31.コーヒー

「…そういえば、お父様が」

 ドナが作った菓子を食べながら、話し始める。

「今日の夜は、特別な食事をとろうと言っていた。私が帰宅したお祝いと、ドナへの感謝を表すために。」

 今朝、シリルの父が「また夜に」と言った理由がこれだったのかと繋がる。俺はシリルの父から見ると愛する息子と突然籍を入れた非シープではあるが、一応シリルを保護した恩はあるらしい。

「ノア、よかったな。今日の夜ご飯は豪華だぞ」

「やったー!!ケーキも、食べられるかなぁ」

 ノアは両手をあげて喜んだ。

 ちょうど今朝、加工品の朝ごはんを食べた後だ。豪華な食事とは、一体どんなものなのだろう。

「だから夕方頃にシェフが家に来るから、家にあげてくれ」

「シェフ?!?!?!」

 料理をほとんどしないホルネアでは、専門職の人間を呼んで作るものなのか、はたまたシリルの家だからか。


「…じゃあ、ドナ。本題に入ろう。」

「……ずっと思ってたんだけどさ」

「ん?」

「…なんか、シリルの話し方、俺の国にいた時と違う気がするんだけど。もっとこう、なんとかだぞって、話し方だったじゃん、お前。」

「…そうだな」

 シリルが、困った顔で答えた。

「…あれが素なんだが、会社の上層部と話す時は変えているんだ。その結果、父のいるこの家にいる時は、自然とそっち寄りの話し方になっているのかもしれない。家で崩すと、会社にいる時に切り替えが難しくなるからな。」

「んー…じゃあ、外でようぜ。」



 こうして私たちは、家から近くのカフェに来ていた。

「夜は豪華なめしが用意されるし、飲みものだけで。シリルは何にする?」

「コーヒーに、するんだぞ」

 シリルの返事を聞いて、ほっとした。少し、あの時のような空気に戻った気がした。

「…やっぱ俺、その話し方じゃないとなんか落ち着かない気する」

「…そうか?」

「うん。」

 やっと、シリルと話している実感が湧いてきた。

 アイスコーヒーが2つ、運ばれてきた。シリルがガムシロップを加えるのを横目に、ストローに口をつけた。

「…甘?!」

 ドナは一口啜って驚く。

「なんで?俺ガムシロ入れてないのに」

「…あ。言い忘れてたな。ホルネアの飲み物は基本甘いんだぞ。」

「え、お前この甘さでさらにガムシロ足してたの?」

 軽いカルチャーショックとシリルの甘党ぶりに笑いが出た。ドナが笑う様子を見て、シリルも柔らかく笑った。

「……はぁ。フレンチトーストにも鬼のようにはちみつ、かけてたもんな。」

「飲み物が甘いのは、シープの思考の高速回転の低血糖を防止するためだぞ。まぁ、甘いのが好きなのは、私の好みだが。」

「俺、もう無糖のコーヒー飲めねぇのか?」

「言えば作ってもらえるぞ。」

「…次はそうする。」

 グラスに刺されたストローをクルクルと回した。氷がコーヒーと共に回る。


「…俺さ、今日場所変えたのは、今後のこと話すだけじゃなくて…ちょっと、シリルと話したかったっていうか」

「え?」

「なんかお前、ホルネア来てから元気ないなって。この間の夜とか、今日の朝とかも、様子がおかしく見えたから。無理に明るくしろとは言わねぇけど、心配になった。」

「…」


 ドナは気づいていた。私が、ホルネアに戻ってから心が不安定になっていたことを。

「…いつでも俺は、あの時の夜みたいに話聞くから。だから、あんまり、無理はして欲しくないっていうか…」

 あの時の夜は、間違いなくブランケットをかけてくれた日の夜のことだろう。目の前のドナは、なんでこんなにも優しくしてくれるのだろうか。


「…俺がいる間だけでも、”ただのシリル”に戻したいなって」


 ───────あ。

 私は今、このドナの優しさに甘えて、全てを差し出したいと思った。ドナに、これから先、ただのシリルで居させてもらいたい、と。

 でも、気づいてしまった。「俺がいる間だけでも」…あくまで、1ヶ月だ。ドナがホルネアに永住するかはまだわからないし、永住することになっても、この偽装結婚は解約予定だ。

 あまり期待をしては、この先余計辛くなる。そう悟った私は、ドナの優しさをあえて拒むことにした。


「……全然大丈夫だ。急な環境の変化で、体と心が慣れなかっただけだ。今日職場にも復帰したし、もう大丈夫だぞ」

「…本当に?」

「あぁ…」

 今の嘘を、澱みなく話せただろうか。嘘をつくのは得意な方だが、ドナに嘘をつくのは心苦しかった。

「…話し方さ、別に変えなくてもいいんじゃねえの?そっちが、素なんだし。」

「…昔、この話し方でいたらお母様に厳しく叱られたんだ。威厳と風格がないと、人はついてこないと」

「そっちの話し方の方が、お前っぽくて好きだけどな」

 ポツリとドナがつぶやいた。

「好き」という言葉に反応し、顔がカッと熱くなった。自身が、全て肯定された気がする。

 シリルは、ドナを恨めしくも思った。1ヶ月の関係なのに、そんなに優しくしないでほしい。


「…実は、お母様はアンベリカ社の実質的な最高権力者なんだ」

「…えっ?」

「…表向きは、会社の創設者は父、アルフォンス・アンベリカということになっている。しかし、技術的な先駆けで会社を作ったのは父だが、経営やホルネア外進出の指揮は全て母がとっていたんだ。」

