『風が結んだネイビーブルー』

志乃原七海

第1話『強い風』



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### 【改稿案】


アスファルトの照り返しが陽炎のように揺らめく。バス停には、うんざりするほど長い列ができていた。誰もが口を閉ざし、ただ無言でまだ見えぬバスを待っている。せめてもの抵抗に、祖母から譲り受けた大切な麦わら帽子を目深に被った。


ふと、隣に立つ彼の、汗の光る首筋が視界に入る。首にかけられた使い古しのヘッドフォンに、知らない洋楽バンドのロゴが入ったTシャツ。きっと、私とは少しだけ住む世界が違う人なのだろう。


その時だった。ビルの谷間を縫って、今までとは比べ物にならない突風が吹き抜けた。


「あっ!」


声と同時に、私の頭から麦わら帽子がふわりと宙を舞う。伸ばした手も空しく、それは軽やかに人の頭上を越え、乾いた音を立てて車道のアスファルトを転がっていく。


「あ、わたしの、大切な帽子が……!」


どうすることもできずに立ち尽くす私の脇を、一つの影が駆け抜けていった。彼だった。


彼は列から飛び出すと、人波を巧みにすり抜け、車が来ないことを一瞥で確かめる。そして、地面すれすれで危なげなく帽子を掬い上げた。


安堵したのも束の間、無情にもバスを待つ列は数歩前に進み、彼がいたはずの場所はもう他の人で埋まってしまっている。彼は帽子を片手に、少し困ったように眉を寄せ、やがて諦めたように笑って列の最後尾を指差した。


「あーあ。俺、あっち並び直すよ」


そう言って歩き出そうとする背中に、私は声を張り上げていた。


「わたしも! 一緒に一番後ろに行きます!」


気づけば私は、彼のTシャツの袖を衝動的に掴んで引き留めていた。


「え?」


驚きと面白さが混じったような声が、すぐ耳元で響く。


「いいよ、君はそこにいなよ。俺が勝手に出ただけだから」

「ううん、わたしのせいです! 帽子を飛ばしたのは、わたしなんだから。これは連帯責任!」


むきになって言い返すと、彼は「なにそれ」と声を立てて笑った。その目がとても優しくて、心臓が小さく、けれど確かに音を立てる。


結局、二人で並び直した列の最後尾。前の人たちとの間に生まれたわずかな空間が、まるで世界から切り取られた二人だけの場所みたいに感じられた。彼は「ちょっと失礼」と呟くと、大きな指で、少し不器用そうに、けれど驚くほど丁寧に帽子の埃を払ってくれる。そして、私の頭にそっと乗せ直してくれた。


「ほら、次飛ばしたら知らないよ」


ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、その手つきは優しい。彼の指先がほんのわずかに髪を掠めた、その些細な感触にどきりとする。


「……ありがとう」


火照る頬を隠すように、帽子のつばをぐっと引き下げて俯きがちにお礼を言う。


「どういたしまして」


彼の屈託のない笑い声が、降り注ぐ蝉時雨の音に溶けて、不思議なほど心地よく耳に届いた。バスが来るまでのこの時間が、もう少し、ううん、ほんの少しでいい。どうか長く続きますように。


夏の太陽よりも眩しく見えた彼の照れ笑いを盗み見ながら、私は「帽子、飛ばされてよかったかも」なんて、罰当たりなことを考えていた。

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