34.コンビニ

「一度休憩を挟みましょうか。ノア坊ちゃん、お茶を淹れますよ」

 トントンと、紙束を机の上で整えながら言うイザベル。

「お茶じゃなくてジュースがいい〜」

「はいはい、ジュウスですね」

 別室に連れられた後、ノアは家庭教師と勉強をしていた。

 椅子から降り、グラスの並べられた棚へ駆け寄るノア。

 無邪気にジュースをねだる、なんの変哲もなく見えるこの子は5歳児とは思えない頭脳があることを私は知っている。その態度はまだ子供だが、知識の吸収量はかつて教授であった私も舌を巻くほどだ。

 数年前に私は、シリル坊ちゃんの家庭教師を務めた。その頃からこのアンベリカ家の専属の家庭教師となっている。だからこそ、比較ができてしまう。かつてのシリルと今のノアの、吸収力や思考の柔軟性。もちろんシリルはそこらの子に比べて飛び抜けて頭がいい。しかし、ノアはその比じゃない。リミッターがない、と言えばいいのだろうか。たった今開いた本を、最初から最後まで全文暗記してしまう。言ってしまえば、”化け物”じみている。

 将来この子はどうなるのだろう。もちろん頭の良さはこのホルネアにおいてとても重要な要素だが、会社の経営となると他の要素も必要となる。ノアを次の後継者の候補として育てているのかは不明だが、そうしない理由もないだろう。