 これは、この会社の中でも知っている人はごくわずかでしかない情報だ。絶対に話してはならないだろうことを、ドナには言ってしまった。


「…お母様は、冷徹で、それでいてとても頭が良い。どれだけホルネアが進んでいても、会社を立ち上げた当時はまだ男性社会だった。表向きは全てお父様を立たせて、裏では全てを牛耳っていることで、反発を起こさず、今の会社の規模にまで育てた。…母には、確実な経営のセンスがあった。」

 確かに、父はシリルを溺愛しているが、母親の厳しい教育を止めてはいない。後継者の教育を、会社を立ち上げた母が行っている。そう考えると、確かに辻褄が合う。

 ホルネアに着いたあの日。シリルが父親と交渉した姿は、母親による影響だったのか。

「…お母様には、逆らえない。私も、父も。」


 ドナは、シリルの様子を見て考えた。シリルは母親に従っているように見えるが、それだけじゃない。認められたがっているようにも感じた。

 俺は父も母も、物心着く頃からいなかった。だから、両親からの愛情というものがそもそもわからないが…シリルは、両親が”いるのにも関わらず”、手に入っていない。少なくとも、母親からは。それはきっと、ハナからいない俺とは、天と地ほどの差があるだろう。

 母親に認められたいシリルに、認められる必要はないと言うのはきっとお門違いだ。でも、シリルは認められるためになんだってやる。こいつは、自身が壊れてしまっても気づかない気がした。

 なんで声をかけるのが正解なのかわからなくて、俺は言葉を発せなかった。でも、シリルがホルネアにいる間、母親による呪縛から逃れられないことだけはわかる。

「……」

 俺とまたホルネアの外で暮らそう、と喉まででかかった言葉を飲み込んだ。こんなの不可能で、夢物語だ。

 改めて俺は、シリルがホルネアの外で見た夏のきらめきが、彼にとってどれだけ尊いものだったのかが理解できた。水族館で見せた、あの笑顔の裏にシリルが背負い込んできたもの。

 鉛がついたように、体が重くなった。どうすれば、シリルはこのホルネアで”ただのシリル”でいられるのだろう。


「…さて、私の話は終わりだ。目的の、今後の話をするぞ」

「え…あ、あぁ。」

 強制的に、話を切り替えられた。アイスコーヒーは氷が溶けて、色が薄くなっていた。


「教授……ドナのお父さんの行方を探す、ことについてだ」

 本来はその目的のために俺はホルネアに来たはずだった。なのに、俺はその提案を浮かない顔で聞いている。

「まず…ドナとジルと三人で話した通りだが、方法はニ通りある。一つは、教授の奥さん、つまりドナのお母さんの手がかりを得る。これはハスフィニット社の遺伝子データが必要だ。」

 シリルのツテを頼りに、これを得る。元婚約者というのが皮肉なものだが、使えるものは使うしかない。

「次に、ホルネア監獄の調査。教授が監獄にいるのかどうかだ。正直、これは私もまだ方法について検討がついていない。ホルネア監獄は恐ろしくセキュリティが高い。下手に調べても何も掴めないだろう。」

 俺は、薄くなったコーヒーを啜った。

「…じゃあ、まずは一つ目からやった方が良さそうだな。ホルネア監獄の接触について、俺も調べてみる。」

「そうだ。なにしろ1ヶ月というタイムリミットがある。もうすでにハスフィニット社の元婚約者には連絡済みだ。しかし、まだ返信が来ないんだぞ」

 シリルは自分のH.I.Dの画面をチラリと見た。返信は、来ていない。


「…監獄にいる人を、強制的に引きずり出す方法ってねぇのかな」

「…移送する時と、面会の時と…裁判の時じゃないか?」

 ドナはストローから口を離した。

「それだ」

「…何する気だ?」

「まずは計画を練るから、そしたら伝えるよ」

「わかったぞ。」

 ふと、ジルがいればな、と思った。あいつはいつも、とんでもないタイミングで、とんでもない閃きを起こす。計画を立てるときにいてくれたら、きっととても心強いだろう。


 祭りの後、警察から逃げて走ったあの日。警察を撒くために、自転車を倒して道を塞いでくれた、ジル。ジルは無事、家に帰れたのだろうか。

「どうしたんだ?」

「…いや、ジルがいればなーって」

「…それはわかるな。あの男は、シープに匹敵する頭脳を持っているんだぞ。」

 別れ際の最後に、「また今度」と言ったジル。またひょっこり、現れたりすればいいのに。


「…あ、もうこんな時間だ。シェフたちが家に来る時間だぞ」

「…そうだった。帰るか」

 そう言って残りのコーヒーを飲み干し、席をたった。

「会計は私がするからドナは気にするな」

 伝票にH.I.Dをかざし、コーヒー二杯分の金額が画面に表示される。流れる様に決済される様子をドナは見つめた。

「…すげ」

「今一文無しなのはドナだからな。形勢逆転なんだぞ」

「はいはい」

 ちょっと前まで、一文無しのシリルの支払いを俺がしていたのを思い出す。ホルネアの中と外。俺たちの立場が逆転する。


「…そういや俺の国にいた時の謝礼金の話、あれ生きてる?」

「それなんだが、私がドナの家に1ヶ月居させてもらうお礼としてだったから、今ドナが私の家に1ヶ月いるなら帳消しじゃないか?」

「んなっっっっ」

 言われてみればそうだ。

 帰国後のバイトからの解放という幻想が塵となる。俺、しばらくシフト入れないって言っちゃったのに。

「…まぁ、それとは別で払っていいんだぞ。ドナにはそれだけの恩がある」

「た、助かる…」

 床と並行になるようシリルに礼をしながら手を合わせた。その様子を見て、シリルはふっと笑った。

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