第9話 リュシアンの断罪
◆《王の裁き、そして崩れゆく虚構》◆
フリューゲル王国王城――大理石と瑠璃色の装飾が荘厳に輝く謁見の間。
重厚な柱が並ぶその空間の中心に座するのは、王国の象徴――カーン=フォン=フリューゲル。
彼の眼差しは、燃えるような怒りを内に秘めながらも、冷酷に、正確に、目の前の「愚息」を見据えていた。
そして、その視線を正面から受けるのは、第三王子――リュシアン=フォン=フリューゲル。
いつもの余裕を装った笑みはすでに剥がれ落ち、彼の顔には不安と動揺が混じっていた。
「……父上、誤解です。レオノーラのことは――あれは、彼女の方が不適切な行為を……!」
「――黙れ」
カーン王の一声が、空気を切り裂いた。
騎士たちが剣に手をかけ、空気が一層張り詰める。侍女たちはひそかに視線を交わし、ミルフィはその場で立ち尽くしていた。だが、その目には未だ現実を理解していない、愚かしい無邪気さが残っていた。
「王家の印を偽造し、公爵家との縁談を私的な理由で破棄。加えて、根拠のない告発により、学院の秩序を乱した。すべて、貴様の軽率な企てによるものと断定されている」
「わ、私だけではありません! ミルフィも……!」
「――ほぉ?」
カーン王はゆっくりと視線を横にずらし、ミルフィ=アントレーヌを見据える。
「ミルフィ嬢。貴女もまた、レオノーラ嬢に対し偽りの証言を述べたことは事実か?」
「わ、私……そんな……! 私はただ、リュシアン様に庇っていただいただけで……!」
「では、学院警備隊や教師陣、そして他の生徒たちから提出された証言書類の内容は、全て虚偽だと申すのか?」
ミルフィの顔から血の気が引いた。ぐずりと唇を噛み、目を泳がせる。
「……そんなはず、ありませんわ。だって……わたくし、ほんとうに怖かったのですもの……!」
「――もはや見苦しい」
冷たく言い放つと、王は立ち上がった。その威厳に満ちた姿に、場の全員が息を呑む。
「リュシアン。王族としての自覚と責任を欠いた貴様は、以後すべての王位継承権を剥奪。去勢処置をした後、王都からの退去を命ずる。貴様にふさわしいのは、田舎の領地で家畜の数でも数える日々だ」
「なっ――! そ、それはあまりにも!」
「甘えを抱くな。王家の威信に泥を塗ったその罪の重さ、己の血で償え」
リュシアンは地に崩れ落ちた。信じられないという顔で、ぼそりと「……俺が……去勢されて追放……?」と呟く。
だが王の言葉は、それで終わらなかった。
「ミルフィ=アントレーヌ。貴女は爵位も持たぬ貴族令嬢に過ぎぬ身でありながら、王子を扇動し、公爵令嬢を貶めた。今回の騒動の中心にあったと認定する」
「えっ……わ、わたし、そんな……!」
「フリューゲルの名を騙り、王家の印を私的に用いたその責。貴女の家に伝える。爵位の剥奪と家名の解体――すなわち、貴女の家は明日より、貴族としての立場を失う」
「そ、そんな……嘘ですわ、そんなの……!」
ミルフィは悲鳴のように叫び、リュシアンに縋りつく。
「リュシアン様……助けて、お願い……ねえ、私たち、愛し合っていたんでしょう!? わたし、こんな……こんな終わり、いや……!!」
だが、彼女が見上げた先のリュシアンは、すでに何も言葉を返さなかった。ただ項垂れ、王の前にうずくまっていた。
「――連れて行け」
王の一声で、近衛騎士たちが動いた。ミルフィの叫び声を背に、ふたりは謁見の間から引きずられるようにして去っていった。
◇ ◇ ◇
それから数刻後――。
広場の喧騒は再び熱気を取り戻し、レオノーラ=フレイアの名が群衆の間で囁かれていた。
その中心、凱旋を祝う舞台に、彼女は静かに立っていた。
その傍らには、ベルサイユ学院騎士科の少年――ハルトがいる。快活な笑顔で民衆に手を振り、護衛を務めるリディアとカミラが、周囲を警戒しながら寄り添っていた。
「本当に出しちゃったんだな、あのバジリスク……相変わらず思いきり良すぎ」
ハルトが苦笑しながら言うと、レオノーラは穏やかな微笑を返す。
「必要だったもの。……自分を守るために、証明するために、そして――もう、誰にも振り回されないって決めたから」
「ふふ……立派になりましたね、お嬢様」
リディアは静かに頷き、懐から匕首をひとつ取り出して、夕陽にかざした。
「次に誰かが貴女を傷つけようとしたら、今度は私が斬ります」
「私は受け止める方ですよ。前みたいに突っ込むだけじゃなくて、ちゃんと支えますからね、あと、焼き肉の約束、楽しみにしてますね」
カミラがニッと笑い、レオノーラの背を軽く叩いた。
夕暮れの空。鐘の音が再び響く。
それは――“英雄の時代”の幕開けを告げる鐘だった。
そして、かつて「無能」と呼ばれた少女と少年は、今や王国を照らす真紅の星と希望なった。
◆《王家の礎、宰相の懸念》――モントリイユ侯爵視点
王国の政治中枢に身を置いて三十年、数々の政変と外交危機を乗り越えてきたこの私でさえ、今朝の謁見の場に臨むときばかりは、胃の底に鉛を流し込まれたような重さを覚えていた。
