第19話 モモの母、大聖女クラリッサの秘密

◆《桃花の誕日と、封じられし願い》◆


 ベルサイユ学院、午後の放課後。


 西棟の奥、魔法科専用の休憩室には柔らかな陽光が差し込み、レースのカーテンが風に揺れていた。薔薇の香りがかすかに漂い、銀縁のカップに注がれた紅茶から湯気が立ち上っている。


 「じゃじゃーん! モモ、これ、わたしからの誕生日プレゼントよっ!」


 リリィ=ファルネーゼが元気よくテーブルに小箱を差し出した。リボンの色は明るい青。彼女の髪とお揃いだ。


 「え、いいの? 本当に……わあ、ありがとうリリィ!」


 モモ=リュミエールは頬を染めて受け取った。彼女の髪は淡いピンクで、目元も優しい雰囲気。今日は十五歳の誕生日。少女としての節目の日だ。


 「それ、わたしが選んだ髪飾りよ。似合うと思って」


 「すっごく可愛い……! 嬉しいなぁ……」


 そしてもう一人。


 「……こちらは私から」


 無口な少女、クロエ=ガルニエが静かに包みを差し出す。中からは、手作りと思しき革のブックカバーが現れた。


 「えっ……これ、クロエが作ってくれたの?」


 「……うん。読書が好きだって、言ってたから」


 モモは一層頬を赤くし、二人の友情に胸を打たれていた。


 「ほんとに……ありがとう、二人とも……っ!」


 紅茶の湯気と共に、少女たちの笑い声が弾んでいく。


 「それにしてもさ、モモ。ハルト先輩に告白して振られたの、誕生日前日ってドラマすぎない?」


 「ちょ、ちょっとリリィ! そういう言い方しないでよ!」


 「いいじゃない、まだ失恋って決まったわけじゃないんだし!」


 「……まだまだチャンスはあるよ。身分差があるんだから……と、リリィは言いたいんだと思う」


 クロエがぽそりと補足し、モモがむくれ顔でふくらんだ頬を指でつつく。


 「もうっ……からかって……!」


 そんなふうに、三人だけのささやかなティータイムが続いていた、そのときだった。


 「――どうやら、ちょっと聞こえてしまったのだが」


 ふと、ドアの方から優しく響く青年の声がした。


 振り返ると、そこに立っていたのは――黄金の髪を持つ、美しき騎士科の制服姿の青年。


 「ユーリ=フォン=フリューゲル……殿下!」


 思わずリリィが声を上げた。


 フリューゲル王国の第二王子。淡い金髪と爽やかな笑み、そして、文武両道の優等生。彼の登場に、室内の空気が一瞬で凛と張りつめた。


 「……お、お茶でもいかがですか?」


 リリィが緊張して勧めたが、ユーリは微笑を崩さず首を横に振った。


 「ありがとう、だが用件だけ伝えに来たのだ。……モモ=リュミエール」


 モモは驚き、思わず立ち上がる。


 「は、はいっ……! えっと、何か……?」


 「今日がそなたの十五歳の誕生日だと聞いた。実は――大聖女クラリッサより、十年前、そなたに渡すよう王家が預かっていた物がある」


 そう言って、ユーリは懐から小さな箱を取り出した。


 箱を開けると――中には、桃色の彼岸花を象った美しいペンダントが鎮座していた。


 淡く光る宝石が花芯に埋め込まれ、見る者を引き込むような静かな力を放っている。


 「……これは?」


 モモは目を見開き、手を伸ばすのをためらった。


 「詳しくは、私も知らない。ただ……大聖女は“娘に渡して欲しい、自ずと道は拓かれる”と仰っていた。私も今朝、父上――国王陛下から手渡されたばかりなのだ」


 ユーリは軽く微笑み、礼を取る。


 「良き誕生日となることを祈っているよ。――それでは、失礼する」


 それだけを残し、第二王子は静かに去っていった。背筋を伸ばしたまま、騎士の如く堂々と。


 「……あの王子様、やっぱり映画の中から出てきたみたい……」


 リリィが呆けたように呟く。


 「モモ……それ、開けてみたら?」


 クロエの言葉に、モモはゆっくりとペンダントを手に取り、そっと首にかけた。


 すると。


 小さく――鈴の音のような、幻の声が胸元から響いた。


 ――モモ=リュミエールの血が目覚めるとき、真なる願いは姿を現す。


 「えっ……今、何か……」


 「わたしにも……少し、聞こえた……」


 クロエが目を細め、リリィも息を呑む。


 だが、それ以上の反応はなかった。


 桃色の彼岸花は、ただ静かに、胸元で揺れていた。


 「……母が……このペンダントを?」


 モモの声が震えた。


 彼女の母、大聖女クラリッサは、モモが幼い頃に亡くなった。


 (……お母さんが、わたしの十五歳を……)


 胸の奥に温かな灯がともるようだった。


 「モモ、行こう。今日はあなたが主役なんだから」


 クロエがそっと立ち上がり、リリィも続く。


 「ケーキ、女子寮で食べようね! ……ちょっと緊張したけど、王子殿下、ほんと素敵だったね~」


 「リリィ、またそれ?」


 「だって、あんな人が彼氏だったら最高じゃない?」


 「はいはい……」


 くすくすと笑い合いながら、三人は休憩室を後にした。


 そして、夕暮れが学院の校舎を朱に染めていく中、モモは胸元のペンダントを指先でそっと撫でた。


 (ありがとう、お母さん……)


