第10話:満月の夜の過ち
満月の夜がやってきた。
私は六畳一間の部屋で、スカーンから購入した記憶増強薬を手に取っていた。
紫色の液体は月光を受けて神秘的に光っている。「これを飲めば、全てが変わるのか」と呟きながら、私は最後の逡巡をしていた。
机の上には明日の「古代魔法語」の試験勉強用の教科書が山積みになっている。動詞活用147通り、全て暗記しなければならない。普通に勉強していては、とても間に合わない量である。
「つまるところ、この状況では仕方がないのかもしれない」と私は自分に言い聞かせた。
窓の外を見ると、満月が魔導河を照らしている。
アリアと一緒に散歩したあの美しい光景を思い出すと、罪悪感が湧いてくる。彼女は正々堂々と勉強して優等生になったのに、私は薬に頼ろうとしている。
しかし、もうスカーンに金を払ってしまった。今更引き返すことはできない。
「えいっ」と私は薬を一気に飲み干した。
味は思っていたより苦く、喉を通る時に奇妙な熱さを感じた。しばらく何も変化がなかったのだが、やがて頭がすっきりしてくるのを感じた。
教科書を開いてみると、確かに効果は絶大であった。複雑な動詞活用が頭にすらすらと入ってくる。今まで理解できなかった文法規則も、まるで母国語のように自然に感じられる。
「これは素晴らしい!」と私は興奮した。
一時間で第一課から第五課まで完璧に暗記してしまった。この調子なら、一夜で全範囲を制覇できるかもしれない。私は有頂天になって勉強を続けた。
深夜二時、ついに教科書の最後のページに到達した。全ての動詞活用、全ての文法規則、完璧に記憶したのである。
「明日の試験は楽勝だ」と私は満足げに呟いた。
しかし、薬の効果が切れ始めると、頭に激しい痛みが走った。スカーンは「軽い頭痛」と言っていたが、これは軽いものではない。まるで頭蓋骨を内側から誰かが叩いているような痛みである。
「これくらいは我慢しよう」と私は思った。明日の試験で良い成績を取れれば、多少の副作用など問題ではない。
翌朝、私は自信満々で試験会場に向かった。しかし、問題用紙を見た瞬間、愕然とした。昨夜完璧に覚えたはずの内容が、全く思い出せないのである。
頭の中は霧がかかったようにぼんやりしており、自分の名前すら怪しくなってくる。ペンを持つ手は震え、文字を書くことすらままならない。
「おかしい...昨夜はあんなに覚えていたのに」
結局、私は試験用紙にほとんど何も書けずに時間切れとなってしまった。
試験後、アリアが心配そうに近づいてきた。
「どうしたのですか?顔色が悪いようですが」
「大丈夫です」と私は強がったが、実際はふらつくほど体調が悪い。
「本当に大丈夫ですか?熱があるようですが...それに、瞳の色が少し変ですね」とアリアは私の額に手を当てた。
私は慌てて鏡を見た。確かに瞳の色がいつもより濃くなっているような気がする。
「病院に行きましょう」とアリアは提案したが、私はそれを断った。病院に行けば、薬物使用がばれてしまう可能性がある。
部屋に戻ってから、私はスカーンの元へ急いだ。しかし、地下室はもぬけの殻であった。商品も机も、全て綺麗に撤去されている。
壁に貼られた紙切れには、こう書かれていた。
「申し訳ございませんが、急用により店舗を移転いたします。新しい住所は追ってお知らせします。-S.C.」
私は絶望した。騙されたのである。スカーンの言っていた「軽い副作用」は完全な嘘で、実際は深刻な記憶障害を引き起こす危険な薬だったのだ。
「つまるところ...欲に目が眩んだ末路は、常にこのようなものなのであろうな」と私は呟いた。
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