第2話 僕と父上

 外がすっかり暗くなった頃、僕はようやく母上のシゴキ————じゃない、特訓から解放された。

 

 

「————大丈夫? ベル?」

 

 

 膝がガクガクして産まれたての子鹿みたいになっている僕にエリーゼが声を掛けてくれた。

 

 2歳年上で幼なじみの彼女は仕事以外の時は僕のことを『ベル』と呼ぶんだ。

 

 

「……う、うん、ありがとう。なんとか、大丈夫……」

「そう。これに懲りたら、もう隠れてサボろうなんて考えないことね」

「そうするよ。キミにも迷惑をかけちゃったし……」

「私は全然平気よ。自分の練習にもなるしね。それじゃあ、また明日」

 

 

 エリーゼはクールにそう言って、使用人が住んでいる離れへと帰って行った。

 

 

「うん、また明日」

 

 

 ダンスの練習に付き合ってくれたエリーゼと別れた僕は夕食前にお風呂に入ることにした。

 

 いっぱい踊ってたくさん汗をかいたし、何より疲れたからゆっくり湯船に浸かりたいと思って。

 

 ウチのやしきはそこまで大きくないけれど、お風呂はかなり立派だ。

 

 去年までは執事長が一緒に入ってくれていたけど、8歳になってからは一人で入りたいって言ったんだ。執事長はちょっと寂しげな反応だったけど、いつまでも一緒じゃ恥ずかしいからね。

 

 まず体を洗おうとした時、入り口のドアが開いて誰かが入って来た。

 

 

「執事長? 僕はもう一人で入れるから大丈夫だよ————」

「————そうつれないことを言うなよ。ベル」

「え?」

 

 執事長のものより少し高い声に振り向くと、そこには透き通るような銀髪と左右で色の違う瞳が特徴的な男性が生まれたままの姿で立っているのが見えた。

 

 この辺りを治める領主でこの邸のあるじ————僕の父上だ。

 

 

「父上! お戻りになられていたのですか?」

「ああ、ついさっき領内の視察から帰ってきたところだ」

 

 

 父上は黒い左眼をつむって見せると、ゆっくりと僕に近づいてくる。

 

 

「久しぶりに一緒に入ろうか、ベル」

「は、はい。父上」

「…………」

 

 

 さっきまでニコニコしていた父上が急に仏頂面になり、僕は首をひねる。

 

 

「父上? どうなされたんですか?」

「…………」

 

 

 父上は無言のまま僕に歩み寄ると、突然僕の体を持ち上げ頬をすり寄せてきた!

 

 

「なっ、何をするんですか、父上⁉︎」

「ベル〜〜、二人きりの時は『パパ』って呼ぶ約束だろ〜〜?」

 

 

 そんな約束はしてませんよ、父上っ!

 

 僕は全力で拒否の姿勢を見せるけど、父上は頬と頬とすり合わせるのをやめてくれない。

 

 

「————分かりましたから降ろしてください! パ……パパ!」

「ええ、もう? しょうがないなあ、後30分くらいは続けたかったんだが……」

 

 

 僕に『パパ』と呼ばれた父上は満足したのか文句を言いながらも僕を解放してくれた。

 

 早く子離れをしてください、父上!

 

 

         ◇

 

 

 ————身体を洗い終えた僕たちは肩を並べて湯船に浸かっている。

 

 隣で楽しそうに鼻歌を歌っている父上に僕は以前まえから訊きたかったことを話してみることにした。

 

 

「父上……」

「♪♪♫〜〜〜〜」

 

 

 絶対に聞こえているのに父上は聞こえないフリをして鼻歌をやめない。僕は小さくため息をついて再び呼び掛ける。

 

 

「……パパ」

「なんだい? ベル!」

 

 

 父上は弾けるような笑顔で僕の顔を覗き込んだ。

 

 

「……パパ。その……胸の傷のことなんだけど、それはいつできたものなの?」

 

 

 父上の左胸には大きな刺し傷がふさがったようなあとがあるんだ。

 

 父上は傷痕に触れながら口を開く。

 

 

「ああ、これか……。これはパパが若い頃に暴漢に襲われた時の傷なんだ」

「え……⁉︎」

 

 

 眼を見開いて問い直す僕に父上は続ける。

 

 

「お祖母ばあ様のおやしきがある街に以前連れて行ったことがあるだろう?」

「う、うん。有名な観光名所の泉があった……」

「そう。まさにあの場所で襲われたんだ」

「…………‼︎」

 

 

 あまりの驚きに声を出せなくなった僕の頭を父上が優しくポンポンとしてくれた。

 

 

「怖がらせてしまったかな。本当はお前がもう少し大きくなってから話そうかと思ってたんだけど」

「……ごめんなさい」

「ん?」

「……パパこそきっとすごく怖い思い出だったのに、僕が興味半分で思い出させちゃった……」

 

 

 うなだれる僕の頭を大きな手がクシャクシャとかき回した!

 

 

「な……っ」

「お前は優しいなあ! パパ、嬉しくて泣いちゃいそうだよ!」

「ちゃ、茶化さないでくださいっ」

「茶化してなんかないさ! お前がこんな優しい子に育ってくれて私は本当に嬉しいよ!」

 

 

 そう言って父上は目元を拭った。

 

 

「……実はこの左眼もその時に黒くなったんだ」

「え……、そうなの……?」

「ああ。それまでは両方とも青だったんだが、結婚前のママに治療されて目覚めた時には黒くなってたのさ」

「母上がパパの治療を……⁉︎」

「そう。命懸けでね」

 

 

 そう話す父上の顔は母上への愛情に溢れているようだった。

 

 僕は父上と結婚する前の母上のことも訊きたかったけれど、のぼせちゃってそれ以上話を聞くことが出来なくなってしまった。

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