第20話『ふれたのは、誰?』

誰にも言えなかったことを、

俺はすべて、手帳に書き記していた。


夜、肌に感じた誰かの気配。

肩に残った見知らぬ指の跡。

耳元に囁かれた、知らない女の声。


“怖い”と書くには甘すぎて、

“気持ちいい”と書くには冷たすぎる。


そういった夜の記憶を、ひとつずつ、

手帳のページに綴っていた。



書き溜めていくうちに、

いくつか、覚えのない行為の記録が紛れてくるようになった。


「鏡の前で抱かれた」

「耳に指を入れられた」

「浴室で濡らされた」

「背中の中で笑われた」


……俺は、それを書いた覚えがない。


それでも、そこには自分の筆跡で書かれた文字が残っている。


(誰かが、勝手に……?)


いや、違う。


誰かが「書かせている」気がした。


俺の手を使って、

俺の記憶を“書き換えるように”、

その夜の記録を上書きしていく。


ページをめくるたびに、増えていくのは──“見知らぬ快楽の記録”。



ある夜、確認のために天井に小型の録画カメラを設置した。


深夜2時すぎ。

布団に横たわる俺の映像に、微かに“揺らぎ”が現れた。


画面が歪む。

ノイズが走る。

そして、次の瞬間──


“半透明の女”が、俺の上に重なっていた。


髪の長いシルエット。

うっすらと笑う唇。

そして、俺の胸に頬を埋めるようにして、ゆっくりと身体を這わせている。


それは、どの霊でもなかった。


1話の、2話の、13話の、どれでもない。


すべての“ふれられた夜”を記録した存在──

つまり、“俺の手帳を読んでいた何か”だった。



そして昨晩。

俺は目を覚ましたとき、首筋に何かが書かれているのに気づいた。


鏡の前に立つと、うっすらと口紅でこう記されていた。


「これで、記録は終わり」


驚いて手帳を開く。

最後のページに、こんな言葉が残っていた。


「最後にあなたが抱いたのは、私だけ。

あれからずっと、あなたの内側にいるよ」


指が震える。

でも、目が離せなかった。


その文の下には、俺のサインが添えられていた。

明らかに──自分が書いていないのに、たしかに“俺の字”だった。



今夜も、布団に入ると、背中に舌のような感触がある。

誰かが、ゆっくりと、喉のあたりを撫でている。


それは、怖くない。

慣れてしまったのかもしれない。


ただ、たまに思う。


「この手で触れている彼女は、本当に現実にいる“恋人”なんだろうか」


「それとも、ずっと昔に抱いた誰かが、まだ俺の中に棲みついてるだけなんじゃないか」


今となっては、もう“ふれた相手”が誰だったのか、わからない。


でも、ひとつだけ確かなことがある。


──この体の奥に、

確かに、“誰か”が息づいているということ。


【完】

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