桜色の万年筆

幌井 洲野

(1)アズサ

(この作品は、カクヨム様に作品を上梓されている「夕砂」様のお名前を、ご本人承諾の上、登場人物として使わせていただきました。作中に出てくるキャラクターの設定や言動は、すべてフィクションです)


 カワズルアズサは、東京西部の大きな街にある出版社の若手編集者である。滋賀県の県都、大津市の出身で、フルネームは「川途流梓」と書く。アズサは、山梨県の大学を卒業して、この会社に入社したときこそ、業務の右も左も分からなかったが、数年間、小説や学術書、解説書などの編集の仕事をいくつもやっていて、この頃は勤めもだいぶ板に着いたようだ。アズサのキャリアで大きかったのは、入社二年目で、書きおろし作家の小説作品の編集「副担当」に抜擢されたことだ。担当したのは、勝部あやみという新進女流作家だった。アヤミはアズサの一つ年上、奇遇にもアズサと同じ大津市出身の女性である。


 勝部あやみは、高校生の時に、テレビ番組で行われた地元近江牛の特製ハンバーガーの大食い大会で、九十七個を平らげて見事優勝したことがある。当時のアズサも、ニュース記事でそのことはよく知っていた。なので、アズサは、アヤミと初めて会って、出版社の会議室で名刺交換をしたときに、名刺にある「勝部あやみ」という名前を見て、「はじめまして。カワズルアズサと申し…」と言いかけた後、いきなり「ハンバーガー!」叫んでしまったのだった。アヤミは、アズサが自分ことを知ってくれていたことがよほど嬉しかったらしい。それがきっかけで、二人はすっかり打ち解けて、仕事が進むにつれて、本当の親友、いや姉妹のように仲良くなっていった。


 アズサの担当したアヤミの書きおろし小説は、アズサの出版社のある市を舞台にしたもので、二人で熱心に取材、打ち合わせ、編集やり取りなどをやった結果、アズサと初めて出会ってからおよそ一年で無事出版された。タイトルは「絹と爆弾」といい、この街の特産物と戦争被害を取り扱った作品だった。ありがたいことに、この作品は新進作家のものとしてはよく売れて、書評なども好意的に扱ってくれた。


 アズサがアヤミの小説の仕事を終えて半年ほどすると、部内で再び、今度は別の作家の書きおろし小説企画が持ち上がった。アズサは、アヤミの小説の時は「副担当」という立場だった。このとき、仕事の全体をまとめる「主担当」は、アズサの上司でもある文芸・学術部長が担当したが、アズサの仕事ぶりはとても積極的で、終わってみれば、編集や出版、宣伝などの大部分の作業は、アズサが大車輪の活躍でこなしていた。そのため、部長は、次の仕事は主担当をアズサ本人に任せようと思っていた。部長がアズサを呼ぶ。


「あ、カワズルさん」


「はい、なんでしょう?」


「今度の書きおろしの小説の件だけど」


「はい、ユズナ先生のですね?」


「うん、あれ、主担当お願いできないかな」


「え、ウチ、いやワタシにですか? え、あ、そんな…」


「いや、こないだのカツベ先生の副担当、あれ、結局、私なんか出る幕なかったじゃない。こりゃスゴイって、私もみんなも思ってるんだけど」


「あ、はい、評価いただいて嬉しいです。でも、ワタシ、主担当って、大丈夫でしょうか?」


「うん、私が副担当に入るから、なんかあったら助け船いくらでも出すから」


 とうとう、前回とは逆に、アズサが主担当、上司の部長が副担当、ということになってしまった。

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