君ともっと歌いたかった

からした火南

第1章 桜は散りぎわが美しい

第1話 桜の樹の下で私は私の死体を掘り当てた

 桜の樹の下には屍体が埋まっている!

 そんな書き出しで始まる小説があったはずだ。梶井基次郎だっただろうか。

 月の青い光に照らされ爛漫と咲き誇る桜が花弁を散らす。妖艶とも言える美しさ、確かに死体でも埋まっていなければ説明がつかない。

 夜の校庭で独り、桜の樹を見上げている。

 本当に死体が埋まってるんじゃないかと思い、根本を掘り返したい衝動に駆られる。道具なんて持ち合わせていないから、衝動のままに素手で掘り始めた。硬い土に爪を立て、ざりざりと音を立てて掘り進める。

 爪が剥がれてしまうんじゃないか、そう思った瞬間に両手の爪が剥がれた。小さく悲鳴が漏れたけれども痛みはなかった。

 こんな指じゃもう掘れない、そう思った瞬間に小さなスコップを握っていた。喜んだのも束の間、作業は遅々として進まず時間がかかり過ぎる思った瞬間にシャベルを握っていた。

 どうやら夢を見ているらしいとは思ったのだけれど、桜の美しさの秘密を暴きたくて、月明かりを頼りに夢中で掘り進めた。汗だくになり、制服のジャケットを脱いで枝にかけた。ブラウスが土に汚れるのも構わず夢中で掘り続けた。

 二メートルも掘った頃だろうか。突き立てたシャベルの先が柔らかい物を捉える。弾力のある手応え。桜に養分を吸われているのだからきっと腐乱した死体なのだろうと思っていた。けれどもこの感触だと、埋めたばかりの死体なのかもしれない。

 慎重に土を払い除け、バッグに収められた死体を掘り起こしていく。死体バッグのファスナーを開けても、悪臭に吐き気をもよおすことはなかった。埋めたばかりと思しき死体は少女のもので、うちの高校の制服を着ていた。

 少女の顔にかかってしまった泥を、丁寧に払いのける。どこかで見たことがある顔だと思ったのもそのはずで、少女の顔は私のものだった。

 桜の樹の下で、私は私の死体を掘り当てた。

 私と違うところといえば、死体は頬に大きな切り傷を負っているということだ。傷を見て、慌てて自分の頬に触れてみる。手についた泥が頬を汚したけど、幸いなことに私の頬に切り傷はなかった。

 安堵の溜息を吐いて、私は私の死体の隣に寝そべった。夢中で掘り進めたものだから、身体が悲鳴をあげている。もう一ミリだって動きたくないと思いながら、私は私の死体の顔を見つめる。自分の顔を眼前に見るだなんて、なかなかできない体験だ。鏡を見るのとはまた違った感覚に戸惑いを覚える。

 こうやって見ると、意外と均衡の取れた顔立ちをしているんじゃないだろうか。ママや悠里が可愛い可愛いと褒めそやしてくれるけど、ずっと素直に受け取ることができずにいた。自分の顔なんて、どうやったって自分の目で見ることができない。鏡に写った自分の姿じゃ、本当に可愛いかどうかなんて判ったものではない。

 たとえ本当に顔が可愛かったとしても、身体全体としてバランスが取れているかどうかは別の問題だ。美しさとはバランスの良さのことだと思っている。

 脚に衝撃を覚え、慌てて見遣る。土がかかっている。不思議に思っていると、続けて土砂が降り注いだ。

 見上げてみれば、垂直に切り立った穴の上から土が投げ入れられている。驚いて起きあがろうとしたけど、金縛りにでもあったかのようにまるで身体が動かなかった。

 穴の上に二つの人影が見える。どちらもうちの学校の制服を着ている。男性と女性の二人がシャベルを握って、穴を埋め戻そうとしている。

「やめて! 人が居るの!」

 叫ぼうとしたのだけれど声にならず、私は私の死体と一緒に埋め戻されていく。顔が埋まる前にもう一度もう一人の私を見たいと願い、私は私の死体を見遣る。美しいはずの私の顔はいつの間にか無惨に腐れ、私だと判らないほどに肉が崩れていた。

 恐怖に悲鳴を上げようとしたのだけれど依然として声にならず、動かない体で必死に土の中から脱出しようともがく。

 穴の上から次々と土が投げ入れられる。身体にはずっしりとした重みが加わり、ついには顔までもが土砂で埋まり始めた。そうしている間にも死体の肉は顔面から腐り落ちて、白い骨が見え始めていた。

 視界さえも土砂で埋めたてられ、呼吸すらままならない。苦しさに叫ぼうとすると口の中まで土に埋まり、砂を噛む不快感に怖気が走る。息すらできない暗闇の中で、土砂の重みに耐えかねて肋が軋みはじめる。