 そう心で呟きながら。


 少女の想いは、まだ終わっていなかった。


 たとえ、今は叶わぬ恋でも。


 彼女の“好き”は、決して終わることなく――


 やがてその花は、真実を照らす光となる。




◆《封印の目覚めと、聖都の崩壊》◆


 女子寮――静かな夜。


 モモ=リュミエールの部屋は、小さなランプの明かりだけが灯っていた。壁には誕生日に贈られたカードとリボンが飾られている。だが、少女の視線はそこには向いていなかった。


 彼女の目は、胸元のペンダントに注がれていた。


 桃色の彼岸花のような美しい宝飾――そこに、淡い輝きが宿っていた。


 (自ずと……道は拓かれる、かぁ)


 ユーリ王子の言葉を思い出す。 


 「今のわたしの……願いって……なんだろう」


 心の中で自問する。恋? 強さ? 認められること? きっとその全部だ。


 「……やっぱり、力……かな。ハルト先輩みたいに、誰かを守れるような――そんな力があれば……」


 その瞬間だった。


 ペンダントが、ふわりと光を放った。


 「えっ……?」


 光は次第に強まり、部屋の中が淡い桃色に包まれていく。


 モモが立ち上がろうとした時、ペンダントからまばゆい閃光が走り、その中心に人影が浮かび上がった。


 桃色の長髪をなびかせ、純白の法衣を纏った女性。その顔を見た瞬間、モモの脳裏に幼き記憶がよみがえる。


 「……お母さん……?」


 声にならぬ言葉が漏れる。すると、女性の唇がゆっくりと動き、優しく、しかし確かな声が、モモの頭に直接響いた。


 《モモ……十五歳の誕生日、おめでとう。わたしの娘》


 「やっぱり……お母さんなの……? 大聖女クラリッサ……!」


 《あなたの中にある“聖女の力”を、わたしはこれまで封印していました。理由は、まだあなたには早すぎると――そして、あなたを守るためです》


 母の声は、涙のように心に染み込んでいく。


 《あなたの力を、教会は欲するでしょう。王家さえも動かす力……だから、父親にも言わず、封印し続けてきたのです》


 「お母さん……そんなことまで……」


 モモの目に、涙が滲んだ。


 《でも、あなたはもう、戦える。あなたの願いは、世界と響き合い、道を拓く……。だから――》


 光がさらに強まる。


 《今、この封印を解きます。あなたに、聖女の力を返します》


 風が巻き起こり、窓が軋む。部屋の中に一瞬、時空のひずみのような振動が走った。


 「こ、これは――っ!」


 次の瞬間、モモの体に光が流れ込み、彼女は崩れ落ちそうになる。


 魂の奥底から、熱が噴き上がる。喉の奥で何かが震える。視界がぐらつき、耳鳴りとともに、彼女の内なる“何か”が目を覚ました。


 《……これは……わたしの中に……こんな力が……!?》


 ――桃色の彼岸花が、音もなく咲き誇る。


 その花の幻影が、モモの背後に浮かび、聖なる光を放つ。その輝きは一瞬、学院全体にまで届いた。


 そして――そのとき。



 王都ベル=グラン。


 深夜の静寂を切り裂くように、大神殿の中心部――聖女クラリッサの墓標から、突如として轟音が響き渡った。


 「な、なんだっ――!?」


 警備の騎士たちが走り寄るより早く、墓標から青白い水が噴き出した。


 それは泉ではなく、滝のような激流。天に向かって舞い上がった水流は、空中で渦を巻き、竜巻と化す。


 やがて、轟く水の竜巻が大神殿の大理石の塔を一撃で破壊した。


 「じ、神の怒りか……!?」


 参拝中の修道士たちが悲鳴を上げる。


 神殿の壁が崩れ、彫刻が砕け、天井のステンドグラスが粉々になって降り注いだ。


 そして――


 その怒りは、やがて王都全域を揺るがす大地震となる。


 地鳴りが街を走り、貴族の館も、市街の石畳も、次々と音を立てて歪み始めた。


 「避難だ! すぐに避難せよ!」


 鐘の音が街に響き渡る。王城の中庭では、フリューゲル国王が目を見開き、震えるように呟いた。


 「……クラリッサ……その封印が、破れたというのか……!」


 ただの地震ではない。これは“精霊の怒り”だ。


 十年前――大聖女クラリッサが自らの命と引き換えに封印した、“あの存在”が、再び目を覚ましつつあった。


 ◆


 ベルサイユ学院の一室。


 ペンダントの光がやっと収まり、モモは膝をついたまま、肩で息をしていた。


 部屋の空気は静かだったが、窓の外――王都の方向には、確かに異変の兆しが見えた。夜空に立ち上る水柱、そして微かに揺れる大地。


 (いま……なにか、とてつもないことが起こってる……)


 ペンダントは、静かに胸元で揺れていた。


 それは――聖女の目覚めの証。


 かつて母が果たせなかった使命。そして、いまだ名も知らぬ“敵”との戦いが、始まりを告げていた。


 「……負けない……」


 モモの目に、かすかに宿った決意の光。


 少女の心に芽生えた想いは、恋だけでは終わらない。


 それは、世界を変える――聖女の物語の始まりだった。

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