「イザベルー、ジュース」

 コップを持ってジュースをねだるノア。

「こら、先生は?」

「イザベルせんせー、ジュース」

「はい、よくできました。」

 そう言いながら、私はオレンジジュースを注いだ。

 この子の知能は、間違いなくホルネアの宝になる。一方で、この子のやりたいことはなんだろう。

 シリルに勉強を教えていた時、あの子は泣いていた。できない問題があっても次までに解けたらいいと伝えたが、彼は泣きながら言った。

「…お母様には、言わないで」

 その一言で、このアンベリカ家の教育というものがなんとなくわかった。

 シリルに将来何になるかを尋ねた時もある。その時、彼は間髪入れずに「社長だぞ。お母様の会社を、継ぐんだ」と答えた。

 それが彼の望みであれば、私は支えるまでだ。実際にシリルはその後、早期に大学に入り、今はアンベリカ社に入社している。

 方向性が早くに定まっていることは良いことだ。しかし、彼はそれが早すぎた。その決定に対し、今でも心から望んでいればいいのだが……


「イザベルせんせー、クッキー食べる?」

ノアは、自分の部屋から持ってきたであろうチョコチップの練り込まれたクッキーを持ってきた。

「食べる?って聞けば自分も食べられることわかってるのねぇ、ノア。いいけども」

 ノアはぎくりとしながらもクッキーを差し出した。

 子供なりの頭の動かし方がこざかしくも愛おしい。シリルを教えている時には、こういった姿は見せなかった。

 クッキーを齧るノアに、聞いてみる。

「…ノア坊ちゃんは将来、何になりたい?」

「えー?パンダ!」

 予想を超える自由な答えが返ってくる。この子の知能はホルネアの宝になると確信したあとに、このような回答だと拍子抜けする。

「…ノア坊ちゃん、君は頭が良いから、悪いことだけはしちゃいけないよ。その頭の良さは人のために使うんだ」

「んー、じゃあ、街中の人にクッキーを配るよ。」

 あまり噛み合ってはいないが、ノアにとってクッキーを配ることは人のためだと思っているらしい。

「いつか、君のその頭の良さがたくさんの人のためになる時が来る。だから、その時のために勉強しておこうね」

 私から言えるのは、これが精一杯だ。

「…それって、ノアが社長になるのとか?」

「えっ?」




「…体調、戻ってきたか?」

 シリルが寝転ぶドナを覗き込む。

「だいぶ良くなった。ごめんな、ずっとこんなんで」

「ならよかったんだぞ。これから、どこに行こうか。有名な観光名所でもいいし、美味しいレストランでもいい。」

「んー、じゃあシリルがいつも行くようなとこは?」

「あるっちゃあるが、ドナはそんなに楽しくはないと思うぞ。…それでもいいなら」

「じゃあそこにする。車で行く?」

「あぁ。家からちょっと遠い」

 “それでもいつも行く場所”───それはきっと、シリルにとっての特別な場所なのだろう。

「じゃあ、早速───」

 ガチャ、とリビングの扉が開く。そこには、正気の抜けたシリルの父がいた。

 あんだけ飲んでたからきっと酒が強いと思っていたのに、普通に二日酔いなのかよ。

「ドナ…くん。昨日は悪かったね」

「いえ…ごちそうさまでした」

「H.I.D、出してくれるか」

「?」

 急に言われて不思議に思いながら、ポケットからだす。

 すると、父親のH.I.Dを俺のH.I.Dにかざした。

 当然、電子音と共に「入金が確認されました」という通知と、とんでもない金額がそこに表示されている。

「…?!」

「昨夜、飲ませてしまったことと、酔って変なことを言った。これで、チャラにしてくれ。お小遣いと思って、シリルと遊びに行くのに使うといい。」

「いや、こんな、お小遣いの額じゃないですって」

 ドナは桁を目で数えるが、何度数えても額が定まらない。

「それだけだ。私はもう少し寝る」

 そう言って、シリルの父は部屋に消えて行った。

「よかったなドナ。ホルネアで遊ぶ時に使うといい」

「…遊ぶっていうより、暮らせるぞこれ」


「ドナ、目的地まで結構あるし、コンビニで何か買い足さないか。」

 シリルが上着を着ながら言った。

 こっちのコンビニ。そういえば、まだ入ったことがない。ホルネアは俺が知るコンビニと何かちがうのだろうか。

「賛成、飲み物とかも買いたいし。」

「道中で寄ろう。あと、これ」

 シリルがドナに、帽子を手渡す。

 帽子にはツノの当たる部分が薄い生地になっており、伸縮素材の突起になっていた。確かにこれなら、小さめのツノのシープなら被ることができるだろう。

「外に出る時だけでも被るといいんだぞ。」

「ありがとな。」

 早速ドナは、その帽子をかぶってみせた。鏡に映った自分は、少し小さなツノのあるシープのようにも見えた。

「意外と似合ってるぞ」

「…そうかな」

 ツノがあるように見せるなんて、考えたこともなかった。俺にツノが生えていたらどんな姿なんだろう。

「じゃあ行くか」

「あぁ」

 車に乗る。シリルが地点設定をすると、車はシリルの職場の方面と反対方向に動き出した。

「こっちなんだ」

「あぁ、都心側ではない。10分もしないうちにコンビニはあるから、そこで買い出しをしよう」

 シリルの言う通り、少しするとコンビニが見えた。

「第一目的地に到着しました」という音声とともに、車が駐車される。

 コンビニに入ると、入店音が流れる。しかし、誰も店員の姿がない。


「あれ?」

「基本ホルネアのコンビニは無人だぞ。」

「…そうなんだ」

 棚には、見たことのないスナック菓子が立ち並ぶ。異国のお菓子は、無条件に心が躍った。

「あぁ、これ美味しいぞ。私のお気に入りだ」

 シリルが見せたスティック状の菓子。色々栄養素が配合されていることが記載されている。

「一日中研究所にいた時、よくこれで食事を済ませていた」

「…いいのかそれで」

 そしてシリルは、そのお菓子を自身のリュックに入れた。

「ちょ…っ何やってんだシリル?!」

「え?あ、そうか。」

 慌てるドナを見てなにか納得したように言う。

「ホルネアの無人店は、入った時点でH.I.Dの入室記録がつくんだぞ。そして、店の品物をそのまま店の外に持ち出すと自動的に出金される仕組みなんだ。」

「そうなの?!」

「店にレジがないだろう?」

 言われてみれば。辺りを見渡すと、店員がいないだけでなく、そもそもレジがない。

「……お前、俺の国にいた時買い物とかしてないよな?」

「してないぞ。そもそもあの時私は一文無しだったんだから」

 文化の違いでシリルが捕まらなくてよかったと心底安心した。

「…じゃあ、商品を持ち出さずにここで食べたらどうなるの?」

「その時は普通に監視カメラが異常を捉えて通報するんだぞ。H.I.Dの位置情報が警察に共有され、即お縄だ。」

 なるほど。H.I.Dがある限り、この国の治安は維持されるのか。

「H.I.D不携帯で入店するとブザーが鳴る。お金がないのに入ること自体怪しいと見做されるからな。」

 そう言いながら、シリルは次々と菓子をリュックに入れていく。

 抵抗を感じながら、俺は商品を手に取り鞄に入れる。

「な…慣れねぇ…」

「安心しろ、ちゃんと出金されるんだぞ」

「そうなんだろうけどさぁ」

「あ、飲み物はこっちだぞ」

 飲み物が並ぶが、保冷機能のない棚に並べられている。

 どう見ても常温で置かれた飲み物なのに、パッケージには「Hot」と書かれていた。


「これ、置き間違えてねぇか?」

「あぁ、「Hot」と書かれた飲み物は、衝撃を与えるとほかほかになる仕組みだ。常温で置かれているのは間違いじゃないぞ」

「え?!」

 まさか、と思い隣の「Cool」のドリンクを手に取る。どう触っても常温だ。

「そっちもだ。表記をよく見て買うんだぞ」

「ど、どんな技術なんだよ……」

 自国では見かけない商品たち。この国の技術が、いかに進んでいるのかがわかる。

「あとこの水は、一本で一週間はなにも食べなくても栄養状態を保てる優れものだ。」

「…まさか」

「これも研究所に一日中いる時によく飲んでいた」

 こいつ、思いもよらずとんでもない食生活してんな。いくら栄養が取れるとはいえ、それでよく飽きずにいられるというか…

 その時俺は、ハッと思い出した。シリルが家に来た初日に料理を振る舞った時の、「明日もこれでいいぞ」という言葉。あれはマジだったのか。


 よくみると、どんな飲み物も食べ物も、何かしらの栄養が添加されている。ホルネアでは、純粋に食べ物を楽しむというより栄養補給という面が大きいのかもしれない。

 栄養も、温度も、料金も、すべてが管理されている。この国には「うまい」「まずい」みたいな価値観、あるんだろうか。

「……合理的だなぁ。」

「どうかしたか?」

「…いや」

 そう言っていくつかの軽食と飲み物を鞄に入れ、二人は店を出た。ドナに関しては、店から出る時、変に挙動不審になりながら。

 

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