 やがて胸の中に、枯れ枝が折れるような音を感じる。続けて一本、また一本と次々に肋が折れ続け、肺が潰れてしまうまで声にならない叫びを上げ続けていた。


     ◇


 悲鳴を上げて飛び起きた。

 動悸が激しい。

 呼吸が浅い。

 あまりの息苦しさにパニックに陥りそうになる。

 落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせながら、まずは息を吐き切った。

 胸いっぱいに息を吸い、ゆっくりと吐き出す。二度繰り返して、ようやく落ち着きを取り戻した。朝はまだ寒いというのに、寝汗でパジャマが湿っていた。

 悪い夢を見ていたような気がする。

 どんな夢だったのか思い出そうとしたのだけれど、まるで思い出せなかった。言いようのない息苦しさと、自分が自分でなくなってしまう漠然とした恐怖だけが思い起こされる。不快感に考えることを止めて、ゆっくりとベッドがからはい出した。

 カーテンと窓を開けて外を見ると、柔らかな春の陽光に街が輝いている。桜並木が花を散らし始めていた。今日は近道をせずに、並木道を歩いてみようかと思う。きっと気分良く登校できるはずだ。桜の花を楽しめるのは、あと何日もない。今のうちに今年の桜を満喫しておきたい。

 流れ込んでくる冷気に身震いして窓を閉め、階下のダイニングへと向かう。いつもと変わらず、パンの焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。

「おはよう、綾乃。よく眠れた?」

 キッチンで朝食の準備をするママが言った。

「怖い夢を見たみたいで、なんだか疲れちゃった」

 冷蔵庫から牛乳パックを取り出しながら応える。席について、グラスに牛乳を注ぐ。

「大丈夫? 今日は大切な日なんだから、万全の体調で臨まないと」

「大切な日って訳でもないよ。挨拶なんて、いつものことなんだから」

「何言ってるの。全校生徒の代表なんでしょ? 頑張らないとね」

 今日の入学式で、生徒を代表して挨拶することになっている。みんなの前での挨拶なんて、生徒会長になってから何度も経験していることだ。入学式だからといって、特に感慨に浸ることではない。

 オーブンから焼き上がりを知らせる電子音が響く。

 焼き立てのバターロールに半熟のスクランブルエッグ、そしてボイルしたソーセージとサラダ。我が家の定番の朝食だ。サラダは日替わりで、今日はツナの入ったコールスローだ。

「さぁ、召し上がれ」

 ママはバターロールに切れ目を入れて、ソーセージやサラダをサンドして食べなさいって言うけれど、私は別々に食べる方が好きだ。先ずは何もつけずに、バターロールを味わってみる。甘やかなバターの香りを、香ばしい小麦の匂いが力強く支えている。小麦とバターは、北海道から取り寄せていると言っていたはずだ。素材にまでこだわった、ママ自慢のバターロールだ。

「綾乃が生徒会長だなんて、ママも鼻が高いわ」

 向かいの席に座り、ソーセージを挟んだバターロールを頬張りながら言った。このセリフを聞くのは、もう何度目だろうか。

「面倒だから押し付けられただけだって。誇りに思うようなことじゃないよ」

「そんなことない。綾乃は自慢の娘よ。期待してるんだから、頑張ってね!」

「うん……」

 小学生の頃はママから期待されるのは嬉しかったし、期待に応えようと必死に頑張っていた気がする。塾にピアノに水泳に、友達と遊ぶ暇もなく習い事も頑張った。

 今は大学受験に向けて、期待が膨らむばかりだ。「良い大学に行って、パパみたいに立派な会社に入るのよ」これが最近のママの口癖だ。「立派な会社に入るだけが人生じゃない」なんて反論したくもなるのだけれど、世間知らずの高校生が口にしたところで失笑を買うだけだろう。世間知らずという点で言えば、お嬢様育ちで専業主婦やってるママだって結構な世間知らずなんじゃないかと思うのだけれど……。

 たまには反論してみたりもする。けれども将来のプランがあるのかと問われれば返す答えがなくて、それならばママが敷いてくれたレールに乗って良い大学ってやつに入ろうかと思っている次第だ。そうすれば少なくともママは喜んでくれるし、海外で働いてるパパだって喜んでくれるはずだ。

「晴れ舞台なんだから頑張ってね」

 入学式の主役は新入生だ。決して私の晴れ舞台なんかじゃない。

「うん、頑張るよ」

「失敗してママに恥をかかせないでね」

「解ってるって。悠里が迎えに来るから、そろそろ行くね」

「今度、悠里ちゃんを夕食に誘ってあげて。ママ、美味しいご飯作るから!」

 グラスの牛乳を飲み干して、ダイニングを後にした。

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