私はフリューゲル王国宰相、クロード=ド=モントリイユ。
そして、今日の裁き――第三王子リュシアン殿下への断罪――は、私の政務人生でも最大級の危機と直結していた。
謁見の間は静まり返り、天井の瑠璃色のモザイクが、陽光に鈍く光っていた。
重厚な黒檀の玉座に座すは、我が主君――カール=フォン=フリューゲル陛下。
その厳しき面持ちは、まるで鉄に刻まれた神像のようで、普段の穏やかな父親の姿は微塵もなかった。
父が、息子を裁く――それも、王として。
あまりに、痛ましく、重い場面だった。
リュシアン殿下の罪は、確かに重い。
彼の行動は、もはや「若気の至り」などという言葉で済ませられる範疇ではない。
王家の印――それは単なる“判子”ではない。
それは王そのものの意志であり、命であり、国家に対する絶対の信頼の象徴だ。
その印を偽造するという行為は、王の名を騙り、国家を欺き、秩序を破壊するに等しい。
これは反逆にも等しい重罪であり、他国であれば即刻斬首にされてもおかしくはない。
だが、我が国では……たとえ罪を犯した者が王子であっても、裁かれねばならぬ。
――いや、王子であるからこそ、その罪は重く、裁きもまた厳しくあらねばならぬ。
なぜならば、民は見ている。
王家が自身に甘ければ、民に何を求められようか?
法が歪められれば、国家の柱は根元から腐る。
私はこの国の政を預かる身として、どれだけ躊躇いがあろうと、この決断を支持する立場であった。
だが……それでも、陛下の胸中を思うと、言葉にできぬ痛みがあった。
「王家が、頭を下げたのだぞ」
陛下は、何度か私にそう仰った。
フレイア公爵家に対し、王家自らが膝を折り、第三王子を婿にと乞うたのだ。
それは、王家としても異例の措置だった。
だが、未来の安定を考えれば、それも正しい選択だった。
剣と魔術、文武に優れたフレイアの血を、王家に迎えることで、次代の礎をより強固にする。
それを……自ら台無しにしたのが、リュシアン殿下だった。
婚約破棄を勝手に決め、さらにその責任を偽書と流言で他者に押し付けた。
その相手が、よりにもよって――レオノーラ=フレイア嬢であったというのだから、もう笑い話にもならない。
公爵は現在、東方国境での貴族連絡会議に出席中だが、これを知ったとき……どれほどの怒りを抱くだろうか。
このままでは、フレイア家と王家の絆が断ち切られるだけでは済まない。
ひとつ間違えば、王位継承問題を巡って貴族同士の分裂を招き、最悪、内乱の火種になりかねない。
――それだけは、絶対に避けねばならぬ。
だからこそ、陛下は断を下したのだ。
重すぎるほどに。
「第三王子リュシアン=フォン=フリューゲル。王位継承権の剥奪、および王家からの追放とする。去勢処置を施した上で、田舎の一領地へ幽閉する」
その宣言がなされたとき、謁見の間にいた文官の多くが、震えを隠せずにいた。
私もまた、目を閉じて、唇を固く結んだ。
命を取らぬだけでも温情である。
だが、王子として生きる未来は、完全に絶たれたのだ。
リュシアン殿下の表情は、もはや「絶望」を通り越して、現実を理解できぬ混乱に沈んでいた。
あの軽薄だった少年が、ようやく自分の過ちに気づいたとしても、もう遅い。
隣で喚き散らすミルフィ嬢もまた、道連れとなった。
家名の剥奪。爵位の消失。すなわち、家そのものの消滅を意味する。
アントレーヌ家は明日をもって、王国の貴族籍から削除される。
あの娘も、哀れといえば哀れだ。
だが、彼女もまた――王家を騙る道具となることを選んだ。
その責任は、軽くはない。
「――連れて行け」
王の声が響いたとき、私はそっと視線を外した。
この決断は、陛下にとっても苦渋の選択だった。
王であると同時に、父である陛下にとって――息子を追放するという宣言が、どれほどの痛みを伴ったことか。
だが、それでも王は、父ではなく「国王」として決断を下された。
私は、カール=フォン=フリューゲルという人間を、改めて敬意をもって見つめ直した。
――非情だ。だが、それが国家を守るということだ。
我々宰相は、情に流されてはならぬ。
たとえ胸が張り裂けようとも、国の柱を崩すわけにはいかぬのだ。
それが、“政治”の本質である。
私は、心の中でただ一つ願った。
リュシアン殿下よ――
どうか、気づいてくれ。
命があるということが、どれほどの慈悲か。
王が「処刑」ではなく「追放」を選んだ意味を。
国王としてではなく、父としての、最後の温情だったのだと。
◆
謁見の間が静まり返る。
王は背を向け、退室された。
残された我々文官たちは、その背を見つめながら、しばし動けなかった。
「……陛下も、お辛いだろうな」
私は心の中で、そっと呟いた。
王家が誇りを取り戻すために流した血と涙――
この裁きが、未来の安定に繋がることを、私はただ祈るしかなかった。
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