第25話:神々の遊び
「満足か」と問うた凛火の虚無の瞳は、私の脳裏に焼き付いて離れなかった。
あの完璧な悲劇の舞台の後、私たちの関係は、薄氷の上を歩くような危うさを孕んでいた。凛火は必要最低限の言葉しか発さず、その瞳が私を映すことは、ほとんどなかった。
そんなある日、配信プラットフォームから正式に「クエスト機能」の実装が告知された。
先日私たちがテストケースとなった、「オーディエンス参加型デスマッチ」の正式リリースだ。視聴者は、投げ銭によってリアルタイムで配信内容に介入し、クエストを提示できる。まさに、神々の遊び。
梶原は「ビジネスチャンスだ」と興奮し、すぐにでも次の配信をセッティングしようと息巻いていた。
しかし、私は躊躇していた。
凛火の心が、これ以上壊れてしまうのを、心のどこかで恐れていたのだ。
「どうした、詩凪ちゃん。浮かない顔して」
「……少し、時間をください。凛火のコンディションが…」
「ハッ、あいつの心配か? 大丈夫だ、あいつは壊れねえよ。お前の歌がある限りな」
梶原の言葉は、私の罪悪感を抉る。そうだ、凛火を壊しているのは、他の誰でもない、私自身なのだ。
その夜、私は眠れずに、リビングで一人、ノートパソコンを開いていた。
私たちのチャンネルのファンコミュニティを覗くと、そこは「クエスト機能」実装の話題で持ちきりだった。
『次の配信が待ちきれない!』
『凛火様にどんなクエストを課そうか…』
『鬼畜なクエストほど盛り上がるよなw』
彼らは、何の悪意もなく、純粋な好奇心で、凛火を傷つける計画を語り合っている。
その時、私の目に、一つのスレッドが留まった。
スレッドの主は、あの「名無しのK」だった。
『提案がある。次の配信で、我々の手で「悲劇の騎士」を完成させないか』
彼の書き込みに、コミュニ-ティが色めき立つ。
「名無しのK」が提案したのは、凛火の過去のトラウマ――フェンシングの試合――を、クエスト機能を使って完全に再現するという、悪魔的な計画だった。
『クエスト1:対戦相手にフェンシングの仮面(マスク)を装着させる』
『クエスト2:凛火にエペ(剣)を持たせる(もちろん模造刀だが)』
『クエスト3:詩凪に、あの時の曲を歌わせる』
それは、私たちの配信を熱心に分析し、凛火の心の傷を正確に把握していなければ、決して立てられない計画だった。
私は、背筋が凍るのを感じた。この「名無しのK」という人物は、一体何者なのだ。
しかし、恐怖と同時に、私の心の奥底で、黒い好奇心が鎌首をもたげるのを感じていた。
凛火の、本当の過去。
私が偽りの物語で塗り固めた、彼女の魂の、本当の姿。
それを見てみたい。
私の歌で、彼女の本当の絶望を引きずり出してみたい。
コミュニティの熱狂は、もはや誰にも止められない奔流となっていた。
そして、私自身も、その濁流に、喜んで身を投げ出そうとしていた。
凛火の心が完全に壊れてしまうかもしれないという恐怖よりも、未知の芸術が生まれる瞬間を見たいという欲望が、わずかに上回っていたのだ。
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