日常

佐々蔵翔人

はじめに

あなたはあの日の出来事を覚えているだろうか?


日本中、いや世界を震撼しんかんさせたあの出来事。そう、それは3‪‪・11。それを聞けば生まれてなかった人や物心がついていなかったという人はともかくそうでない人はピンとくるだろう。


それは2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震が起きた。最大震度7、マグニチュード9・0という日本で起きた地震で過去最大の地震で、後にこの地震は東日本大震災という名称が付いた。


地震は東北地方のみならず、日本全国で揺れて津波警報が数10分後、数時間後に東北各地に到達をして空港が津波に飲み込まれる様子、防波堤を越えて家や車が流される姿はコレは現実に起きていることなのか、それともフィクションなのか認識するのに時間がかかった。


その日、遠く離れた東京都とうきょうとの多くでは電車が動かず歩いて帰る帰宅困難者が大勢現れて隣の千葉県ちばけんのテーマパークでは、地震の揺れによって地盤が液体のようになってしまう液状化現象が起きた他に同県の離れたところでは、夕方にコンビナート火災が起きる等この日は各地で色々なことが起きていた。


これだけでもこの地震の大きさを表すには充分だがここに追い打ちをかけるように恐ろしい出来事がある。津波で原子力発電所が破損し、原子炉における炉心が加熱して溶け落ちてしまう炉心溶融と言われるメルトダウンが起きてしまった。


これにより、原子力発電所の機能を失い放射能が漏れ出てしまうという原子力発電所に置いて1番起きてはならないことが起きてしまった。


そこで原子力発電所の管轄かんかつである、電力会社はこんな大きな津波が来るとは想定外と言って、国会でも節々に想定外と起きてしまったことは仕方がない。自分たちは責任を取りたくないと責任転嫁をしていた。


同じ日本で起きていることなのにまるで対岸の火事のように国が悪い、建設した電力会社が悪いなどとキズの舐め合いをしている。外野は口を出すだけで現場で何が起きているのか把握しようとしていないのは火を見るより明らかな状況だ。


命さながら逃げてきた人や津波が来て注意を促す人や走って高台に逃げる人それぞれいた。避難所でいつ来るか分からない余震に怯えて寒い冬と戦っていた。


被災者には情報が全然入ってこず、それ以外の人はその現状に驚きつつも何も出来ないもどかしさが募っていた。そして情報も錯綜さくそうする。


当時の総理は今、現地に行ったら迷惑と言われつつもそれを振り切って様子を視察して帰ろうとするともう帰るんですかと言われる始末だった。


太平洋プレート、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、北米プレートという4つのプレートに乗っかっている島国日本だが、過去に例がないから大丈夫、想定してなかったなどそんな言葉で片付けてはならず日頃からの準備を怠らないことを大切にするべきだと感じた瞬間でもある。

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