め、それではじめて「村」として扱われる。通常は村民の中から選出されるのが慣例だが、クリスは字を読めないしリンデは子供なのでどちらも事務処理がまるでできない。

 そこで、俺に白羽の矢が立つ。仕事が特に無く、領主の実の息子で裏切る心配が少なく、村の運営にかかる事務処理にも精通していて村民(約2名)と面識がある。

 客観的にも、これほど適した人材はなかなかいないだろう。

 俺が父上の立場でも、無茶振りは承知の上でとりあえず振る。


「ただ、それにしたって村人3人は……」

「分かっておる。当然、しばらくの間村民が少ないなりの措置は取る。だが……」

「免除はできて2、3年。その間に成果を出せ……でしょう?」


 かなりの無茶だ。普通に考えて、こんなの非現実的……なのだが、ダメで元々だろうな。

 失敗して帰って来るならそれもそれで仕方なし。サラク村に執着しているクリスたちを諦めさせ、手元に置くことができるなら少々の出費は安いくらいだろう。

 逆に、成功すればそれはそれで歓迎すべきことだ。全くのゼロから急に税収が湧いてくるんだから、長い目で見ればリターンは大きい。俺が村の面倒を見ている限りは、クリスたちも管理下に置かれることになる。税収分も丸儲けだ。俺の負担を度外視すればやらない理由が無い。

 そして、他人にそういう負担を強いてでも利を取らないといけないのが領主の仕事だ。


「……これも『仕事』の一種ですね。拝命します」

「すまんな。お前には負担をかける」

「そっすね」

「否定をせんか否定を!」


 クリスたちの手前じゃれるのはほどほどにしておくが、これも捉えようだ。斡旋してくれる仕事が、父上の名代から僻地の村長になったと考えればいい。

 望んだこととは言い切れないし、なんならほぼ十割無茶振りだが、後ろ盾になってくれる以上やるしかないだろう。これも貴族の責務と言える。


「――そういうわけだ。村の長としては力不足だろうけど、できる限りで尽力させてもらう」

「いいえ、百人の味方を得た心地です。誠心誠意お仕えさせていただきます」

「お仕え……主従……禁断の」

「リンデ」

「まだ何も言ってないわ!」


 言うつもりはあったんだなコイツ。


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